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『遠野物語』 – 日めくり文庫本【8月】

【8月23日】

 そこでまた、場所[#「場所」に傍点]のことですが、遠野のみならず、僕にはいろんな場所への興味というのがあるんです。たとえば僕の好きなニューヨークの、風景それ自体が巨大な人工物であるということへの驚きと愛着や、また行ったことも見たこともない北欧やドイツの大森林の暗がりの奥への憧憬。また、日本で言うならば、東京という、信じられないほどモノの量の渦のなかに、人間すらその影を失ってしまう混沌とした大都会にこうしていることの逆説的なカタルシスや、神戸や長崎や函館のどこか瀟洒でロマンチックなたたずまいを愛する気持ち。さらに、熱海や松島や日光といった観光地の、風光明媚イコール卑俗とされているありようの、その卑俗さゆえにぐっときてしまうところや、北海道の原野や裏日本の荒凉たる海岸線に痺れてしまうロマネスクな心情——。などという具合に、一人の僕のなかでもさまざまな場所への興味がいろいろと錯綜しているんです。
 そして、そんな場所への興味が尽きないなかでも、いつもどこか、僕の心の奥隅のほうでひっかかっている場所[#「場所」に傍点]として、つまり僕にとってたんに興味がある場所という以上に、もっと根深いこだわりと言わざるをえない「もうひとつの場所」として、遠野があったというわけなのです。
 しかし、その遠野というのは、現実に固有の地名としてある遠野というよりは、僕にとって、もっとシンボリックな場所としての遠野なんです。だから、必ずしも岩手県の遠野でなくっても、たとえば中国山脈の脊梁に埋もれた村であっても、また数年先にはダムの底に沈んでしまうはずの九州の五木村でも、写真を撮るイメージのうえではさしつかえないということもいえるのですが、にもかかわらず、やっぱり遠野だったってことは、心情としてそのときの僕のこだわりが、どうしても遠野へ遠野へと向かっていってしまったということだと思います。

「なぜ遠野なのか」より

——森山大道『遠野物語』(光文社文庫,1975年)159 – 160ページ


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