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ムチがわたしに与えた陰と陽~わたしを宗教から抜けさせたもの~

わたしが幼少期の頃、
宗教の集会所には、子供を叩くための道具が常備されており、集まりの途中にぐずったり、集中してないと叩かれた。
それは家でも一緒で、何か粗相をすると叩かれた。

いわば、恐怖で心を支配されている感じだった。
だから、集まりの途中は大人しくしておいて、空想にふけったり、ぼーっとしたりして、解離させていた。

今考えると、集まりの間じっとしていなきゃいけないのは、クソつまらない時間だったと思う。


宗教組織からは、人間を悪の道へそそのかす悪魔に流されないため、子供が言うことを聞かない時は「愛のムチ(打つこと)」が必要だというようなことを言われた記憶がある。

子供ながらその考え自体は、そういうものか、と受け入れていたと思うが、単なる躾以上に、母親が怒りのまま叩いているのではと感じることもあった。


母はエモーショナルな人だった。
宗教の集まりや、布教活動の最中は穏やかで笑顔なのだが、
家で一回切れると狂ったように物を使って叩き出す。

恐らく体罰を推奨する宗教の教えと、母の持っていた傷が合わさって、そうなってしまったのだろう。

例えば些細な兄弟喧嘩をしたり、学校への提出物を忘れただけでも、スイッチが入った時には、執拗に叩き続き、その時の顔はどう考えても正常ではなく、狂いイッてしまっていた。

その様子に、「これは躾を超えた理不尽さ」と、自分の中でも違和感を感じていたのだろう。


反抗は一度もしなかった。
反抗してもっと叩かれても嫌だし、ある程度大きくなった頃には「話しても分かってくれないから無駄」と、対話をする気持ちすら湧くことがなかった。

そうやって小さいころから、常に自分の言動、そして周りに注意を払い、考えてから行動し、本音など親に話すことなんて皆無だった。


とはいえ、やられてきたことへの鬱憤は溜まっていたようで、
イライラはつのり、中学生の頃には、すっかり宗教の集まりにも布教活動にも、やる気が失せてきた。

そして、ある時プツンと切れた私は「もう(組織の集まりには)行かない」と母に言い、ドロップアウトした。


それは母への『復讐』のためだった。

子供が組織から抜ければ、きちんと育てられなかった人と周りからレッテルを張られる、噂をたてられる。

「そうやって恥ずかしい思いをしろ」
ざまあみやがれ。そんな憎しみからだった。


私を打ち叩いた痛みは、数々の怒り、悲しみ、憎しみを生んだが、最終的には、わたしを組織から引き剥がすトリガーとなった。


組織から離れてしばらく経ってから、ふと考える。
もし母親が穏やかで、激しく打ち叩く人でなかったら?

私が話すことに耳を傾けてくれて、
「そっか、そういう風に感じていたんだね。じゃぁ神様はどのように言っているのかな?一緒に聖書を読んで見てみようか」
と、寄り添い、私を否定することなく対話をする人だったら?

わたしは、気持ちを受け入れられていることに安堵を覚え、
素直に母親の言うことを聞いていたと思うのだ。
そして、今も組織にいたと思うのだ。

その人生もそれなりに幸せだったと思う。
いつかもらえるんだという「永遠の命」と「平和な世界」という希望を持ち続けられるし、活動をしている限り仲間がいて孤独を感じることもない。
深いことさえ考えなければ。余計なことさえ考えなければ。

だが、わたしは外の世界に出た。
図らずとも、ムチという虐待は、傷と同時に、わたしが『わたしの人生』を生きるための道を与えたのだった。

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