見出し画像

最高なのに若干モニョる。古老ファンの感想〜イギー・ポップ 『Free』レビュー

イギー・ポップが9月にリリースした新譜『Free』は、トランペッターのレロン・トーマスとギタリストのサラ・リップステイトをプロデュースに迎えて、基本的なコンポーザーはレロン・トーマスが務め、自身の関与はヴォーカルと作詞(本名のジェームズ・オスターバーグ・ジュニア名義で3曲だけ)に留めたという、イギー名義ではあるものの、コラボレーション作品と言って差し支えない内容となっています。

これまでのイギーとは全然違う!メランコリックな作品だ!(意訳)が売り文句で、まあ、キャリアが長い人なんでそんなこともないんですが、この売り文句、日本だけかと思ったら海外でも「今までのイギーと違う」みたいな評を見かけたりして、ふむふむ、自分で決めたタイプキャストからは離れて欲しくないって勝手な態度は国境を超えるんですね、というか、もうイギーが殿堂入りみたいな存在になってる欧米でもそうなんだ、と思ったり。自分の思い込みを評論の根拠にするのは大人気ないですね。
その売り文句はともかくとして、本作の内容は最高です。というか、多分『Post Pop Depression』や、そこから波及して『The Idiot』とか聞いてみて「はて?この人がパンクとかグランジの元祖なの?」と感じた人は割と「あ、今度はこういう感じなんだ」と違和感なく入り込めるでしょう。

本作の魅力ですが、イギーのヴォーカルです。
ライナーでイギーは「ヴォーカルを貸しただけ」とは言っていますが、逆に「さ、どうにでもしてくれ。どんなもんでも歌ってみせるから。」「ヴォーカルこそ、俺の最大の武器。これさえあれば戦える。」ということを改めて表明したとも読み取れます。それだけイギーが信頼できるメンバーを揃えた、ということでもあるんでしょうが。

イギーのヴォーカルは昔から素晴らしかったのですが、特に最近になって自身も非常にこだわりを見せているような気がします。そうなった経緯と思われる点をちょっと書いてみたいと思います。バックのメンバーに関してはもっと詳しい方がいるでしょうから申し訳ありませんがそちらで。

イギーはザ・ストゥージズというバンドにいたわけですが、これはまさに元祖パンクバンドでした。なので、自分のバリトンボイス(イイ声)を嫌がったイギーはわざと声を裏返したり、鼻声でふざけた感じで歌ったりとやりたい放題でした。本作でも#4の「Dirty Sanchez」とかでもその一端を垣間見せてますね。
1974年にストゥージズが空中分解し、紆余曲折を経てソロになった際、第1作目『The Idiot』をプロデュースしたボウイからヴォーカル指導を受け、そこで自分のヴォーカルの活かし方を学んだようなんですが、その後もたまにふざけた歌い方とかはしてました。
ところが、ある日「これからは自分のヴォーカルを徹底的に突き詰めよう」と思ったのかなあ、と推測される事態が発生します。
ストゥージズは2003年に実質再結成(正式には2004年)するのですが、それから3年ちょっとして新作『The Weirdness』をレコーディングします。が、これが上手くいかなかったんですねえ。聞くとすぐ分かりますが、曲自体は昔のストゥージズのまんまで悪くないものの、イギーのヴォーカルの一番美味しいキーとズレてます。イギーはソロキャリアの中で年齢と共に変わる自分の声の美味しいところに合わせて曲を書いてきたんですが、旧来のメンバーはそこにアジャストすることができなかったんですね。
ソロキャリアの中で「自身の美味しいキーに合わせて曲を書く」というのは当たり前で、イギー自身も特に企まずして行っていたのでしょうが『The Weirdness』で無理したヴォーカルを自分で聴いて「あ、これは…」と思ってしまったのではないでしょうか。

その結果、イギーは2010年のインタビューで、ストゥージズはまだ活動中だったにも関わらず「ストゥージズの新作は書きたくない」と言い出し、加えてその後「アメリカン・ヴァルハラ」という映画の中でその理由として「ストゥージズのメンバーと一緒に曲を書いたが、上手くいかなかった」と証言しています。

ストゥージズの再結成は、アシュトン兄弟(ロンとスコット)の救済プロジェクトのような一面もありましたが、加えて総合的に優れたミュージシャンになるべく精進していたイギー自身も、いろいろ突き詰めて若干行き詰まっていた状況だったため、歴史に残る作品(『The Stooges』『Fun House』)を作った旧友たちとまた組むことで、自身にも新たな展開をもたらすことができるんじゃないか、という期待もあって行われたものでした。映画「ギミー・デンジャー 」でそんなことを言っています。

ところが、そうならなかった。いちばんの武器であるはずのヴォーカルを封じられる結果となってしまった。
ストゥージズの旧友たちとの協業は過去と同様にしかできない。そして自分の創作の未来はそこには無い、自分の創作の未来は、自身のヴォーカルを活かしきる事にあると気づいた(何度も書きますが推測です。すいません)イギーは『The Weirdness』以降、再結成直後は控えていた単独創作を活発化します。
そして出来たのが『Préliminaires』と『Après』という2作。これらは当時のイギーのヴォーカルの魅力を全面展開したとも言える作品です。『Après』はカヴァー集ですが、ボブ・ディランがノーベル賞受賞後に受けたインタビューで「最近気に入っている作品」として最初に名前が挙げられる、という偉業を成し遂げました。

ディランの評価はともかくイギー自身はこの2作で「機は熟した」と思ったのでしょう。イギーのヴォーカルが持つ魅力を初めて正面から引き出してくれたプロデューサー、デヴィッド・ボウイとの共作『The Idiot』『Lust for Life』(映画「トレインスポッティング」で有名なアレ)へのオマージュとも続編とも言える『Post Pos Depression』をリリースし、ある意味コンポーザーとしての集大成とするわけです。

そして今回の『Free』。
先が長いとはいえない齢72歳の彼が、限られた時間の中で最後まで突き詰めていく道として「ヴォーカル」を選び取ったとも言える関わり方に、無駄を削ぎ落とした者に感じる凄みを湛えた作品となっている、というのが自分の結論です。

ところで、以降は梯子を外すような内容になっていて申し訳ないんですが、昔からイギーを聞いてきたものの「大人気ない思い込み」です。

実は新生ストゥージズでもイギーの最新のヴォーカルを活かした作品を作れたんです。『Ready to Die』というのがそれです。
2009年に先代リードギタリスト、ロン・アシュトンが亡くなってしまい、イギーは旧ストゥージズでもロンの後釜に座ったギタリスト、ジェームズ・ウィリアムソンを再び呼び寄せます。
実はこのジェームズ・ウィリアムソン、コンポーザーとしてもアレンジャーとしてもプロデューサーとしても優秀で、現在のイギーのヴォーカル特性に合わせた曲を書き、今回の『Free』のようにホーン(スティーヴ・マッケイのサックス)や女性のバックコーラス(ヘイデン・トリプレッツやThe Dog のペトラ・ヘイデン)も無理なくアレンジに落とし込んでプロデュースしてしまうんです。はっきり言って『The Weirdness』とは比較にならないくらいバランスのとれた作品に仕上がっています。『The Weirdness』では行き詰まっていたストゥージズの新展開、と言っていいような内容でした。

前作『Post Pop Depression』は、間違いなくイギーならではの作品です。ボウイとの協業の中から歴史に残る名作『The Idiot』や『Lust for Life』(しつこいようですが映画「トレインスポッティング」のアレ)を生み出したイギーでなければまず制作できなったものです。

ただ、ある程度、バックを他人に任せた『Free』は、正直『Ready to Die』と制作過程が似ているようなこともあり、内容的にも「これって、新生ストゥージズでも多分できたよなあ。別れることなかったじゃん。」と思ってしまうところもあり(レロン・トーマスがスティーヴ・マッケイで、サラ・リップステイトがウィリアムソン)、「なんか惜しいなあ」と思いつつ『Free』と『Ready to Die』を交互に聴いている今日この頃です。

ちなみに新生ストゥージズはもう解散しています。
イギーは『The Weirdness』以降は「ストゥージズは昔の曲を演奏するバンド」割り切っていたようで新作の制作にも、これをライブで演奏する事にも乗り気でなく、更にウィリアムソンと元々あんまり反りが合わなかったこともあり、さっきもちょっと書きましたが『Ready to Die』の制作も基本彼にお任せで、更にリリース後に半年くらいのツアーをしてからしばらく休養しちゃいます。
その休養中にメンバーが次々と亡くなってしまったり、ウィリアムソンと彼のソロアルバムについて揉めたりするという状況になって「もう終わり」と決めたようで、集大成『Post Pop Depression』の制作に入ります。意外なんですけど、公式にはこの時はまだストゥージズは存続していたんですね。
その『Post Pop Depression』のリリース後に2人して、別々の機会に「ストゥージズはもう終わり」と宣言して終わっちゃいました。
でも、その後にリリースした『Free』が、ウィリアムソンとの協業とそれほど方向性が違ってないように聞こえるという点に「別に続けてもよかったじゃん」と古老ファンとしてはモニョっている訳です。
ジェームズ・ウィリアムソンのギター、好きなんですよねえ。
ただ、イギーとしてはその辺もある程度分かっていると思います。そういう意味では「ウィリアムソンとは二度と仕事しない」という意思も表しているのでは、と感じられ、若干の寂しさも感じる次第です。
いくら優秀でも、反りの合わない人と詰め詰めで仕事したくないでしょうしねえ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?