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【素人時代小説】忘れられぬ光(第三章 月光に浮かぶ④)


 代々、郡代を勤めてきた松林家の惣領である松林隼人は、十九で郡方勤めとして初出仕したあと、三年で本村川沿い一帯の代官に昇進した。代官就任後は村々をよく治め、名代官として知られたようである。中でも松林の功績として語り継がれているのが、藩金の貸付だ。
 当時、代官所に配分される資金は少なく、代官が実費で運営費や手代への扶持を賄っているという実情があった。それが年貢米の過徴収や豪農からの献金取り立てに結びついていると踏んだ松林は、藩金を農村運営費として庄屋に貸付、その一割を利息として取り立てるという案を進言した。
 上で揉まれた後、とりあえず本村川沿い一帯において総額五百両の藩金貸付が許可されると、松林は早速、小田村を初めとする代表的な村々五村に百両ずつを貸し出した。これが先ほど仙助と確認した小田村の借入金である。
 藩金貸付は村々にとっても思い切った農村経営ができ、また代官からしても決まった額の金を回収できることから、両者にとって得る物の大きいものだった。松林は、徐々に年貢の徴収を本来の姿に戻し、豪農からの献金という名の金銭搾取もすっぱりと断ち切った。
 その後、本村川沿い地域の代官所運営は軌道に乗り、藩金貸付も額が七百両増やされ、一帯の村々は藩でも欠くことのできない富農地帯へと変貌していった。そうした松林の手腕は上層部でも高く評価され、今では藩金貸付は藩内の八つの代官所すべてで行われるようになっている。
 本村川地域の代官を四年務めた松林は、政変をはさんで後、父親の職を継いで郡代に進んだ。既定路線とはいえ、二十六の若さで藩農政を一手に握る役職へ出世した事例は、過去にもあまりないことであった。
 郡代に就任した松林は、さらに斬新的な政策を推し進める。
 元々山地が多く、田を切り開く場所が限られていた藩内において、米以外の収入源を確保することは長年の課題だった。そうした中、藩の南部に、櫨(はぜ)と楮(こうぞ)を植えて商品に加工している地域があった。名を佐々部という。佐々部の百姓たちは商人から買い入れた米を年貢として藩に収め、田で取れた米は自分たちで食するなど、他の地域とは異なる生活を続けてきた。それも櫨と楮による収入が安定をもたらしていたからである。
 松林が目を付けたのはそこだった。
 商品作物の植え付け奨励を上と掛け合って認めさせ、藩全域の村々に櫨と楮を植えるよう布令を出した。藩としても櫨の苗木五千本、楮の苗木八千本を仕入れると、各村にて植え付けを行い、苗木代の返済は商品として収入を得られるようになって後、収入の一部を藩に収めることという措置をとった。同時に松林は、佐々部地域の櫨蝋、楮紙の上方商人との取引を積極的に行うことで販売経路を確立し、佐々部地域の収入を二倍に増やした。特に紙の方は、上方から江戸にまで流れるようになり、一斉に植えつけた苗木が商品として利用できるほどに成長した頃には、藩の和紙は全国でも名が知られるほど価値が付くようになったのである。
 藩がそれら特産品の販売で莫大な金を得たことは言うまでもあるまい。藩内の百姓が比較的豊かに暮らしているのは、年貢を蝋や紙で納めることを認められているからでもあった。
(いかにもあいつらしい。)
 緻密に計算された政策だ、と甚左衛門は思う。
 おそらく実行に移すまでに、ありとあらゆる事態を想定した予測を繰り返しているに違いない。藩にとって損がなく、なおかつ自分の評価を高めるような派手さがあることを認識したうえで、松林は上に進言したのだ。松林とはそういう男である。
 だが、松林の政策はすべてがうまくいったわけではなかった。特に中老に昇ってからの失政には目に余るものがある。
 郡代を五年、勘定奉行を二年務めた後に執政入りした松林は、まず、忠左衛門堰の新田開発でつまずいた。その後、紙の生産で有名な美濃へ百姓を派遣し、技術を持ち帰らせて農村での生産力を高めるなどの善政も行っているが、家老になって行った港の開発計画は、これまた明らかな失敗に終わる。
 ちなみにこの港の開発計画とは、城下の東五里の三田村付近に大規模な港町を形成し、上方や江戸との取引を集中させようというものであった。が、その工事は、付近の潮の流れが複雑なうえ海底に巨大な岩がいくつも転がっていることが判明したことから、付近の土地が更地にされた段階で白紙に戻されている。
(権力に目が眩んだのだ。)
 金や権力が集まる場所に身を置くと、通常の思考ではいられなくなる、と聞いたことがある。誰に聞いたのだろうか、確か下男の伊兵衛に松林の失態を罵って聞かせた時に言われた記憶があったが、いずれにせよ、人が金や権力に取りつかれるという話は真実らしかった。松林の失敗の数々は松林にしては安易に飛び込みすぎている。その代償として藩内の多くの人が困窮させられたのだ。
(代官や郡代を務めていた頃だって……。)
 悪政を行っていなかったとは言いきれない。
 そう確信していたがために、甚左衛門は村々を廻り、松林の過去を探ったのである。
 ひょっとすると、忠左衛門堰の新田開発で消えた二千両の行方も、手がかり程度であれば見つかるかもしれないという期待もあった。が、案に相違して、行く村々で会うのは松林を神のように崇める百姓たちの、表情を輝かせて家老を語る姿だった。
「松林様は、私たちのことをよく理解してくださいました……。それが」
 田守仙助の話を聞くとはなしに聞いていた甚左衛門は、
「それが?」
 と聞き返しながら、捲っていた帳面のある箇所に目を止めた。
「ん?」
 慌てて次の年の帳面を捲る。そこにも同じ文言が書き込まれていた。
「これは?」
 問題の箇所を差して仙助に見せると、小田村の庄屋はたちまちに表情を曇らせた。
「そのことでございます。私には残念でなりません」
 甚左衛門が示したのは、城下の富商常盤屋から小田村が借入れた金の額と、その返済額である。借入額は五百両にも上った。
「常盤屋からも借金しておるのか?しかもこんなに多く」
 甚左衛門が問うと、仙助はうなだれたまま畳の継ぎ目を見つめた。
「利息は?えぇと、二割?こりゃ高利だ」
「……」
「どうして常盤屋から金を借りた?」
「騙されたのです」
 言うと、仙助はぽつぽつ語りだした。
 美濃への百姓派遣に小田村からは二名を送った。それらが帰って来たのは二年後の冬のことだったが、先進地で学んだ技術はたちまちに生かされ、小田村の紙生産は質、量ともに前年をはるかに凌駕するようになった。それが村人たちの欲を生ませたのだ、と仙助は言う。楮の植え付けを増やし、紙漉きの機材を大規模なものに換えれば、もっと利益を生むことができるだろう。誰もが希望に目を輝かせてそう信じていた。
 だが村には金がなかった。いくらかあった蓄えではとても足りず、また次の藩金貸付までには四年もの歳月を待たなければならない。今までの生活で我慢するしかない、そんな諦めが村内を覆い始めていた頃、ひょっこり訪ねてきたのが城下で紙問屋を営んでいる常磐屋萬蔵であった。
「常磐屋さんは、松林様から頼まれたと言いました」
 楮紙の上方販売で手腕を発揮した常盤屋萬蔵は、大坂や江戸にも支店を出すほどの豪商になっていた。そんな常盤屋が持ち込んできたのが金の貸付である。常盤屋は松林から、「紙の生産は藩でも重要な産業でぜひ奨励したい。が、藩金貸付の期限を変更するわけにもいかず困っている。そこで常盤屋の方で村々への金の貸付をお願いできないだろうか」と持ち掛けられたと語った。
「もちろん村全体で話し合いました。ただ、松林様のお名前が出ている以上、信用できるものだと誰もが疑わなかったのです」
 小田村は常盤屋に金を借りた。紙の生産が軌道に乗った時期でもあったから、全員がすぐに返せるだろうと考えたようだ。が、紙生産の方は新しい機材を入れた後も思ったほどには伸びず、借金は利息分を払うのがやっとという有様になった。元金の返済に手を付けられるのは、借りた金で植えた苗木が成長してからになるだろうとのことである。
「騙したのは常盤屋さんです。松林様がかようなことをなさるとは思えません。ただあの時は信じてしまった。欲に憑かれた私たちが愚かだったのです」
 仙助は赤くなった目を甚左衛門に向けた。小田村の庄屋は、あくまでも家老の肩を持つつもりらしい。
「ふむ」
 話を聞き終えた甚左衛門は顎に手をやった。伸びた髭が指の中でじゃりじゃりと鳴る。
(匂うな。)
 甚左衛門が考えているのは、常盤屋と松林の繋がりだ。
 常盤屋はなぜ松林の名前を出したのか。もし仙助が言うように騙り(かたり)だったとすれば、勝手に家老の名前を持ち出すなど言語道断。露見すれば首が飛ぶだけでは済まされない。そこをあえて松林の名を持ち出したあたり、常盤屋にはよほどの自信があったのだろう。
 それに百姓が美濃から帰国してすぐに常盤屋が訪れていることも引っかかる。常盤屋はどこからその報せを仕入れたのだろう。郡方勤めの甚左衛門でさえ、冬場は城下にいることが多いため、百姓の動向をすべて把握できているわけではない。それを常盤屋は正確に掴み、時期を見計らって金貸しの話を持ちかけているのだ。
 どうも松林を信じているという仙助の話は、絵空事のように思えてきた。やはり常盤屋と松林が繋がっていると見るのが自然である。
「常盤屋か」
 つぶやくと、甚左衛門はすっかり冷めた茶を口に含んだ。



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