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【#なんもしない休学】1ヵ月目の記録

コロナで留学がおじゃんになり、あわてて休学期間を延ばして地元に帰るという極めてドタバタな6月も終わりまして。


7月です。

地元での引きこもり休学開始から、
もうすぐ1ヵ月が経とうとしています。

他のnoteでも書いてますが、
私の休学テーマは「なんもしない」。

ガチでなんもせずに生きてるわけじゃないよ。

他人から期待され求められることとか、「休学するなら〜すべき」と世間一般的に言われることをなんもしないってことです。

自分本位に生きる。

自分の心の声をよーく聞くための練習をしているわけです。


これを実行するに至った経緯は次のnoteで話すね。今回は割愛。



***



さて。

今日は、「なんもしない休学」1ヵ月目のふりかえりです。

約1ヵ月間何をしていたのかと、どんな心境の変化があったのかをつらつら書いていこうと思います。

では早速参る。



やったこと① 不安の分別

不安の分別に関しては、他のnoteでも以前書きました。


今考えるべき不安と、考えてもどうしようもない不安を心の中で分別するってことです。

私はこれがとにかく苦手だったの。

妄想力が豊かすぎるので、今後起こりうる最低のケースを常に考えて行動していました。

「失敗したらどうしよう」
「怒られたらどうしよう」
「失望されたかもしれない、どうしよう」

こんなふうに、考えてもどうにもならないことでモヤモヤして眠れなかったり、過食気味になることもあったんです(なぜか食欲だけは旺盛だった)。


こんな自分とおさらばしたくて、不安の分別を意識的に実行するようになりました。

1ヶ月経った感想としては、

けっこう楽になった。でもまだ修行が足りん。


考えてもどうしようもない不安に襲われたら、「ま、いっか」と口に出す。それだけで心が軽くなるんです。

そして、目の前に転がってる楽しいこと・ワクワクすることに没頭できるようになりました。

ただ、生理前など情緒が乱れている時はなかなか分別が追いつきません。これはホルモンバランスもあるから、しょうがないのかな?



でも治せる手段があるなら、どうにか緩和したいと思っております。




やったこと② エッセイ本を漁る

休学中は本にはお金を惜しまないつもりなんですけど、ここ1ヵ月で大体10冊くらいは読みました。ほぼエッセイなので、飛ばし読みは一切なしです。

なんでエッセイかというと、「普通」の生き方を一歩外れた人たちの思考を知りたかったからです。


ここでいう「普通」とは、「義務教育→高等教育→就職→結婚→子育て」の人生ルートを指します。

現に私は休学という選択をしているため、「大学を4年で卒業する」という普通のルートからは一歩外れた形となっています。

「普通」を脱するのって、私にとってはけっこう勇気がいることでした。どうしても、同期から遅れをとる!と思ってしまうからです。

人生に、早いも遅いもないのにね。

「なんもしない休学」を決断し、
エッセイ本を漁りまくった今なら言えます。

私が休学時に考えたこととエッセイ本で書いてあった言葉は、どことなく似通ったものばかりでした。本を通して、自分の価値観の答え合わせをしたような感覚です。

「自分の人生は自分のもの」とか「他人の目線は気にするな」とか、それほど目新しくはないフレーズが並んでいましたが、

それらを本当の意味で理解し、自分のモノにすることができたと思います。

休学の決断を自分の中で大正解にできたし、
自分の人生を俯瞰して見れるようになった。


だからもうしばらくの間、
エッセイ本は読まなくていいかな。

答え合わせは十分できたので、
そろそろおしまいにしようと思います。




やったこと③ 頑張りすぎない


私は10やればいいところを100やりがちなんです。「すごいね!!」て褒めてくれる人もいるから嬉しくなってすぐ調子に乗るけど、

体力的にも精神的にもシンプルしんどいから、
やらん方が吉です。

はい、「頑張りすぎ」をやめました。
主に、バイトで実践しています。

休学前にやっていたバイトでは、シフト前にマニュアルを死ぬほど読み込んだり、なんなら自作マニュアルを作ったりしていました。

すべて、ミスしたり怒られるのが怖くてやっていたことです。

でもこれって、自分の期待値を無闇に上げて、結果的に自分を追い込んでいたんだよね。

マニュアル死ぬほど読み込んだのにミスした日には、クソ人間のレッテルを顔面に貼ることになる。自信喪失にはもってこいの手段だけど。

期待値を過度に上げない。
頑張りすぎない。

結果的には、やれと言われたことしかやらない
受動的人間のできあがり。


これね、社会的に見ればう〇こと言われそうですが、「え、全然よくね?」と開き直れるレベルでめちゃくちゃ楽です

受動的人間は、やるべきこと・頼まれたことをこなせただけで、満足感がMAXになります。バイトなら本来これで十分なはずなのです。

やるべきこと+αを頑張ってやろうとしていたから、できない自分に落胆していたんです。

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今はすごく楽。

自分への期待値がかなり低いので、何か注意を受けても落胆せず、ただの反省になる。「次気をつけよう」で終わるんです。

割とノンストレスで働くことができています。





2ヶ月目の抱負


やりたいこと① お金のおべんきょ

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将来のライフプランを練っていると「あれ?これ…お金ないときつくね?」と感じるわけです。

うん、お金が欲しい。

お金が欲しいとは思うけど、
私はお金のことをよく知りません。

これって「車欲しいけど車ってそもそも何なのか分からないんだよネ〜☆」と言ってるのと同じなんだよね、たぶん。

無知なものを手に入れようとすると、めちゃくちゃ時間がかかる気がします。手に入れてもその価値を存分に味わうことができないかもしれない。



だから、勉強してみます。

お金がどうやって生まれたのか。
なぜ必要なのか。
お金持ちってなんなのか。
お金はどうやったら増えるのか。



そして考えてみやす。
本当に私が欲しいものはお金なのか

果たして答えは出るのやら〜





やりたいこと② “負”に目を向ける

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先日、とある社会人の方とZoomでお話させていただいたんだけど、

私って、何かを「できる」人ばかりと
話をしているなあ。

て、会話の中で思ったの。

・人とコミュニケーションがとれる
・結果を出せる
・好奇心旺盛に自ら飛び込んでいける

こういう人を「カッコイイ」と思って、刺激を受けたくて、会いに行ったり話を聞いてもらったりしてきた。そうすることで、自分の視野はすごく広がったと思っていた。

でも、よくよく考えれば、

私が今まで積極的に会ってきたひとは正負で言えばのひと。canかcan’tで言えばcanが目立つ人ばかりだったんです。

もっと視野を広げるには、自分が得意な何かを苦手としている人だったり、自分が当たり前のようにしていることをできない人に出会う必要がある、と思ったんですよね。



「できない」には2種類あります。

①頑張っているけどできない人
:トライしている最中、メンタル的に難しい

②不可能の意味で「できない」人
:身体的にハンデを背負っている、外的要因(家族・社会・環境)により不可能…など。


勘違いしないで欲しいのは、

私は彼らを見下したいわけではありません。

世の中にあるの面に注目することは、正の面を見ること以上に大切だと思うんです。だって負の部分は、これから正に変えられる可能性を持ってるから


あらゆる”負”に目を向け、“負”を抱える人と積極的に話してみたいなーと思っています。そこで感じることとか、新たに見えてくるものがある気がします。


***


1ヵ月目の総括は、こんな感じです。

2ヶ月目も、できるだけストレスとは距離を置いてゆったり過ごしていきたいですね。

noteもちょいちょい上げていこうと思いますので、気か向いたら読んでやってください。



では、もう朝の5時なので。




おーしまい。



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