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のぼせが冷める、について

おはようございます、相変わらずの早起きです。なんでしょうね、帰ってきて、いろいろもろもろしていたら、すぐに寝る時間です。そして、朝と晩との坐禅です。坐禅というものは、こう、澤木興道という方は「のぼせが冷める」と仰ったが、まことにそうかもしれないと、こう、僅かな実践でも思う。腹が据わる、というよりは、余計なのぼせが下がるといったほうがいい。そう。坐禅については、様々な書物が出ているが、どれもまあ、一長一短があるようにおもえる。それよりも、ネットの情報とかがいいように思う。曹洞宗のサイトより

いや、臨済宗だというかた、そちらはお調べください。私は曹洞宗のやり方で、坐っています。といっても、壁に面するくらいで、完全にその方式に沿って?というわけでもないのかな。

ともかく、こう、のぼせが冷めると、実にこころが伸び伸びと、安定してきます。おもしろいですなあ、禅というのは、本質的には楽観主義なのかもしれないとおもいます。というより、わたしが元々楽観主義なのもあるでしょう。楽観主義なひとは禅に向いているかもしれない、そして人間のネガティブ面に関して、それを感じやすいひとには浄土門がいいかもしれない。そして、もっと懐疑的なひとには唯識がいいかもしれない。

さて、仏教から離れて、今日の一冊

加島さんの仰るタオっていうものと、わたしの話す「道(みち)」とはやや、ニュアンスがことなるようで、どうなんだろうなあと思う。まあ、加島さんも、おもしろい本を書かれてます。おすすめ。

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