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もの書きになりたかった私のnote



小学生の頃、お父さんのおさがりでもらった自分だけのPCに、原稿用紙ソフトを入れた。

10行書いた。

気づいたらそのPCは、当時流行っていたアメピグをこっそりやるための機械になっていた。


そんな私がすくすく育って10年。

再び筆をとる(というより文字を打つ)ため、ゾウさんより重い腰を上げました。


私と言葉

バンドを始め、創作をして人前に出すということを本格的にやるようになってから、
私のiPhoneのメモ帳にはとにかく思ったことや考えたこと、感じたことを乱雑に書き殴っておくようになりました。
今思えば、小学生の頃の「もの書きになりたい」という夢は、そうやって頭の中を言語化したかったからなのかもしれません。

それらは誰に話すこともない、平凡な日常の一片です。

私の中から飛び越え、バンドメンバーが色彩をつけてくれたことで曲になったものや、
人様の目に入れられるよう整え、弾き語りの歌詞にしたものもあります。

とはいえ、その大半はまだ私のメモ帳に奥深く潜ったまま、どこに出ることもなく、ただ私だけのものです。


私は言葉を大切にしています。
人が人間であるための、尊く力強い道具だからです。

私は言葉を紡ぐことが好きです。
いつでもいろんな思考でいっぱいの頭の中が、外に出すことで私自身から切り離され、大切に眺めることができるからです。


私と表現

最近は表現についてよく考えていました。

目に見えるものも見えないものも絵にする人、
流れ続ける「時」の瞬間を切り取って写真にする人、
自身の肉体を最大限に使って踊る人、、、

挙げたらキリがないほど、いろんな手法を凝らして何かを表現する人たちがいますね。

表現には大きく分けてふたつ、
・テーマをもって、それを自分の持ち得る手段であらわす
・突拍子もなく個から湧き出たものを、自身の持ち得る手段であらわす
という側面があると考えます。

私自身、ただただ強く、何かを表現したい、と思い続けて生きてきました。
上に挙げたふたつの側面で限ることなく、そして誰に向けたものでもなく、数多くいる表現者のうちの一人として、何かを表現したい。
漠然とした、それでいて確固たる私の思いです。
極論、手段はなんでもいいのです。


そんな私が初めて本格的にやり出した表現が、Antiageというバンドでベースを弾くことでした。
音楽が大好きで、私の出す音とメンバーの出す音が混ざり合ってひとつになる瞬間はたまらんものです。
とはいえ、最近では、「私」としての表現もしたいと強く思うようになりました。

バンドとはなんとも珍妙なもので、個々の人生や人格、考えが混ざり合い、一つの人格を作ります。そして個体一つでは成し得ない力強さを持って、音楽という手段で表現をします。
Antiageという人格が形成される以上、「Antiageが表現したいもの」と「私自身が表現したいもの」は、全くのイコールでは結びつきません。
バンドとして成長していくにつれ、「Antiageが表現したいもの」を深く考えるようになり、そうしていくうちに「私自身が表現したいもの」が姿をあらわにしだしたのでしょう。


そこで私は、10年前の私の夢を引き継ぐことにしました。
10行書いて終わってしまったその続きを、言葉というずっと大切にしてきた手段を使って、今の私の持ち得る力で、表現してみたくなったのです。

そして長い間眠らせてきたメモ帳の中身たちに、きちんと日の目を見せてやろうと思ったのです。



長々と大層なことを書き綴りましたが、
これは私の決意表明です。

繰り返しますが、私の腰はゾウさんより重いです。そんな私がなにかを始めるというなら、それはそれは余計なことまで考え尽くしてやっとこさ出した決断です。

まずはそんな決断をここに残しておこうと、記念すべき初投稿に記しました。

今後は、こうした大事のようにごにょごにょと考え尽くした自分論をおっぴろげることもあれば、
なんてことはない日常ブログ、感受性豊かな私が繰り広げる詩、などなど、書きたいことを思いのままに書き殴っていきたいと思います。

いやそれ、さっき綺麗な感じで描いてたけど、
書き場所がメモ帳からnoteに移っただけやないかい!

更新頻度は知りません。読みたいのに全然更新されなかったらケツ叩いてください。

ほしちゃんを知っている人も知らない人も、
ここまで読んでくれてありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願いします。

以上

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