春の花

得られたものはその時わからなくてもいい

こんにちは。ちほです。
気がつけば4月も半ば。下諏訪はずっと寒い日が続いて、この前は雪が降って目を丸くさせられたりしましたが、やっと春めいて暖かくなってきました。1ヶ月弱の女将修行もあと少し。あっという間です。

今日は自分の備忘録的に思っていたことを文章にしてみようと思います。
時間があったら、どうぞ読んでやってください。


「そのとき見える結果」って全てじゃない

日々いろんなゲストさんと関わっていると、旅の話なんかがかなりの頻度で出てきたりして、私がベルギーに行った時のことを思い出しました。
高円寺のお友達に触発されて、私も海外一人旅をしたい!って思って、大好きなお姉さんが話すその景色に憧れて決めたベルギー一人旅。

その当時の私の海外経験って、何ヶ月か前に仲間たちと短期間で行った台湾だけ。それが初めての海外旅行だったから、ベルギーに一人で行く(しかも旅行会社とかを使わず)なんて私の決断は両親を大変不安にさせました。
でも、私は行きたかった。なんか特別な理由があったかというとそうでもなかったし、夏休み!海外旅行!って、なんとなくそれ自体への憧れもあったんだと思う。理由を後付けて、「これからの自分の仕事に活かせるコミュニケーションの勉強になれば」なんて言ってみたりもしていました。
ところがいざ行ってみたら一人ごはんが寂しくて一週間のうち3日目くらいで「もう帰りたい…」とすら思ってた。日本に帰ってきても、楽しかったといえば楽しかったけど、お寿司がやっぱり美味しいし、言葉の通じる人と過ごす毎日の方が楽しかった。

しばらくして、私ベルギーに行った意味ってなんだったんだろうって考えた。パッと「これを得られた!!」って言えるものがなかったから。たかが海外旅行なんだから、楽しかったでいいじゃんという人もいるかもしれないけれど、1週間自分の休みとお金を使ってしたことに、なんとなくそうは思えなくて(両親にも心配かけてしまったし)。ただ、なんとなく「行ってきてよかった」って思ったし、一人でじゃなくてもいいけど、「また行きたいな」って思えるようになってた。

そんな時に浮かんだのは、単語を並べただけの下手くそな私の英語で気持ちを汲み取って行きたい駅までの往復チケットを売ってくれた駅員さんの笑った顔とか、初めて見た海外の海の色とか、気さくな帽子屋さんが笑って教えてくれたご飯屋さんとか、そこのムール貝が食べきれなかったこととか、グランプラスのど真ん中でのPAD(高円寺で出会ったドイツ人)との再会とかだった。初日の夜、適当に歩いてたら見つかったグランプラスのキラキラした雰囲気に胸がいっぱいになったことも、やっと見つけて食べたお米が冷たいのにすごく美味しく感じたことも思い出した。人の笑顔とか、親切にしてくれたこととか、目に見えた景色のその色とか、全部自分の目で見た景色。耳で聴いた音。コミュニケーションをとって得られたこと。忘れられないことが、いつの間にか自分の中にちゃんとあった。そうか、これでじゅうぶんなんだなって素直にそう思えた。
そこで得られたいろんな自分の中に残ったものって、どんな意味って明言できなくても私の糧になってるんだなって思えるようになりました。


起きてること全てには意味がある

そんなわけで、今回の女将修行に関しても、今の時点で「きてよかった!」って、それはもう日々感じることがとっても多いんだけど、きっと後々にもっと今のいろいろが自分の糧になってるんじゃないかなって思います。思うっていうか、確信がある。むしろ、やってよかったんだろうか、と思うことすら、後に絶対意味を成してくれるものなんだなって今は思えるようになりました。自分の足を運んで出会ったことって、絶対無駄にならない。

だから、なんのためにこれをやってるんだろうって思った時に戻ることができる自分の軸は必要だけど、たまには何にも縛られない何かをやってみてもいいなって。それもちゃんと何かしらの意味を持ってくれると思うから。

何年私が生きるかは私もわからないけど、今日いまこの時はもう二度と返ってこない。「後悔しないようにいまを生きる」っていうのはよく言うけど、なかなかそれは難しいこと。だから、“後悔してしまったその時もこれからの人生に必要なその時かもしれない”。そんな風に、自分も人も許していけるような私でありたいなと思います。


春、1年のうちでなんとなくふわふわしていて浮ついてしまうけれど、そんな自分も楽しみながら残りの下諏訪の生活を過ごしていけたら。少しずつ文章書くことにも慣れていきたいなあと思う日々です。



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