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#9 歌手&僧侶・二階堂和美「悪あがきの歌姫」(2019.12.6&13)

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今回の会議相手は地元・広島県大竹市在住、歌手で僧侶の二階堂和美さん、通称ニカさん。このたびは2019年クリスマスに行われたこのイベントの告知も兼ねていらっしゃいました。

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御年80歳の渋谷毅さん率いる熟年(老境?)オーケストラと二階堂和美のぶつかり合いは、ほとんど孫娘とおじいちゃんの魂の交遊と化してまして、たまらなく素晴らしかったです。しかしニカさん、高畑勲監督もそうだけど「おじいさんキラー」というか、孫娘的な役どころハマリすぎ。

あ、そうだ。ニカさん知らない人、いますよね。こういう人です!

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プロフィールなど詳しくは、HPをご覧ください!

いわゆる代表作的な部分で言うと、ジブリ映画『かぐや姫の物語』(2013・高畑勲監督)の主題歌「いのちの記憶」を歌った人ということになるのでしょう。個人的には「広島の名産品」として、もみじまんじゅう、お好み焼き、カープかつ、二階堂和美、レモスコ……という流れに置いていい人だと思うのですが、会議の前半戦は「意外と知られてない、広島に帰ってきてからの二階堂和美」の話。そう、渋谷さんとのライブはニカさんデビュー20周年記念公演でもあったのです。

よく考えたら東京での活動は20年のうちの5年くらいなんです。気付いたら広島時間の方が長くなって。2004年に戻ってきてるんで、もうほとんどこっちじゃんって
ようやくここ4~5年で広島がホームになってきた感じですよ。もちろん高校時代、卒コンで当時舟入にあった並木ジャンクションに立ったことはあったけど――ちなみにそのとき歌ったのはガンズ&ローゼズ(笑)――その次の広島のステージは2005年。そこから10年経った2015年くらいにやっとホームっぽくなってきたというか。それまではこっちで暮らしてても「音楽的には東京がホーム」というか、拠点というほど根が生えてる感じがしなかったんです

単刀直入に言うと、ニカさんは東京から出戻った人です。オシャレで、とんがった仲間とのセッションを求め、東京でばりばり音楽活動をやっていたものの、実家がお寺というしばりがあり、2004年に泣く泣く(たぶん)帰郷。そこからは華やかに活躍する東京フレンズの出世にキーッとハンカチ噛みつつも(想像)、おばあちゃんの世話やら家の手伝いやら地味目な日常に明け暮れる日々。沸き立つ野心とは裏腹に、家事とか過疎とかご近所さんとの付き合いとか誰もカルチャーに関心のない土壌とか、ままならぬ雑事に押しつぶされ、ぶっちゃけくすぶってた(=いじけてた)時期もありました。

その時期は、広島にいながら東京からの逆輸入で認識されてる状態だったんです。SAKEROCKやレイ・ハラカミ、レキシなどすでに人気を得ている方が「みんな、ニカさんをもっと大事にしなよ」的な扱いをしてくれたりして。だけど2015年に東京と広島でやったライブが対照的なもので。東京ではジェントル・フォレスト・ジャズ・バンドを従えてやったのに、広島では私の地元・大竹の市民楽団である「おおたけ吹奏楽団」と一緒(笑)。ただ、評価の高い楽団とやる一方でローカルな楽団と演奏するのは私にしかできないことだし、「これ、どっちも全国の人に観てほしい!」と思えたんですよ。そういう意味で、10年経ってようやくホーム感というか独特な立ち位置が築けてきた気はします

つまり、コレと……

コレの両立。

エッジの効いた最先ターンと、どどどどローカルな土着性。または地元にいながら創作を模索するココロ。いや、実生活の中でこそ花開くリアル歌心。それがキャラとなって定着したのが2011年発売の名盤中の名盤『にじみ』。そう、コレな。

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だから広島に帰ったときは、私が音楽をやってることを知ってる人間なんて誰もいない状態で。実際は音楽をやめるスレスレだったんです。でもそこで見つけた「日常」が自分にとって大きな糧になって、2011年に『にじみ』というアルバムが生み出されて。この作品でローカルでもがいている感じがキャラクターになってきたというか、東京におられる方もどことなく持っている望郷とか、イケてない地方・イケてない自分の故郷の記憶がここに重なったのかな。ジブリの高畑勲さんが私に目を付けてくれたのも、そういうところだったと思うんです

自分の「枷」になってると思ってた日常が、自分の「糧」になってた――ってなんていい話。ローカルは「負け」じゃない。そこでしか生み出せないものもあるし、むしろ大事なものはソコにある――というコペルニクス的大転換。それを熟成させた歌と演奏でやり切ったのが、ニカさん起死回生の『にじみ』だったんです。あー、もう一回聴こう。名曲に名MV! このロケ場所、ニカさん家のマジ近くの大竹市小瀬川河川敷なんですよ。

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会議後半戦はニカさんのもうひとつの個性である僧侶の部分にフォーカス。実家がお寺ということで、仏教と音楽はニカさんの中で切り離せないものだったとか。

お寺に関しては美術的な部分から入ったところもあるんです。大学のときに洋楽が大好きで、「お経って洋楽じゃない?」って思ったんです(笑)。お経は漢文だし、音楽のスタイルとしてもかなり斬新なアカペラで。浄土真宗に至っては木魚も使わなくて、チーンという鉦(かね)の音を鳴らして、最初にお坊さんのリーダーが出音(しゅっとん=曲を唱えはじめる)したら、その音がいくら違ってても、あとの人はそれに合わせてお経を読まなきゃいけない。それを20~30分唱え続けてるとあるところから快感に変わっていくのも、当時流行してたクラブミュージックのトランスに似てて。これは私のひとつのアイデンティティになると思ったんです

曼荼羅や仏教美術、トランスミュージックとしてのお経……最初は「面白そう」という興味から入り、ひたすらお経を歌うライブに挑戦したことも。

そもそもお経って辛気臭いイメージがあるかもしれないけど、あれは素晴らしい世界のことを唄ってるんです。「こんな素晴らしい世界にあなた方を救い取ります!」と唄ってるんで、それこそ天にも昇るトランス感を出せばいいと思って。当時はそれも宗教の効能としてあったんでしょう

やがてニカさんは本質的な部分で音楽と仏教の近似性に目覚めていく。

やっぱり大前提が「死」とか「思い通りにいかない」なので、そこがグッと胸にくるんです(笑)。お浄土に行くまではずっとそうなんだろう、と

まさに土着のブルースフィーリング。気が付けば歌の歌詞にも仏教的な考えがにじみ出すようになっていた。

実は今回のニカさんとの会議、個人的な裏議題として抱えていたのは「ニカさんに死生観を聞く」というものでした。率直にお聞きします。ニカさん、人は死んだらどこへ行くんですか?

……お浄土に行くの? ♪必ずまた会えるなつかしい場所へ~(「いのちの記憶」の一節・笑)。でも「いのちの記憶」を作ったときはそんなつもりなかったけど、結果的にこの曲はお浄土のことを唄ってたと思うんです。ただ、「死んだら終わりではない」ということを言いたい気持ちはずっとあって。私は人は死んでも、残された人の心の中でずっと生き続けると思うんです。で、一緒に生きていく中であれこれ問うと、生きてるときには返ってことなかった言葉が返ってきたりする。だから「死んだら終わり」みたいな言葉を聞くと「いやいや、待てや!」と言いたいところが私にはあるんです

二階堂和美の歌う輪廻と転生。でも僕が一番共感するのは僧侶なのに達観することなく、今もジタバタしているところ。嫉妬し、感情に流され、日々の些末事に振り回される。不惑を超えても悪あがきする歌姫、会議最後のこんなシャウトが一番ハートに刺さりましたよ。さすがガンズ&ローゼズ育ち!(笑)

解脱はできないの! 生きている間にはできないの! ずっと煩悩から逃れることはできないの!!(笑)

あがきながら生きましょう、トゥゲザーで。大事なことなので最後にもう一度――広島には二階堂和美がいるぞーい!

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2019.11.25@HFM

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