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\あなたの「好き」をぶつけてください/おらゑもんさん編 「サル」が好きすぎて 第2回:おらんうーたんになりたくて。


人生は一度きり。
そう、一度きり。
だから、
たくさんの人と知り合いたいし、たくさんの場所に行きたいし、たくさんの本を読みたいし、いろんな食べものを口にしてみたいし、知らないスポーツに挑戦したいし、聴いたことの無い音楽に耳をすませたいし、似合わないはずのファッションにも挑戦したいし……と、なんとまあ欲が多い。

知らない世界をどんどん知りたい! と、日々、動くものの、やはり自分の興味関心、趣味嗜好の枠内からはみ出すのは難しい。

そこで、みなさんの「好き」を「好きなんじゃー」とぶつけていただこうと思い、「bosyu」を通じて、「好き」を募りました。

今回、届いた「好き」は「サル」です。
「好き」をくださったのは、おらゑもんさん。
ありがとうございます!!

おらゑもんさんは、「好き」が高じて動物園へ足を運ぶのが趣味となり、今では、『霊長類フリーマガジン』と題したZINEを発行するまでに「サル」への愛が深まっているとか。

わたしも、実はゴリラが好きです。千葉市動物公園にいるニシローランドゴリラのローラさんが、特に。だけど、わたしはなんでゴリラが好きなんだろう。バナナが好きだから? そう、真剣にゴリラについて考えたことがないことに気づきました。ここは、いっちょ、おらゑもんさんから「サル」への「好き」をとことん伺って、わたしも心惹かれる「サル」たちの魅力を考えたい! と思いました。

よ〜〜〜し、今回の「好き」も楽しむぞ。
レッツ、猿ジョイ(エンジョイって呼んでくださいね笑)

ところで、わたしも霊長類なんだよな、と、ハッとする。


第1回目は、おらゑもんさんと「動物園」との思い出を伺いながら、「サル」との出会いについてお話いただきました。


第2回目の今回は、おらゑもんさんのサル愛をがっつり深掘りしていきます。

あなたは鏡

なかむら「おらゑもんさんにとって、多摩動物公園で暮らしていたオランウータンのジプシーさんとの出会いが、その後のサルたちへの興味関心が深まる大きなきっかけになったことがよくわかりました。ところで、おらゑもんさんがサルたちに惹かれる気持ちは、彼ら、彼女らを『愛』しているのでしょうか、それとも『恋』をしている感覚なのでしょうか?

動物園には他の動物もたーーーーくさんいるわけですが、その中でもオランウータンのジプシーさんにグッときたのは、もはや言葉にできない一目惚れのような、初恋のようなトキメキ、直感が働いたのかなと、ふと感じたもので」

おらゑもんさん「愛や恋! 難しいですね……。ある種の直感が働いたのは確かですが、もっと隣人愛、家族愛に感情としては近い気がしています。
すぐ近くに、わたしたちの進化の隣人が居てくれている、ということに対する、不思議さや驚き、畏敬が根底にあるのかも知れません」

なかむら「愛おしさでしょうか。『守りたい』『大切にしたい』そんな気持ちに近いのでしょうか。

滝ガールという活動をしている友だちがいるのですが、彼女は『滝が彼氏だ! 滝に恋をしている!』と明言し、日夜、日本全国の滝に会いに旅に出ています。好きという気持ちにもたくさんの種類があって、その表明の仕方もさまざまだなと感じます」

おらゑもんさん滝ガールさん、凄いです。炎のような熱意を感じますね……! 愛おしい、守りたい、という気持ちは、わたしにもあります。第1回のタイトルに書いていただいたように、わたしの場合は『動物園に救われた』という感覚が原体験にあります。
はじめは、癒され、共にいる時間をただ享受する対象だったかも知れません。
けれど、知れば知るほど、『動物園で暮らす霊長類や、野生下で生きている霊長類の仲間に対して何ができることはないだろうか、何らかの形での“恩返し”ができないだろうか』という思いが募っていったように感じています」

なかむら「なるほど。家族愛のようです。わたしはゴリラと対峙する時、癒しもあるのですが、神様というか、わたしなんかよりも思慮深くて達観している存在のようで、緊張することが多いかもしれません。こんな感覚は、おらゑもんさんにもありますか?」

おらゑもんさん「どこか達観しているように見える類人たちに身が引き締まる感覚、わかります! 先ほど『畏敬』という表現を使いましたが、なかむらさんの『緊張する』感覚と近いかも知れません」

なかむら「やはり、緊張しますよね! 『畏怖』という言葉を考えるとわかりやすいかもしれません。畏まって敬うことには、恐れが伴うのですね。だから、わたしは緊張をしてしまうし、この緊張は、おらゑもんさんの畏敬の気持ちにもつながっていく。

先日、谷川俊太郎さんとあべ弘士さんの絵本『オサム』(童話屋)を読みました。谷川さんの詩『ぼくのゆめ』の中に、『いい人』という言葉が出てきます。谷川さんは『いい人』ってどんな人なのか、言葉で表すのが難しいから、誰か絵にしてくれないかなあとお話しをされたそうなのです。それにあべさんが応えて、生まれたのが絵本『オサム』。あべさんが『いい人』の応えとして、ゴリラのオサム君を描いたのです。

確かに、ゴリラを前にすると緊張するけど、『いい人』であることもとてもよくわかります。だからこそ達観しているように見えるのかなあ。ゴリラは強い優しさがあるように感じます。そう、とっても強いのに、その力を無闇やたらに振りかざすことがない。そして、静かに背中で語るの。『オサム』はとってもオススメです〜。あべさんの描く動物は、あったかくていい感じに獣の匂いがするんだよなあ」

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↑なかむらの本棚より。『オサム』(谷川俊太郎・文、あべ弘士・絵/童話屋、2021)の表紙。

おらゑもんさん「動物園の動物たちは鏡のような存在かも知れません。『緊張』や『畏敬』も、他でもなくわたしたちそれぞれを映し出してくれているのだと感じます。
谷川さん、あべさんの絵本のエピソードを受けふと思い出したのですが、千葉市動物公園のゴリラ舎には鏡が置かれています。
ヒトはひとりで居続けると、自分が何者かときどき分からなくなります。少なくともわたしはそうです。だから鏡になってくれる存在が必要ではないかと感じます。動物園の霊長類というわたしたちに似ていて違う存在を意識するようになってから、わたし自身は言葉にならないまなざしを強く意識するようになりました。他の人のまなざしも、自分自身が(否応なしに)まなざしを向けている、という事実も。
千葉市動物公園のローラもモンタも現在ひとりで暮らしていますが、鏡に映る自分自身、それからたくさんのヒトと向き合い続けることで、何を感じとっているのだろう、と思うときはあります」

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↑おらゑもんさんアルバムより。千葉市動物公園のゴリラ舎:鏡に向き合うローラ

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↑おらゑもんさんアルバムより。千葉市動物公園のゴリラ舎:モンタ

なかむら「

わわ! 千葉市動物公園のゴリラ舎に鏡があることを初めて知りました。
なるほど。『わたし』という存在も『だれか』との差異としてあるのかもしれません。ヒトも鏡を通じて、自分を認知するという話も聞いたことがあるように思います。確か、井の頭自然文化園には、ヒトというキャプションとともに、鏡が檻の中にひとつ設置されていますよね」

おらゑもんさん「井の頭の『鏡』も印象的な展示ですね。
多くの動物園に置かれている『ヒトの檻』とは違った趣きです」

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↑おらゑもんさんアルバムより。井の頭自然文化園のヒトの檻。


なかむら「ひとりで居続けると、自分が何者かときどき分からなくなる気持ち、わかります。わたしはひとり旅、ひとり居酒屋、ひとり美術館などなど、ひとりで行動しがちですし、むしろ好きなのですが、実は……『本当にひとりでいること』が苦手だったりします。ん〜なんて言えばいいのかしら、ひとりぼっちになってしまうことというか。自分を見失って、どこか暗〜い中に閉じ込められてしまいそうな気分になります。最近はひとりぼっちにならないために、『わたしはひとりじゃない』と言い聞かせるために、SNSに頼ってしまっているかもしれません。
と、このように自分を分析していたら、いやん、わたしってなんて弱っちいのよと思ってしまいました」

おらゑもんさん「わたしも、ひとりで過ごす時間は決して苦にはならないしどこにだって行けるけれど、出かけた先で見たものをさまざまな形で表現したり、いまのようにお話させていただいたりしているのは、やはり他の人からの何らかの反響を心が求めているからかも知れないなぁ……と感じました。自分がしていることの意味を教えてもらうということは、鏡になってくれる誰かがいないとできないことですね」




なかむら「『いい人』も誰かが見ているからこそ、『鏡』があるからこそ生じる概念なのかもしれません。

先ほど千葉市動物公園のゴリラ舎のお話が出ましたが、わたしがローラとモンタにはじめて出会った時、なぜ、ふたりは同じところで暮らしていないのだろう? と思いました。
それこそ、なんだかそれぞれひとりぼっちなように見えてしまって、寂しくないのかなって……
」

おらゑもんさん「わたしもなかむらさんの質問を受けて調べるまで知らなかったのですが、以前はモンタとローラの同居を試みていた頃もあったようです(2012年頃の千葉市動物公園の公式ツイートには、ふたり同じ運動場に出ている写真も掲載されています)。

しかし、いま同居は行われていません。
その背景として、ローラがモンタに興味を持たず、無理な同居が大きなストレスを与えてしまうことが昨年の公式ツイートでは解説されています。運動場を掘り起こし、芋虫やミミズを遊び相手にするローラの後ろ姿が印象的です。

連載の第1回でも少し触れましたが、ローラは波乱が多い生い立ちのゴリラでした。大分の別府ラクテンチで生まれ、間もなくヒトの手によって育てられました。


1980年には東武動物公園、そして1993年に恩賜上野動物園に移動。千葉にやってきたのは2008年です。千葉市動物公園の公式ツイートでは、ローラは『自分を人間だと思ってる』と紹介されています」

なかむら「自分を人間だと思っている……か」

おらゑもんさん「twitterのフォロワーの方から教えていただいた古い新聞記事に書かれていたのですが、上野動物園でローラは拒食症を患い、一時動物病院に入院しています。記事には『うどんやスパゲティ、菓子パンなど』で育ったために(青草などの)ゴリラらしい食事を当初受け付けなかったと記されています。
 ローラに限らず、幼い頃に仲間から離されヒトの手で育てられた霊長類は、自分が何者なのか分からなくなることがあるとされています。誰を鏡として生きていくのかという問いかけを、ローラと彼女が暮らす『鏡のあるゴリラ舎』は示してくれているようにわたしには思えてなりません」

なかむら「好き!!! と言いながら、彼女のことを何も知らなかったんだな。なんだかぎゅうっと心が締めつけられました。『自分を人間だと思っている』か。本当にローラがそう思っているのかはわからないけれど、ローラはローラで、わたしはやっぱり大好き」

おらゑもんさん「なかむらさんのローラへの想い、強く打たれました。本当にその通りなのですよね。彼女は彼女。わたしたちはわたしたち。つい自分と同一視して考えてしまいがちだけど、ヒトにはヒトの、虫には虫の、ゴリラにはゴリラの世界があるのだということ。違う、からこそ、想像力を働かせる余地が生まれるのかも知れませんね」


サルたちと動物園に恩返しをしたい

なかむら「先ほど、おらゑもんさんは『恩返し』したいとおっしゃっていましたよね。とても素晴らしい想いですし、深い愛を感じます。今度はこの気持ちを深く聞かせていただきたいです。この気持ちは、サルたちに向けてですよね? 動物園に向けても?」

おらゑもんさん「動物園への恩返しと動物種そのものへの恩返しというふたつの気持ちがあります。ひとつ目の動物園という場所に対する還元は、園で生涯を送る動物たちの環境向上に寄与します。財政難に陥っている動物園に支援を行ったり、直接足を運んで魅力を確かめたり」

なかむら「うんうん。金銭的な支援は大切ですし、恩返しの一歩として入りやすいかもしれません。それだけではなく、現場に足を運んで、肌で魅力を感じることは大切ですよね。自分で実際に感じたからこそ、その魅力をよりみずみずしく発信することができると思います。動物種そのものへの恩返しは、具体的な方法はありますか?」

おらゑもんさん「霊長類という種が置かれている状況について動物園から学び取ってきたことを、なるべく掘り下げて理解を深めていくこと、時に積極的に発信することが恩返しの『ふたつ目』です。霊長類の大半が絶滅の危機に置かれている状況について、自分事として捉える機会は日常の中では限られていると思います。けれど、動物園で生きた姿を見て活力を貰ってきた時間を通じて、野生下での彼らの保護・保全活動に対しても理解を深めることができました。いま、動物園が保全活動にも大きな役割を果たしていることも、繰り返し足を運ぶ中で知ることになりました」

なかむら「理解を深めて、発信する。 おらゑもんさんの勉強熱心な姿勢に脱帽ですし、おらゑもんさんが発信してくださる言葉は、動物園や動物たちへの敷居がさがり、とても歩み寄りやすく、さまざまなことを学ばせていただいています。そして、また新たな学びが! 動物園では、どうしても動物たちの愛くるしさにハートを射抜かれたところで、自分の心の動きが止まってしまいがちなのですが、そっか、野生下での動物たちの保護にも繋がっているのですね」

おらゑもんさん「保全活動の代表例として、認定NPO法人『ボルネオ保全トラスト・ジャパン』と、旭川市旭山動物園や豊橋総合動植物公園、那須どうぶつ王国といった国内の複数の動物園が連携し進めている『ボルネオ保全プロジェクト』があります。ボルネオオランウータンをはじめ多くの霊長類も暮らすカリマンタン島(ボルネオ)の生物多様性保全活動をサポートしていく活動です。わたしは、この活動について動物園を歩く中で知り、もはや『動物を見せる』だけが動物園の役割ではないことに改めて気づかされました。
霊長類は、巨大なゴリラから小さなマーモセットまで、多様性に満ち満ちている種です。個性豊かな彼らの保全のための活動についてより深く知る機会を持ち、折に触れて紹介していきたいと感じるようになりました」

なかむら「なるほど。動物園の横のつながりで進められている活動ですね。動物園の垣根を超えて、ひとつの目的に向かって一緒に歩く! 素晴らしいなあ。
わたしは、おらゑもんさんに出会っていなかったら、この活動については一生知ることはなかったかもしれません。『中の人』ではなかなか気づかないことや、いろいろな壁に阻まれて起こしにくいアクションを第三者が行うことには意味がありますし、大切なことだと思います。しかも、愛が深い。動物園とサルたちと出会って救われたという気持ちから、彼らへのありがとうが深まって、恩返しという行動まで繋がっていくことはなかなかできません」

おらゑもん「ありがとうございます。だけど、実は……霊長類や霊長類と向き合う過程で、自分自身の『発信』が怖くなった時期もありました。わたしは霊長類のことは好きだし、救われた、と思っていますが、専門的な知識を持っているわけでもなく、飼育員として日々動物園動物に向き合っているわけでもありません。さらに、動物、特に飼育されている動物に対する視点や立場は人の数だけ異なります」


なかむら「このお気持ちとてもわかります! 
わたしも、アートを軸に活動をして10年以上が経ちますが、実は美大出身かというと、そうではありません。以前お伝えしたように、大学では哲学を学びました。アートは好き!!! の一心で、教育学部の美術系の授業に潜り込んだり、市民講座に参加したり、美術館に通ったり、本を読み漁ったり、芸術祭で世界中のアーティストの作品制作を手伝ったり……と、つまり超がつくほど独学で突っ走ってきました。

仕事をはじめてからというもの、お仕事をさせていただくみなさんは、その道のプロ!ああ……素人のわたしがこんなにでしゃばって企画をしていいのだろうか……同じように企画を仕事にしている誰それさんは大学で美術をちゃんと学んでいらっしゃる、それに比べてわたしなんか……と、モヤモヤしていた時期がありました。結構、悩みましたね。



が、しかし! そんなわたしだからこそ、怖いもの知らずで業界に飛び込むことができ、素人目線で、鑑賞者目線でさまざまな企画を仕掛けることができるのだ、逆にわたしの無知さがひょんなきっかけになることがあるかもしれないと思うことができるようになってから、誰かと比べるのではなく、わたしの役割、わたしの使命を遂行しようと決めました。

専門的なお話は、専門家の方にお願いする、わたしはそんなみなさんの発信する場所や視点を編集するお手伝いをする! 

こんな無鉄砲さで、無邪気に企画をするものなので、多くの方に無茶振りをしてきてしまったように思います。しかし、
どうしても専門性が高まると、内輪でぐるぐるしてしまっているように感じるので、少しでもそのぐるぐるの突破口を作ることができたらいいなと思ってます」

おらゑもんさん「とても共感します!『好き!』を起点にしながら、アートをはじめとした輪を広げるためになかむらさんが展開されているご活動はわたしのような門外漢にも伝わりやすく、魅力的だと感じます。ここまでのやりとりの中でも、さまざまな展覧会やアート作品を紹介していただいていますが、イメージとイメージが手を取り合いながら突破口を開いていくという、キュレーションの真髄を目の前で魅せていただいているような思いでいます。
わたし自身は業として動物や動物園に関わっているわけではないのですが、いま趣味活動の一環として取り組んでいる霊長類フリーマガジン『【EN】ZINE』(エンジン)の制作を始めた動機にも、書いていただいたような『ぐるぐるの突破口』に近い意識があったかも知れません。自分自身が発信することに対して感じていた恐れやモヤモヤへの回答として、また『動物』や『動物園』を新しい文脈に接続することで化学反応が起こる場を作りたくて、楽しく制作を続けています」

なかむら「素敵です! アートとサルたち、動物園とのつながりもきっと、双方の『ぐるぐる』を突破する、ひとつの化合物になり得ると思います」

おらゑもんさん
「もうひとつ、理解を深める、発信することについての葛藤のお話をさせてください。動物園を通じ動物や環境の問題を学ぶ中で『エコ・フォビア』という言葉にも出会いました。環境問題の恐怖が喧伝されればされるほど、人々、特に子どもの自然に対する忌避感が強くなっていくという概念です。そのような中で、わたし自身の見方が穿っていたら、かえって動物園や飼育動物たちに迷惑をかけることにも繋がりかねない、という葛藤を感じることも増えていきました。

そんな中、ある動物園で開催されたイベントで感想を述べようとして、思わず『非専門家が発信することについての葛藤』が口をついて出てきてしました。

動物園や動物たちについてSNSで色々な投稿を行ってきたが、迷惑ではなかったか、どんな発信が望ましいか、と。
スタッフの方々からは、『思ったとおりに投稿してほしい』、とコメントをいただきました。何だか肩肘張りすぎていたことに気づけた気がしました。
それからは難しく考えすぎず、あくまで素人として首を突っ込みすぎず、でも、いいな、と思ったことを紹介することを意識するようにしています」

なかむら「うんうん。スタッフの方にそのような言葉をかけていただけると、ふっと力が抜けますね。わたしはわたしの立場から、わたしの視線を大切にしようって。

と、ところで……『エコ・フォビア』とは何ですか?」


おらゑもんさんエコ・フォビア』については作家の川端裕人さんがニューヨーク・ブロンクス動物園の元デザイナー、本田公夫さんとともに執筆した『動物園から未来を変える』に詳しいので、引用しますね」

「たとえば小学校低学年の子どもに、『遠い外国でゾウが殺されて……』ということをいくら教えても(知識として与えても)、当人たちにはどうしようもない。何か怖いことが起こっていると理解はできるけれど、何もできることがないなら、『もうその話はいい』と心を閉ざしてしまうかもしれない。本来なら、子どもの世界は、発達に応じて、家の周りの世界、そこから保育園までの世界、公園までの世界、学校までの世界というふうにだんだん広がっていくものだろう。いきなり遠い世界のゾウやサイやゴリラの話をされても、解決不能でいかんともしがたい。でも、感受性の豊かな子ほど、教えられた知識に対して胸を痛める。気持ちの持って行き場がなければ、人は感じることをやめる。情報を遮断する。だから、情報を教えれば行動が変わるというのは、間違い。特に子どもに対しては大間違い。ということになる」
川端裕人・本田公夫『動物園から未来を変える』(2019、亜紀書房)より

なかむら「

大変興味深いです。
わたしは小さい頃に『かわいそうなぞう』を読んで、さみしさと、恐怖に襲われたことをよく覚えています。
わたしにとって、遠く昔の話、遠く離れた場所の話でしたが、心のえぐられ方は強烈でした。
単なる情報や歴史ではなく、紛れもなく、心を揺さぶる物語でした。

情報を得ることと、そこから実際に感じたり考えたりするのはレイヤーが違うのですね。

おらゑもんさんは、本当に思慮深く、丁寧に丁寧に霊長類と向き合われていることがとても強く伝わってきます。発信することへの責任、悩みますよね。しかし、わたしはおらゑもんさんと出会ったことで、霊長類に関してだけでなく、生きること、考えること、悩むこと……そんなことをよく考えることができるようになりました。とっても感謝です」

おらゑもんさん「まさしくそのとおりだと思います。これは動物に限らない話だと思いますが、具体的に何ができるだろう?というひとりひとりの独自の思考や行動は、流通する情報とは異なる固有の体験の中から生まれていくものだとわたしは考えています。
動物園で会える動物って、図鑑の中の動物とは少し違いますよね。それに、ノイズも多い。ゴリラ同士よりもミミズと遊ぶことを選ぶゴリラがいたり、なぜか鏡が園内に置かれていたりする。何だろう、というざらつき。そのノイズが、人を動かすのだと捉えています。
第1回でお話したとおり、わたしは動物に触れる機会を幼い頃から多く持たせてもらい、大人になってから動物園という場を『再発見』しました。しかし、体験を伴わない知識だけで動物を理解しようとしていたら、動物が好きという自認を持つことはあったとしても、いまのように動物園の在り様に強く関心を持ち続けたり、制作活動をしようというところまでは気持ちが向かなかったんじゃないかな、とも思うのです」


いきものたちの気配

なかむら「体験をすること、肌を通じて吸収することの大切さに改めて気づかされます。デスクトップリサーチだけでは決してわからないことですよね。わたしにとって、アートや本が、大きな気づきをもたらせてくれる大切な体験の軸になっています。そうそう! 絵といえば、おらゑもんさんに、ぜひ知らせなくちゃという画集を手に入れました! ミロコマチコさんの展覧会『いきものたちはわたしのかがみ』の図録です。ここに、ヒトを含む、霊長類が大集合した作品《家族進化論》(2012)が収録されています。ミロコさんの大胆で力強い作品からは、いつも動物たちへの畏怖を感じるのですが、今回の展覧会のタイトルに『かがみ』と入っていることに、なんて奇遇なんだろうと鳥肌が立ちました」

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↑なかむらの本棚より。『いきものたちはわたしのかがみ』(ミロコマチコ、朝日新聞社、2020)


おらゑもんさん「ミロコマチコさんの霊長類の作品、本当に大集合ですね!いまでは限られた動物園にしかいないサルもちらほら。調べたら、この作品は山極寿一先生の著書『家族進化論』(東京大学出版会、2012)の表紙絵ですね。

描かれた活き活きした動物たちの姿に、図鑑の写真にはない存在していることそれ自体の力をわたしは感じました。
姿や生態を知るだけなら図鑑やテレビやスマホでも良いのに、なぜ頻繁に、時には乗り物を乗り継いでまで、わたしは現実の動物園に足を運ぶのか。
それは、自分自身の目で、耳で、身体を通じて、『存在』そのものに触れたいという気持ちがあるからかも知れません」


なかむら
「本当だ! なるほど! いやはや山極先生の著書の表紙にミロコさんの絵というのは合点がいきます。

この画集は、先ほどもお話ししたように、ミロコさんの個展『いきものはわたしたちのかがみ』(全国を巡回中!)の図録です。

わたしは展覧会を見るとき、ひとつひとつの作品はもちろんなのですが、展覧会全体のコンセプトを大切に見ようと心がけています。だから、アーティストさんのステイトメントで紡がれている言葉にもしっかり対峙したいです。本展での『作家のあいさつ』として書かれている『いきもののわたし』には、ハッとさせられました。作品制作時に、窓に張り付く無数の虫たちが面白くて夢中になって観察をしていたら、ガラスに自分が写っていることに気づく。そしてその自分に、『”おまえはいきものか”と問われた気がした』と、お話しされています」

おらゑもんさん「ミロコさんのステイトメント、全体を読みました。『おまえはいきものか』という、シンプルだけど突き刺さる問い。
生きているものたちには、『気配』があります。
『気配』は、たぶん言語を通じて頭の中で理解するというより、身体を通じて非言語的に感じとる性質のものではないかと思うのです。
動物園には、『気配』が充満しています。飼育されている動物たちだけではなく、野生動植物たちや、訪問するわたしたち自身の『気配』も含めて」

なかむら「いろいろな気配が漂う場所」

おらゑもんさん「昨年、京都大学野生動物研究センターが一本の動画を公開しました。

そこでは、新鮮で具体的な『生きている営み』から、動物たちのことを知ろうとする姿勢が表現されていました。
『環境保護』も『生物多様性保全』も、頭で考えているだけではしばしば理念的なお題目になってしまいやすいものだとわたし自身も思います。理念の世界ではしばしば、『環境』も『生物多様性』も、わたしたち『ヒトという生きもの』そのものと区別されて対象化されてしまう。
そうではなく、もっと直感的、感覚的な驚きを解き明かすことで、『彼らに何が返せるだろう』という実感を磨いていくこと。その大切さを京都大学野生動物研究センターは訴えているように感じました。

長い時間をかけ、苦心もしながら野生動物たちを探求する研究者の方々の情熱と、ミロコさんが『わたしたちのかがみ』と動物たちを表現していることとは響きあっているようにも感じられます。
突き詰めればエゴかも知れないけれど、動物たちのことを考えていくと、最小の人称単位『わたし』を主語にしなくては、行動できないことが多いということにも気づかされることが増えてきています。」

なかむら「肌で感じる『気配』は、まさに言葉で言い表すことはできず、直感として突き刺さってきますよね。



わたしは、数年前のインドへの旅で『いきもの』である自分、そして自分の『いのち』と改めて向き合えたような気がしています。
上京してから特になのですが、日々、膨大な情報に触れ、少しでも情報を取りこぼしてしまったらおいていかれてしまうのではないかという恐怖に襲われる日々です。
右手にパンを持って、それをかじりながら左手でパソコンをパチパチと仕事、電車の中でもスマホ片手にSNSやメールのチェック。休みの日は何か楽しいことはないかなとお金を使うことばかり考える。仕事は好きで楽しいし、もちろんお金を使って遊ぶことも楽しいです! しかし同時に疲労とモヤモヤする気持ちが共存しているんですよね。
そんな中、インドに行ったら、素っ裸になれたのです。食べることに集中する、歩くことに集中する、ぼーーーっとすることに集中する。その間、スマホはおろか、時計すらみませんでした。ガンジス川の辺りを歩くと、火葬場があった、遺体が目の前で炎に包まれ灰となり、川に還って行く人々をまのあたりにする。ふと後ろを振り向けば物乞いの手があまたこちらに向けられている。すぐ騙しにくるし、すぐ物を売りつけにくるし。そんな様々な光景と体験が、生きることへのしたたかさと、燃える命の気配を強く強く感じたのです。
すると不思議なことに、日本に帰ってくるといらないものが見えてきたり、ギスギスしていた心が、生きることへ集中しはじめたのか、なんだかひとまわり強くなって、ちょっとのことではしょげたり、焦ったりしなくなりました。まずは、生きよう。わたしもヒトだ、いきものだ、と。



しかし、この感覚はどうしても忘れてしまいそうになります。
そんな時、動物園に行き、動物の気配に触れると、ふっと生きる力、命の気配を感じ取り、わたしも生きようと思えるのかもしれないと、おらゑもんさんとのやりとりを通じて思いました。



『わたし』を主語に生きるって、大変ですよね。それに怖いです。だけど、わたしも最近、その大切さを感じています。
わたしはどのようにわたしとして生きるのか。
わたしはいきものとしての命をどこまで全うできるだろうか。
わたしは、ヒトであることをどこまで楽しめるだろうか」

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↑なかむらのアルバムより。バラナシの旅。ガンジス川でのプージャ。(2016年4月)

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↑なかむらのアルバムより。バラナシの旅:ガンジス川と牛(2016年4月)

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↑なかむらのアルバムより。バラナシの旅:ガンジス川とバラナシの生活

おらゑもんさん「旅と燃え上がるいのちについて。
わたし自身は19歳の春にベトナム・ホーチミンシティをひとりで歩いたことがあります。
ベトナムは、若く活気の溢れる国でした。バイクタクシーの洪水の中で、英語もそんなに通じなくて、でも、言葉が通じず不便な中で何とか良い旅にしようとしたからこそ、強く『生きている』という実感が持てた時間だった気がします。
途中、ホーチミンを離れ、ミトーという街を歩いてメコン川を見に行きました。大河の上に並んだ建物を見て、わたしたちとは違う様式だけれど、ここにもいのちがある、暮らしがある、と心打たれた記憶が残っています。

もはや簡単に旅には出られなくなったいまの世の中ですが、身近な動物園や水族館は先に触れたように『ここに居ながら、ここではないどこか』に連れ去ってくれる場所だと思っています。
ここ数ヶ月の忙しい日々の中で、『動物園は禅だ』というフレーズがわたしの頭の上に降ってきました。動物たちも、わたしたち自身とは違う仕方で生きている。そこに日常を離れた、ふっとした空白が訪れる。『生きている』実感はひょっとしたらそんな空白に流れ込んでくるものなのかも知れないなぁ……、と、インドでのなかむらさんのエピソードをお聞きしながら再認識しました」

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↑おらゑもんさんアルバムより。ホーチミンの旅:サイゴン動植物園


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↑おらゑもんさんアルバムより。ホーチミンの旅:ホーチミンの犬


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↑おらゑもんさんアルバムより。ホーチミンの旅:メコン川とそこで見た暮らしの風景。


おらんうーたんになりたい

なかむら「最後に、今回お話をしてきて、ふと湧いてきた質問をさせてください。おらゑもんさんは『おらんうーたんになりたい。』とつぶやかれますよね。それは、やはり、おらゑもんさんにとって、彼らが愛すべき存在であるとともに『鏡』として、自分の存在を映し出してくれるという点もあるのでしょうか?」

おらゑもんさん「それは……確かにあるかもしれません……! 『おらんうーたんになりたい。』とわたしが度々口にすることも、彼らを『鏡』にしている、というご指摘にはっとさせられました。自分の無意識の部分に光を当てられたような……。ともあれ、自分で気づけなかったことに気づくきっかけをいただき、感謝です。ありがとうございます」

なかむら「おらゑもんさんのサルたちへの愛を伺う中で、サルたちへのまなざしが、おらゑもんさんご自身に返ってきているように感じたのです」

おらゑもんさん
「思わず、どきっ、としました。わたしは『おらんうーたんになりたい。』という台詞はただの感嘆で、動物園に関心を向けるようになった頃の何気ないつぶやきを単純にリフレインしているに過ぎない、といままでうそぶいてきました。でも、違う。なかむらさんにご指摘いただき、確信しました。
わたしはオランウータンではない。だからこそ彼らの存在が鏡になる。ヒトとしてヒトの浮世を生き抜くしかないわたし自身を逆に照らし出してくれる。

そんな実感が、この一連の対話を通じ、自分の中で怖いくらいにヴィヴィッドになった気がしています。ある程度の期間、密度あるお話を続けることでようやっと見えてきました」

なかむら「ありがとうございます! 今回はおらゑもんさんのサルたちへの愛を深掘りさせていただきながら、会話の全てがまさに『鏡』のようで、わたしもたくさんの気づきをいただきました。今日もこの、わたしのいのちを生きようと思います!」



つづく。
次回は、おらゑもんさんが、制作されている霊長類フリーマガジン『【EN】ZINE』(エンジン)についてたっぷりとお話を伺います。お楽しみに!
ついに、サルたちへの愛は、ZINE制作につながるのです。スゴイ。


今回のお話に登場した動物園、水族館、博物館など

※登場順
多摩動物公園 https://www.tokyo-zoo.net/zoo/tama/
千葉市動物公園 https://www.city.chiba.jp/zoo/
別府ラクテンチ https://rakutenchi.jp/
東武動物公園 https://www.tobuzoo.com/
上野動物園 https://www.tokyo-zoo.net/zoo/ueno/
旭川市旭山動物園 https://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/asahiyamazoo/
豊橋総合動植物公園(のんほいパーク)https://www.nonhoi.jp/
那須どうぶつ王国 https://www.nasu-oukoku.com/
井の頭自然文化園 https://www.tokyo-zoo.net/zoo/ino/
ニューヨーク・ブロンクス動物園 https://bronxzoo.com/
サイゴン動植物園 https://web.archive.org/web/20120206063200/http://www.saigonzoo.net/lang/en


ボルネオ保全トラスト・ジャパン https://www.bctj.jp/

滝ガールの活動報告サイト https://takigirl.net/


プロフィール

おらゑもん
動物園・水族館を通して見える生きものとヒトの社会の在り方に関心があり、個人的な趣味として探究しています。霊長類に特に強く惹かれています。
twitter:@weiss_zoo
note:https://note.com/nostalgia_zoo

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中村翔子(なかむら・しょうこ)
本屋しゃん/フリーランス企画家・文筆
1987年新潟生まれ。本とアートを軸にトークイベントやワークショップを企画。青山ブックセンター・青山ブックスクールでのイベント企画担当、銀座 蔦屋書店 アートコンシェルジュを経て、2019年春にフリーランス「本屋しゃん」宣言。同時に下北沢のBOOK SHOP TRAVELLERを間借りし、「本屋しゃんの本屋さん」の運営をはじめる。千葉市美術館のミュージアムショップ BATICAの選書、棚作り担当。本好きとアート好きの架け橋になりたい。バナナ好き。本屋しゃんの似顔絵とロゴはアーティスト牛木匡憲さんに描いていただきました。
https://honyashan.com/

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