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映画 「ひとよ」 ひとよ、一夜、人よ

否応なしに巻き込まれる。離れていてもどこかで繋がってしまっている。家族って、人って、本当に厄介で面倒くさい。

父を殺した一夜

田中裕子演じる母のこはるが「夫を殺した」と子供達に告げた夜。まずは子供達におにぎりを与え、自身も無理矢理おにぎりを飲み込む。子供達を食べさせなくてはならない母の思いと、自身がこれからも生きねばならない決意が一夜の食事に表れている。「もう暴力を振るう人はいない。あなた達は自由。何にでもなれる」と告げて母は出頭する。

“殺人者は聖母だった”と“聖母は殺人者だった”。主語が逆になるだけで印象は大きく変わる。報道の仕方ひとつ、周囲の人間の捉え方ひとつで加害者家族の生活は一変する。残された兄妹の環境は厳しさを増し、母の行動の意味合いが大きく変わり兄妹にのしかかる。

残された兄妹たち

長男の大樹は吃音があり、何か決断しなければならない時は「ねえ、どうしたらいい?」と次男を頼りにしてしまう。大きな身体に子供の頃のままの心が閉じ込められているのが見えるよう。

次男の雄二はいざという時の行動力があり、だからこそ母がいなくなってから兄妹が背負ってきた生活に対する反発が最も強い。

妹の園子は「お母さんは私達のためにお父さんを殺した」と母の言葉を支えとしている。母が眠る布団で一緒に眠る姿は、15年間手に入れられなかった母の存在を再確認するようで胸が詰まった。

父の暴力に関連する言葉に三人三様の様子がよく出ていた。園子の「別れたあの男は、殴る時に腹を殴ってたからマシ」。暴力を振るうような人間関係の環境に身を置いていることと、暴力に対してある意味諦めている様子が見える。そこは“反抗してもどうせもっと殴られるだけ”という子供の頃の経験による諦めが底辺にあるのだと思う。

雄二とこはるが対峙する場面の「殺さなけば、殴られてるのを我慢すればいいだけだった。そうすれば外にはわからなかった」は、雄二が15年間の中でどれだけの思いで生活してきたかがよくわかる。本気でそう思っているかどうかは別として。

大樹が別居している妻に思わず手をあげた時の「父親と同じだよね。俺のことも殺す?」は、悪い人間は殺していいのか?それが母が貫き通している正義なのかを問うていた。

親と子供と家族

夫を殺したことについてタクシー会社の事務員・弓が投げかけた「こはるちゃん位、私も度胸があれば」に「度胸じゃない」と答えるこはる。「じゃあ、あの行動は何だったんだろね」と返され会話はそこで終わる。度胸じゃない。じゃあそれは子供のため?自分のため?

「自分のしたことを疑ったら子供たちが迷子になっちゃう」こはる自身の中に迷いはたくさんあったはず。でも、そこを突っぱねて“あなた達は自由を得た。何にでもなれる”と子供に一貫した態度を示す姿はただただ強い。

物語の中では、稲村家の他に弓の家族とタクシー乗務員の堂下の家族が描かれる。徘徊する母のことを「そのまま死んじゃえばいい」と口にした弓。離れた息子と過ごす一夜を異常なテンションで楽しむ堂下。3つの家族は形が違えども、いびつさを抱えていてどこにも逃げられない。それはどこの家族も何かしら抱えていること。だから家族は面倒くさい。

巻き込まれてやれよ

母が子供を守ってから15年。今度は3人の子供が母を救おうとする一夜がやってくる。「その人にとってだけ大切な一夜。他の人にとってはなんてことない」なんてことない一夜の積み重ねは、家族の日々の積み重ねとなる。

こはるのある行動に対して、甥の進の「ああいう行動でしか表せない人なんだ。巻き込まれてやれよ」という言葉。良いことも悪いことも巻き込まれざるを得ない家族という集合体。そしてそれぞれの人。どれも不格好でとても厄介だ。

ああ、家族って、人って、なんて厄介なんだ。何故かこの家族が愛おしくてたまらない。


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