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大さじ小さじいらずのお料理はズボラじゃないの。ー高峰秀子『台所のオーケストラ』(潮出版社)

「ごはんできたよー」
そう広くない家に大きすぎる母の声。

「はーい。もうちょっとしたらいくー」
いつも通りの、めんどくさそうな返事のわたし。

「冷めちゃうわよ」
「はいはい。いま、いきますよっ」
いつも通りのやりとり。お前、何さまだというわたしの返事。
(おっ。わたしの好きなコロッケだ。わーい)


祖母も、母も、頗る料理上手。
が、しかし!!残念なことに、わたしは、お世辞にも、そんなにうまいとは言えない。わたしが作った、歴史に残りそうな珍料理はたくさんある。スパゲッティを茹でる時に、火が燃えうつり、焦げるなんてのは朝飯前だ。

「今日は、久しぶりに彼が泊りにくるから、手料理でもしちゃおうかしら」
学生時代は遠距離恋愛をしていたから、彼と会えるのは一月に1回か、二月に1回か、その程度だった。大学の目の前で一人暮らしをしていたので、彼はそこに泊まるのが常だった。

たまに会える彼、そりゃあさ、嬉しいでしょ! わたしだって、恋する乙女だったわけで(いや、今もよ)。だから、慣れもしない手料理なんかしちゃおうかしらという気も起こしてしまうのよね。甘酸っぱいわ。だけど、自分が料理がうまくないことは重々承知していた。料理下手だなーと嫌われてはいけない。手料理作戦が裏目に出てはいけない。「よし、無難にカレーにしよう」、カレーなら、わたしの料理の腕の悪さもスパイスのひとつとして煮込めちゃうでしょう♪ だったら、シンプルなカレーにすれば良いものの、どこでつけた知恵なのか、カレールゥ以外に、隠し味をいれちゃいましょう。チョコレート、ヨーグルト……なんだか無難ね……おもしろくないわ……「バナナいれてみよ〜」と、バナナ1本まるまるをミンチ状に叩いて、鍋にどさっといれた。全く隠し味にならなかった……バナナが主張しまくってくる。慌ててカレールゥを足したり、ソースを入れてみたりする、もうお鍋がいっぱいいっぱいで何も入らない。これ以上味を変える余地がない。無念……。その晩、渋々とそのカレーを食べてもらうことに……彼の感想は、ここでは控えておこう。

その日から、わたしは「バナナカレーの人」の称号を得た。彼が帰ってからというもの、友人が心配をして、肉じゃがとか、シチューとかを作って持ってきてくれた。こいつは一体何を食べているんだと、本当に心配してくれたらしい。ありがとう。


と、まあ、わたしは食べる専門で、作ることはもっぱらダメだ。しかし、「そんなにうまいとは言えない」と、‘そんなに‘と一言添えさせていただいたのは、それでも、なんだか最近、うまくなってきた気がするからだ。いまでは、3食、彼のために台所に立っている。一丁前にエプロンなんかしちゃって。一丁前に包丁の音響かせたりして、さ。そして、一丁前にレシピ本なんてのも、買ってみたりするのであーる。


『台所のオーケストラ』(潮出版社)は、一風変わったレシピ本。檀れいさんがラジオでオススメしているを聞いて買ってみた。著者は高峰秀子さん。でこちゃんの愛称で親しまれ、子役から、戦前・戦後を駆け抜けた女優さんね。『カルメン故郷に帰る』『二十四の瞳』『浮雲』が代表作かしら。食材ひとつひとつに、高峰さんのエッセイが寄せられていて、その食材を使った高峰流レシピが掲載されているの。もう、それがかわいいし、おもしろいし、お腹は空くしで大変なのよ!!
  

三つ葉 honewort
最近の野菜や果物の風味が落ちたのか私の鼻が鈍感になったのか知らないけれど、三つ葉の香りにも、以前のような上品さ、爽やかさが全然ない。だから、少し野暮っちい匂いだけけれど、私は根三ツ葉を専ら愛用している。
パリで藤田嗣治画伯と食べものの話をしていたとき、私が「日本の何が食べたいな、と思いますか?」と聞いたら……(以下略)

レシピ:ささみと根三ツ葉のわさび醤油
(『台所のオーケストラ』22頁) 
豚 pork
豚のルーツは「イノシシ」だったんだってネ。だけど、人間に飼われるようになってからは、あのモノすごいキバがだんだんと消えてなくなってサ、おまけに鼻まで曲がっちまったんだって、なんだか豚って可哀想だな。
そうだ、豚の身の上話じゃなくて、料理を書かなくちゃ。
えーと、日本国の豚肉料理のケッ作は、なんたって「トンカツ」よね。
……以下略。

レシピ:豚と白菜の重ね煮
(『台所のオーケストラ』38頁)


と、こんな具合である。愛くるしい文体に、きゅんとしちゃって、わたしは、読みながらニヤニヤしちゃうのよ。

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(↑これは、ほんの一部で、もっともっとある)

この本のさらにいいところと特徴は、肝心の「レシピ」にもしっかり現れているの。大抵のレシピ本といわれるものは、何人分作るには、キャベツ3枚、豚肉100g、酒大さじ1、みりん小さじ1、醤油……というように丁寧に手順や材料の分量を教えてくれる。ありがたい。が、しかしですね、わたしのようなズボラにとっては、いちいち大さじ、小さじをはかるのすらめんどうくさいし、書いてある分量を自分が欲しているだけの分量に変更して考えるのが、苦手。そして、なんだか窮屈に感じてしまうの。全く、ダメね。おいしそうな写真につられて購入したレシピ本は、だいたい、工程がめんどうくさそうで、いや、手間暇かけるとおいしいのはわかるわよ、そう、頭ではわかるのだけど、わたしには向いていないのよ……と、写真とテキストだけ読んで満足して閉じてしまう。だ・け・ど『台所のオーケストラ』は違うの。

ささみと根三ツ葉のわさび醤油  10分
鶏のささみ
根三つ葉
わさび
焼きのり
醬油

ごく新鮮なささみを一口大にそぎ切りにしてザルに入れ、熱湯をそそいで霜降りにして、よく水気を切ります。
わさびをおろして醤油を混ぜて「わさび醤油」を作ります。わさびはゆめゆめケチらずにたっぷり使い、鼻にツーンとくるくらいのほうが美味しいのです。
わさび醤油でささみをさっとまぜて小鉢に盛り、根三つ葉のみじん切りをたっぷりと乗せ、更に焼きのりの千切りを天盛りにします。
(『台所のオーケストラ』22頁) 


分量は一切書いておらず、作り方も、高峰さんの「感覚」がそのまま書き記されている。
いい? 「ささみと根三つ葉のわさび醤油」を作るときは、わさびはゆめゆめケチっちゃあダメよ。と、こう言われちゃあ、はいっ!たっぷりわさび入れちゃいまーすと、なるわけである。


私の即席料理はその日の気分や健康の工合でサジかげんもコロコロと変わるから、だいたいの目安、目分量でしか紹介することができない。
ということは、人にはそれぞれ自分の舌があり、好みの味というものがあるのだから、あとは御自分の舌と相談しながら作ってみてください、ということである。
(『台所のオーケストラ』はじめにより) 


料理がうまくないわたしが、はじめから「自分の舌と相談しながら」というのは、本当は逆にハードルが高いのかもしれないけれど、これが不思議とうまくいくんだよなあ。『台所のオーケストラ』は詳細にレシピが書かれていないからこそ、高峰さんはきっとこんな感じで台所に立って、きっとこんな感じで味見をして、「ゆめゆめケチらない」ってこんな感じかな〜と妄想力が発揮されて、型にはまらない生き生きした料理を作ることができるのかもしれない。そう、料理することを窮屈に感じなくなるの。


では、いったい、わたしの相談すべき相手「自分自身の舌」は何者なのか。



「ごはんできたよー」
ふと、実家での母の声が頭をよぎる。そうだ。わたしの舌は母の手料理によって土台が作られていてる。なんとラッキーなことだろう! だから、今、わたしが台所に立って料理をするときは、母の手料理の味を思い出し、それを頼りに炒め加減、ゆで加減、塩加減……と、さまざまな加減を調整して、いい塩梅を探しているわ。

夕方になると、台所が賑やかになる。トントントンと包丁とまな板の音、ぐつぐつと煮込む音、ジュワッとコロッケを油に入れる音、さくさくっと揚げたてのコロッケを切る音、食器を準備する音……まさにオーケストラさながらだ。良いタイミングでシンバルのように「ごはんまだ〜、お腹すいた〜」と、弟の声。


指揮者は母だ。




「ごはんできたよー」
「もうちょっとしたらいくー」
「もう、冷めちゃうよ。せっかく時間を考えて作ったのに」
あたたかくてできたてを食べてほしいって、こういう気持ちなんだなあ。

ほどなくして、2階から夫がおりてくる。
一口が大きい彼。箸を休めることなくむしゃむしゃ食べる。
嬉しいなあ。

実家を離れ、結婚をした今、わが家の指揮者はわたしということになるかもしれないけれど、母の台所ほど、美しい音楽はまだまだ奏でられていない。だけど、『台所のオーケストラ』に出会って、自分の舌と素直に相談したら、母の味をなんとなく思い出すことができて、しかも、高峰さんの料理を妄想しながら作るというエンターテイメント性も相まって、料理が楽しくなった。

わたしもズボラです! レシピ本通りに料理をするのがしんどい! という方には、ぜひ、高峰流の料理がオススメよっ。


分量通りに作らない料理は決してズボラじゃない。
むしろ、自分の舌と、それを培ってきたそれまでの料理と向き合って作られる、とっても丁寧で、愛情深い料理なのかもしれない。





追伸
何も語らずに、自分の好きな本を7日間に渡って紹介する企画「7bookcovers」に参加したのだが、やはり、なぜ、その本が好きなのかを伝えたくなってくる。7bookcoversの番外編として、ここで各本への想いを綴ろうと思ったの。


《書籍情報》
高峰秀子『台所のオーケストラ』
出版年:昭和57年年6月15日初版、昭和58年3月15日第48刷
出版社:潮出版社
装丁・装画:安野光雅
※わたしが持っているのは単行本。文庫にもなったみたいですね。

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日本の古本屋で取扱書店発見です〜


【プロフィール】
中村翔子(なかむら・しょうこ)

本屋しゃん/フリーランス企画家
1987年新潟生まれ。本とアートを軸にトークイベントやワークショップを企画。青山ブックセンター・青山ブックスクールでのイベント企画担当、銀座 蔦屋書店アートコンシェルジュを経て、2019年春にフリーランス「本屋しゃん」宣言。同時に下北沢のBOOK SHOP TRAVELLERを間借りし、「本屋しゃんの本屋さん」の運営をはじめる。本好きとアート好きの架け橋になりたい。 バナナ好き。本屋しゃんの似顔絵とロゴはアーティスト牛木匡憲さんに描いていただきました。

 

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