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「他者と働く」は「他者と生きる」ことと同義なのではないか

以前、といっても7年前ぐらい前に東北で出会った原田優香さんが主宰するトークイベント「他者と働く」にオンラインで参加しました。

東北で出会ったときは違う文脈で出会ったのですが、今では場づくりを含めてさまざまなことをフリーランスとして行っているようで、とても興味深い活動を行われています。

原田さんとは、12月中旬に奈良で場づくりのイベントでご一緒するので、それも楽しみなんですよね。

さて、表題の件です。昨日参加したオンラインイベントは「他者と働く」がテーマでした。

他者が紡ぐ「ナラティブ=物語」との関係

昨日の序盤ではナラティブというキーワードが頻繁に登場しました。ナラティブとは物語のこと。

相手を思いやる、相手のナラティブを尊重することは大切なことですが、それを意識するあまり、自分をないがしろにしてしまったり、気づけば家族や恋人に求める期待感のようなものを同僚に求め、思ったような反応が得られず失望したり。

異なる価値観を持つ他者と仕事という媒介を通して交わるなかで、私たちは普段何を意識し、どう行動しているのか。それぞれの意識について共有する時間が持たれました。

仕事上の関係として割り切った関係なのか、それとも一歩踏み込んだ関係を求めるのか。

自分と合う人、合わない人に対して不安を伴うなかで、導入としてどのような会話を行い、その後それを発展させるのか、させないのか。

自分の心の出し具合を探りながら、自分自身のありかたを同時に探していく。

つまり、対話というものが、他者と働くうえで可能になれば、楽な状態で働けるのではないか。

昨日の「他者と働く」では、自分という存在と他者という存在の関係性を考える有意義な時間となりました。

原田さんによる場づくりに参加するのが、また楽しみです。

いただいたサポートは、さらなる勉強として本代に充てさせていただきます。