見出し画像

「民謡ジャズ・ブームの立役者はクラシック?」 現代ポーランドにおけるジャズとトラッドの関係③

世界中の映画アワードを受賞しまくっている『COLD WAR あの歌、2つの心』の公開と、「農村マズルカ」をリヴァイヴァルさせた気鋭のヴァイオリン奏者Janusz Prusinowski ヤヌシュ・プルシノフスキの来日公演もいよいよ来月に迫ってまいりました。

遠い日本にポーランドの音楽大国ぶりを教えてくれるこの2つの催しは、特にこの国のトラッド・ミュージックに深い関係があります。というわけで、僕はジャズを通して見た視点からポーランドのトラッドをご紹介することにしました。

それではじめたのがこのシリーズ「現代ポーランドにおけるジャズとトラッドの関係」です。この記事は、シリーズ全4回のうち第3回目の記事となります。

シリーズ第1回目で、ポーランドで特に発展しているジャンル「民謡ジャズ」についてご紹介しました。このジャンルの特徴は、ベテランが懐メロ的な感じでやっているのではなくて、アラサーくらいの若い世代のミュージシャンたちが「今の、最先端の音楽」として取り組んでいるということです。

また、トラッドのミュージシャンも同様に若くて鋭いセンスの人たちが活躍しはじめており、ジャズや他のジャンルからいろいろ吸収してミクスチャーなトラッドを作っているということを第2回で書きました。

今のポーランドにおいて、ジャズとトラッドは双方向の濃いやりとりがあり、影響を与え合ってどんどん進化しているんです。

「へええ」と感心してくださった人も多かったと思いますが、一方で「どうして他の国はここまで民謡ジャズが盛んにならなかったのだろう?」と疑問を持った方もいらっしゃるのではないでしょうか。

たとえば僕たちの国日本も、豊かな伝統音楽のカルチャーがあって、そして若くて非常に優秀なジャズ・ミュージシャンたちがいるわけですよね。でも、ポーランドのようにはならない。

70年代くらいには、今では「和ジャズ」と呼ばれてコレクターたちの垂涎の的になっている日本版民謡ジャズがそこそこ盛り上がりましたがブームはすぐ下火になり、今は民謡ジャズ的なものに真剣に取り組んでいる若手はほとんどいないと思います。

最近は「音頭」とかが盛り上がってきているので、やがてジャズとの交流がはじまって、新世代の日本版民謡ジャズが生まれるのかもです。ただ、どちらかと言うとジャズ・ミュージシャンがトラッド側に入り込んで触媒となる、第2回でご紹介したようなもののほうが増えそうな気がします。

では、ポーランドと他の国の何が違うのでしょうか。僕は、その謎を解くカギがクラシック音楽にあると考えています。古くから伝わるトラッドと、現在最先端のジャズの間にクラシックがはさまることで、民謡ジャズというミクスチャーなジャンルが生まれたのです。

では、この国のクラシックのどういうところが、民謡ジャズを生み出すバックグラウンドになったのでしょうか。大まかに言うと、2つの要素があります。

1.トラッドを題材にしたクラシック作品が数多く存在する
2.ほとんどの若手ジャズ・ミュージシャンがクラシック教育を受けている

まず1.について見ていきましょう。ポーランドの大作曲家と言えば何と言ってもショパンです。彼は「マズルカ」や「ポロネーズ」など、ポーランドの民俗音楽のリズムやメロディをベースにした作品をたくさん生み出しました。

彼が活躍した当時の音楽先進都市パリにおいても、そのピアノの技巧と作曲技法は最先端の、新しいものでした。そうした技術とポーランドのトラッドの要素をミックスさせて独自のサウンドを生み出すって、現代のポーランドにおける民謡ジャズとやっていることはほとんど変わりないと思うんです。

2014年から4度ポーランドに行きましたが、現地のジャズ・ミュージシャンと話していると、そのうちの誰かと必ず、あるコンポーザーの話題になるのに気づきました。それはKarol Szymanowski カロル・シマノフスキです。彼は20世紀前半に活躍しました。

彼について話したミュージシャンはみんな「シマノフスキこそが、いちばんポーランドらしい、この国のキャラクターを体現した作曲家だ」と言ってました。シマノフスキは特にポーランド南部の山岳地帯タトラ地方の伝統音楽に着目し、そのリズムやメロディを引用した作品を多く残しています。

実はシマノフスキは本国でもしばらくは忘れられていた作曲家で、1989年のポーランドの民主化以降に「再発見」された人です。同じように最近再発見が進んでいる作曲家に、ポーランド共和国の初代首相を務め、名ピアニストとしても知られたIgnacy Jan Paderewski イグナツィ・ヤン・パデレフスキがいます。

今度来日するヤヌシュ・プルシノフスキをはじめとした、1990年代以降の現代ポーランドで人生の大半を送った「ポスト資本主義時代」のミュージシャンたちは、多かれ少なかれ「ポーランド音楽のアイデンティティって何だろう」という問いに向き合っています。

ヤヌシュ・プルシノフスキにとってはその答が農村地帯のマズルカだったのでしょうし、同じようにシマノフスキやパデレフスキ、ショパンの中にポーランドを再発見した人も多かったのでしょう。

たとえば来月公開される『COLD WAR あの歌、2つの心』の監督Paweł Pawlikowski パヴェウ・パヴリコフスキは、舞台のモデルのひとつとなったマゾフシェ民俗舞踊合唱団を子どもの頃から知っていて「だせー」と思っていたそうです。しかし撮影にあたりその音楽にはじめてしっかり向き合って、素晴らしさを再発見したと語っています。

ちなみに、ポーランド音楽を代表するヴォーカリストAnna Maria Jopek アンナ・マリア・ヨペクのご両親はマゾフシェ民俗舞踊合唱団のメンバーでした。

1990年代以降のポーランドの音楽(&アート)シーンでは、このようなアイデンティティの再発見がたくさんあったのです。

さて、ポーランドは現代音楽、英語で言うところのいわゆるコンテンポラリー・クラシカル・ミュージックの先進国でもあります。グラジナ・バツェヴィチ、ヴィトルト・ルトスワフスキ、クシシュトフ・ペンデレツキ、ヘンリク・ミコワイ・グレツキ、ヴォイチェフ・キラルなどなど世界的コンテンポラリー・コンポーザーを多数輩出しているのです。

また、ポーランドは1956年に共産圏国としては初の現代音楽専門フェスティヴァル「ワルシャワの秋」を開催したことでも知られています。このフェスは現在も続いていて、上でご紹介した作曲家たちをはじめ、それぞれの時代において斬新な音楽性を持つ若手の登竜門となりました。

現代音楽と言うと難解でノイジーな音響系か、フィリップ・グラスなどのミニマル系を思い浮かべる人が多いでしょうが、ポーランドの作曲家たちの特徴は、やはりトラッドを引用した作品に挑戦した人たちが少なくないということだと思います。

このように、現在の「民謡ジャズ」の一歩手前に「民謡クラシック」的なトラッドを題材としたクラシック作品の一群があったわけです。こうしたバックグラウンドがジャズ・ミュージシャンたちに音楽教育によって確実に引き継がれます。これが2.の部分ですね。

ポーランドの場合、アラフォー以下世代のジャズ・ミュージシャンのほとんどがクラシックをみっちり学んだ音楽エリートです。ジャズだけでなく、ラッパーやポップ歌手、メタル系でもそういう人は珍しくありません。ECMからの諸作で世界的な人気を集めているピアニストMarcin Wasilewski マルチン・ヴァシレフスキは僕の雑誌用インタヴューで、

「僕たちの国のジャズは、クラシックを学んだ先にあるものだ」

と断言していました。今、日本には挾間美帆や石若駿などのアカデミックな教育を通ってきたマルチタスクなジャズ・ミュージシャンが増えてきましたが、たとえて言えば、ポーランドではジャズ畑のほとんどが挾間や石若のような人たちなのです。

となると当然ジャズ志望の若者たちはクラシックを通して「トラッドとのミクスチャー」を学ぶことになりますよね。伝統音楽を題材としたクラシックの名作に触れることで、彼ら彼女らが自分たちの時代の、自分たちの音楽語法「ジャズ」を使って、同じようなスピリットを持った作品を作りたくなるのは、自然な流れなのではないでしょうか。

昨年発売された作品に、そうした歴史の流れを象徴するようなアルバムがありました。クラクフ出身で、今やこの国の音楽好き若者にとってカリスマ的な人気を持っているピアニストPaweł Kaczmarczyk パヴェウ・カチュマルチク『Kaczmarczyk vs Paderewski : Tatra』です。

このアルバムはなかなか言葉で説明しにくくて、タトラ地方の伝統音楽の要素を取り入れた作曲家イグナツィ・ヤン・パデレフスキ(上で紹介済み)の作品を引用しつつ、ヒップホップやビート・ミュージックのグルーヴ、DJ、ジャズ・ピアノ・トリオ、オーケストラなどをミックスさせるという、いろんな意味で複雑な構造を持っています。『「トラッドを引用した民謡クラシック」を引用した民謡ジャズ』的な感じでしょうか。

でも、一言で言うと「現代ポーランドでしか生み出すことのできない、トラッド、クラシック、ジャズの三位一体ミクスチャー音楽」ということになると思います。そして、この作品もまた広義の民謡ジャズです。

というわけで、ポーランドの民謡ジャズ・ブームは、クラシックの作曲家たちによるトラッドへの盛んな言及がバックグラウンドになっているんですね。この国では、トラッドはトラッドそのものとして演奏される以外に、クラシックやジャズの水脈でも受け継がれているというわけです。

さて、いよいよ次回はこのシリーズ「現代ポーランドにおけるジャズとトラッドの関係」の最終回です。今月25日に更新します。記事公開から間もなく、6月になればヤヌシュ・プルシノフスキも来日しますよ! 

投げ銭制です。面白かったという方は、ぜひ応援よろしくお願いいたします。いただいたお金は資料の購入費、活動費などに充てさせていただきます。

ここから先は

0字

¥ 100

フリーランスのため、みなさまのサポートは取材や執筆活動の貴重な経費とさせていただいております。また、サポートいただくとものすごく励みになります。最高のエネルギーです。よろしくお願いします。