見出し画像

帰り道はどっぺり坂を転がってーpanpanya『おむすびの転がる町』(白泉社)

海の見える学校に通っていた。
晴れた日には、佐渡島がよく見えた。
太陽が赤く燃えながら沈む夕日が1日の終わりと放課後の世界のはじまりの合図。沈んだ太陽はどこにいくのだろう。海に飲み込まれるのか、地球の反対側を照らしにいくのかな。

まっすぐ帰ることが、なんだかもったいない気がして嫌だった。

きっと何かを見逃している。
きっと何かに気づけないでいる。
きっと何かに出会えるはず。

常にこんな気持ちがわたしの中に居座っている。
目的を持って、ある場所に行っても、その目的を果たした後に、すぐにその場を離れることが、どうしてももったいなく感じてしまう。
あぁ……もう電車に乗って帰ってしまおうと思う時もあるけれど、いやいやちょっと待てよ、やはり「きっと」を逃すのは惜しい、やっぱりもうちょっと歩いてみようかな。と、まあ、こんな具合である。


放課後の世界は、「きっと」を探し求めるのに最適な時間だった。
本当はバス通学のくせに、わざわざ歩いて家まで帰った。学校から少し歩いたところに、「どっぺり坂」という坂があった。この奇妙な名前が好きで、密かに、この坂道を自分の下校ルートの定番にしていた。
「しょうこ〜、一緒に帰ろう」と誘われても、いや、今日はどっぺり坂をくだりたいと思えば、友だちの誘いすら断る始末である。だって、今日は、絶対にこの坂道を歩かなくてはいけない気がするから。

どっぺり坂は、新潟市の西大畑の新潟砂丘の斜面にある。なんでも、以前は、坂の上に旧制新潟高校(のちの新潟大学)の寮があり、学生たちが夜な夜なこの坂をくだって古町などの繁華街まで遊びに出かけていたそうな。しかし、そんなに坂をくだって街で遊び惚けてばかりいたら落第するぞ、ダブっちまうぞという戒めの意味を込めてドイツ語で二重という意味の「doppel」を拝借し、「どっぺり坂」と呼ばれるようになったそうな。

なるほどね、だけど、当時のわたしにとっては、大学生が落第することには興味はなく、「どっぺり」という音から、見えていないけど、きっとどこかにある世界の入口、人間じゃないけど、生きている何かが住んでいる街の一部のようだと感じて、魅了されていたのだ。「ごめん……今日は、用事があって」  そう、どっぺりに行かなくちゃいけないの。夕日が沈んで、真っ暗になる前に。

こんな子どもだったわたしは、今でも、道草が過ぎる。曳舟の斜めに傾いている中華屋の中華まんとラーメン、北千住の住宅街でこっそりしている駄菓子屋、阿佐ヶ谷のスヌーピーに見えないスヌーピーのパンを売っているパン屋、ドーハの暴れ馬、アムステルダムの旅本専門書店、ネパールの肉屋、ニューヨークのはずれのダイナーで朝ごはん……。コンクリート塀から覗くたぬきの置物、花屋だと思ったら喫茶店だった、一面に広がるたんぽぽ、カゲロウが飛び交う森、雪山のソフトクリーム……もはやどこで見た、何だったのかわからないけど、鮮明にイメージが浮かびあがってくる光景たち。すべて、道草のはてに、たまたま発掘することができた場所と光景だ。

panpanyaさんの漫画との出会いも、道草で立ち寄った本屋さんだった。確か、恵比寿のアトレの中にある有隣堂。ここの漫画コーナーは決して広くないのだけれど、いつ行っても「何これ?!読みたい」に出会えるので、お気に入り。特に買いたい本がなくてもフラッと道草する定番スポット。panpanyaさんの漫画も「何これ?!読みたい」の気持ちで手に取った。1冊読んで、「あ……これだ」と恋に落ち、それから、これまで刊行されている単行本は全て読み漁った。

『足摺り水族館』
『蟹に誘われて』
『枕魚』
『動物たち』
『二匹目の金魚』
『グヤバノ・ホリデー』


そして、ついこの間、刊行されたばかりの『おむすびの転がる町』(白泉社)。ツチノコを捕まえてみたり、ガマの油づくりの現場に行き着いたり、地下住宅街に郵便配達をしてみたり、ひたすらに菓子パンを求めてコンビニやスーパーをかけまわってみたり……そして、ネズミたちのおむすびころりんビジネスモデル。

panpanyaさんが描く漫画は「きっと」が描かれているんだと思うんだ。
「きっと」この道のあの角を曲がったらある世界を、である。
わたしが、どっぺり坂を通るたびに感じた世界をであり、
「何これ」の先に、実は広がっている日常を、である。
だから、panpanyaさんの漫画を読んだ後の散歩と道草は格別だ。いつもより視野が広がり、見る行為の深度がぐっと深まって、「きっと」の世界がたくさん見えてくる。あの角を曲がったら、ツチノコがいたり、おむすびが転がってきたりすることは稀かもしれないけれど、斜めに傾いている中華屋や、スヌーピーのようなパンを売るパン屋には実際にたどりつけた。もし、わたしがあの角を曲がらずに、中華屋やパン屋にたどりつけなくても、きっと誰かの地図の中には組み込まれている。だけど、その角を曲がらないという選択を取ってしまうだけで、わたしの地図に描きこまれることはない。実は存在している世界が、わたしの世界に入り込んでくる可能性がなくなってしまう。なんて、もったいないのでしょう!きっとある世界、実はすでに知っている世界を発掘せよ、道草をせよ。

描きこまれた背景とは異なり、あわい線で描かれた主人公は、まるで亡霊のようにも見えてくる。「きっと」の世界をさまよう様を、さらに際立たせているようにも感じる。ふわふわっと、いかなる場所や世界にも行くことができる。おばけみたいに。あなた次第で。

そうそう、忘れちゃいけないのが、panpanyaさんの日記。日々、公式サイトにアップされているけれど、単行本では、漫画と漫画の間にスッと挟み込むように掲載されている。この日記を読むと、panpanyaさんの「きっと」の世界の言語化力、翻訳力にクラクラしてくるし、欲求より好奇心をとってしまう姿に、なるほど、だからこの漫画ね、と合点がいく。五味太郎さんの絵本『正しい暮らし方読本』(福音館)の中に、「正しい買い物の仕方」というページがある。女の子がお小遣いを握りしめて文房具屋さんに行き、何を買うか迷った挙句、最終的に「何かよくわからないもの」を買うことに決めるというおはなし。panpanyaさんは、まさに、この女の子のように、よくわからないものを買ってしまう人なんだろうなあ。




すっかりあたりが暗くなってきた。
太陽が海を通り過ぎ、地球の反対側にたどりついた頃だろう。
もう、お腹がペコペコだ。
どっぺり坂を急いで転がって帰る。


「ただいまー」
玄関のドアを開けると、すでにおいしそうな料理の匂いで家の中がいっぱい。道草の後のごはんは、とびきりにおいしい。ごはんの後は、自分の部屋に篭って、放課後の後の世界の世界を楽しむ時間である。わたしの机の引き出しの中が「何かよくわからないもの」でいっぱいなのは、ここだけの話。



追伸
何も語らずに、自分の好きな本を7日間に渡って紹介する企画「7bookcovers」に参加したのだが、やはり、なぜ、その本が好きなのかを伝えたくなってくる。7bookcoversの番外編として、ここで各本への想いを綴ろうと思ったの。panpanyaさんの漫画はDAY1で選んだわ。


《関連情報》
panpanya『おむすびの転がる町』
出版年:2020年4月5日
出版社:白泉社
panpanya公式webサイト:SURMICLUSSER 

画像1



五味太郎『正しい暮し方読本』
出版年:1993年
出版社:福音館 

画像2



【プロフィール】
中村翔子(なかむら・しょうこ)
本屋しゃん/フリーランス企画家
1987年新潟生まれ。本とアートを軸にトークイベントやワークショップを企画。青山ブックセンター・青山ブックスクールでのイベント企画担当、銀座 蔦屋書店アートコンシェルジュを経て、2019年春にフリーランス「本屋しゃん」宣言。同時に下北沢のBOOK SHOP TRAVELLERを間借りし、「本屋しゃんの本屋さん」の運営をはじめる。本好きとアート好きの架け橋になりたい。 バナナ好き。本屋しゃんの似顔絵とロゴはアーティスト牛木匡憲さんに描いていただきました。



【こちらもよろしくです】
わたしたちの南方熊楠―敷島書房と本屋しゃんの往復書簡
敷島書房の一條宣好と本屋しゃんの中村翔子は、それぞれにひょんなことから南方熊楠に出会った。そんな2人が、1冊の本を『街灯りとしての本屋。』をきっかけにお互いを知った。この誌面は、南方熊楠と一冊の本の縁によって出会った2人の本屋の往復書簡。

 

【オンラインブックフェアはじめました】  
ONLINE ブックフェア 映画「タゴール・ソングス」誕生記念
100年後に、この本を心を込めて読む、あなたは誰ですか?

期間:2020年5月1日〜100年後もずっと続きますように。
会場:note & 全国の本屋さん(募集中) 


【日記屋 月日さんでインド日記販売中!】

わたしが、はじめてインドを旅した時の日記ZINE『あなたが見せてくれたガンジス川ーインド旅日記』。下北沢の日記専門店「日記屋 月日」さんのデジタルリトルプレスプロジェクトによりPDF版で販売していただくことが決まりました。ZINEも引き続き、月日さんにて販売していただいています。

この日記が、あなたの「月日」に寄り添えますように。


この記事が参加している募集

読書感想文

いつも読んでいただきありがとうございます。この出会いに心から感謝です!サポートをはげみに、みなさまに楽しい時間と言葉をお届けできるようがんばります。