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浮き世をいっそのこと浮いた心で踊りましょう。ー浮世絵専門美術館 太田記念美術館@原宿

リクルートスーツを買わなかった。
リクルートバッグも買わなかった。
パンプスは履かなかった。ヒールの高い靴は苦手なの。今も。

ウエディングドレスを着た時は、真っ白いヒールの靴を買って履いた。NYのデパートで「白い靴を探しているの。ウエディングドレスに合うやつを」なーんて言っちゃってさ。照れながら。

慣れないドレスに、慣れない靴。しかも眼鏡を外してコンタクトレンズ。そりゃあもう、慣れないづくしで大変だったわ。最後には、眼鏡をしてウエディングドレス姿の写真を撮ったのだけど、その時が一番リラックスして、いい顔で写ってるんだよね。嗚呼、これが‘わたし’だって気持ちになったのを、覚えてる。

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就活の時は、母のギャルソンのスーツを借りた。色はネイビーで、パンツスタイル。背筋がピンと伸びた。よし!行くぞ!って。
就活は東京だけでした。
なかなかうまくいかなかった。

ああ、今日もダメだったなあ、内定の電話こないなあ、また祈られたよ・・・と、うちひしがれ、あくる日は、最終面接で社長と言い合いしちゃうし、ある企業では「眼鏡をとって働いてくれる?」とか言われる始末・・・。

はあ・・・。
せっかく母に借りたスーツもなんだかしわしわ。
もうダメかも。

そんな中でわたしを前向きにしてくれたところがある。
それは、美術館であり、博物館であり、ギャラリーであり、映画館、(と、彼のお家)。面接への緊張を和らげ、敗北後の凹みを次への踏み台にしようと気分を前向きにしてくれて、狭くなりそうな視野と思考をぐんと広げてくれた。わたしが、東京に住もうと決めたのも、これが大きな理由(と、彼が住んでいたからね)。新潟では体験し得ない機会がたくさんある、たくさん出会える。まだまだ青二才だったわたしは(今もだけど)、刺激的な街への憧れと、‘好き’であふれている街に癒しを求めていたのね。


その日も、就活で東京にいた。晴れた気持ちのいい初秋だった。面接が終わり、スーツに身を包んだまま、次の行き先を考える。今日はもう説明会や面接はない。まだ外は明るいし、’どこか’にいかない理由はない。生真面目に就活をしている‘風’だけど、実は、この‘どこか’探しがメインになっていたような気がする。寄り道は大切だ。

太田記念美術館「浮世絵-ベルギーロイヤルコレクション展
知らない美術館だな。浮世絵は好きだし、ここから近いから行ってみよう。
そんな軽い気持ちで‘どこか’を決めた。


原宿を歩く。思い思いのファッションに身を包み、街を闊歩する若者たち。さっきまでいた右ならえの面接会場とは真逆の世界がそこにはあった。



ラフォーレの裏側に、ありました。太田記念美術館。
原宿の雑踏は何処へやら。一歩、路地を入っただけなのに、そこ一帯には、古くから原宿という街を知っていますよという雰囲気が漂い、太田記念美術館は渋い景観と落ち着いた空気を醸しだしていた。

え?こんなところに美術館?
しかも・・・浮世絵?
ギャップがすごい。


美術館に入ると、畳敷きのスペースがあって、靴を脱いで鑑賞するの。
就活で歩き疲れた足。そっと靴を脱いで、そろえる。まじまじ靴を見ると、靴もなんだか疲れてるんだよなあ。磨いてあげなくちゃ。

畳に足が触れると、どうだろう。この安心感。だるくて重かった足が、畳の感触でふっと軽くなった気がした。そして、目の前には美しい作品たち。体も心も一気にあたたかくなってきた。‘靴を脱ぐ’というだけでも、‘こちら’から‘あちら’に行けた。ここが原宿だということはすっかり忘れ、自分が就活中であることもそっちのけで。

どれくらい滞在していたかしら。無心で展示に見入っていたわ。
すっかり、心身ともにリセットされて、しあわせでいっぱいの気持ちになった。美術館は広すぎず、展覧会を鑑賞する際の特有の‘疲れ’が生じなかった。浮世絵との距離も近くて、雲母摺り(キラキラしてるのよ!)、空摺り(エンボス加工みたいに立体感が!)やら絵師や刷り師たちの匠の技がよく見えちゃうの。


贅沢で美しい、時間だった。



見つけちゃった。
教えたい、だけど、わたしだけのものにしちゃいたい。
そんな気持ちにさせられる美術館。


美術館を出て、しわしわのスーツをパンパンっと払う。
ふっと空を見あげる。少し日が暮れていた。
疲れた靴をハンカチでちょっと磨く。
一歩踏み出す。
そこは原宿の街。


嗚呼、明日もまた面接か・・・。
だけど・・・この世が憂き世で浮き世ならば、ちょっとは心を浮き立てて踊りましょうか。そうですね、踊りましょう。ふざけて踊って、寄り道したら、ほら、こんなステキな場所にふっと出会えちゃうもの。


その日から、太田記念美術館はわたしにとっての秘かなオアシスになった。
はじめて伺った時の展示は、ベルギー王立美術歴史博物館とベルギー王立図書館の浮世絵コレクション展だったけど、同館で開催される展覧会のほとんどは、同館のコレクションで企画される。他にない視点と切口で企画される展覧会の数々、浮世絵に古さを感じさせないキュレーションにすっかり虜よ。浮世絵の専門美術館だからできること、だけど、その専門性の枠内に閉じこもってないで、扉を開いてくれて、そこまでの導線もちゃんとひいてくれる。



もしかしたら、この美術館への道は、千尋がくぐり抜けたトンネルみたいに、‘どこか’への入口だったのかもしれない。
ほんの、ひとときの神隠し。


わたしにとっての大切な場所は、そう、こんな風に見つかるの。
踊っていたらいつの間にか、ね。





《太田記念美術館について》
太田記念美術館は、東邦生命保険相互会社会長を務めた五代太田清藏(1893~1977)のコレクションを基礎として、昭和55年(1980)、東京都渋谷区神宮前に開館した、東京で数少ない浮世絵専門美術館。約14,000点にものぼるコレクションは、浮世絵の初期から末期にいたるまでの代表作品を網羅。しかも、色も美しく、保存状態に優れた作品が多く含まれていることが特徴。そのコレクションに基づき、毎月さまざまなテーマで企画展示を開催中。欧米の美術館が所蔵するコレクション展や、北斎や写楽といった有名な浮世絵師の回顧展など、大規模な浮世絵の展覧会は、さまざまな美術館で開催されて、注目を浴びますよね。そんな中、太田記念美術館は、所蔵するコレクションの魅力を新たに見出し、大規模な美術館では開催しづらい、専門館ならではの切り口による展覧会を企画し、わたしたち鑑賞者に浮世絵の魅力を届けてくれています。

公式WEBサイト:http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/
公式twitter:https://twitter.com/ukiyoeota
※同館のtwitterは、展覧会情報だけでなく、浮世絵からお茶目なキャラクターを抜粋して紹介したり、季節に寄り添った作品を説明してくれたり、まさに浮世絵の入口。浮世絵に興味ない方でもめっちゃ楽しめちゃう。本屋しゃんのオススメ。

〔予告〕月岡芳年 血と妖艶
太田記念美術館
2020年4月1日(水)~5月27日(水)※前後期で全点展示替え有
最寄駅:明治神宮前/原宿
http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/exhibition/blood-and-the-bewitching

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【プロフィール

中村翔子(なかむら・しょうこ)
本屋しゃん/フリーランス企画家
1987年新潟生まれ。本とアートを軸にトークイベントやワークショップを企画。青山ブックセンター・青山ブックスクールでのイベント企画担当、銀座 蔦屋書店 アートコンシェルジュを経て、2019年春にフリーランス「本屋しゃん」宣言。同時に下北沢のBOOK SHOP TRAVELLERを間借りし、「本屋しゃんの本屋さん」の運営をはじめる。本好きとアート好きの架け橋になりたい。 バナナ好き。本屋しゃんの似顔絵とロゴはアーティスト牛木匡憲さんに描いていただきました。https://honyashan.com/



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