見出し画像

生きたムダ 木村俊介(インタビュアー)

小説家、エッセイスト、画家、音楽家、研究者、俳優、伝統文化の担い手など、各界でご活躍中の多彩な方々を筆者に迎え、「思い出の旅」や「旅の楽しさ・すばらしさ」についてご寄稿いただきます。笑いあり、共感あり、旅好き必読のエッセイ連載です。(ひととき2020年7月号「そして旅へ」より)

 前に、漫画家の荒木飛呂彦さんへの取材で「僕はアイデアとは謎だと思うんですが、謎ってなくならないんです。世界に未開拓地がなくなったように見えても、歴史や人間の内面に新しい謎はいくらでもあるので」と聞いた。それもあり、人の過去からの道筋を長く聞くことになるインタビューは、どこでやっても、私には、目の前にいる人の、内面の世界への旅のようなものだと思っている。

 今年度からは大学の専任教員として取材について教えながら、ノンフィクション作家としての活動を続けていくことにしたので、春以降は京都に住んでいる。ただ、それまでずっと関東にいた私にとって、関西圏とは長らく、インタビューをしに訪れる場所だった。今回は、そんな関西への取材の旅で聞いた中でも、特に記憶に残っている言葉を思い出してみたい。

 5年ぐらい前の夏、ある関西の老舗コーヒー店でインタビューをした時だった。70代半ばの店主の方は、アイスコーヒーを、氷でできたグラスで出してくれて、次のような話をしてくださった。

「これ、夏の季節のウチの名物メニューなんです。今のように、氷屋さんから買う大きな氷の価格が上がった時代に、1回お出ししたら使えなくなる、こんな氷のグラスは、コストの面で言えばムダでしょう。でも、見た目の涼しさも含めた、いい意味での贅沢というんでしょうか。我々はお店をやることを通して、そんないわば『生きたムダ』を提供しているわけです。生きたムダがなければ、お客様は喜んでくださらないので」

 時代に逆らっているかもしれないとも言うその声は、鋭かった。
「今は、人件費と材料費を抑えて利益を上げれば、優秀な経営をしているとでも思われるかのような風潮がありますよね。大きな組織になればほとんど、大量生産と大量消費こそを良しとする、そんな企業の論理に支配されてしまう」

 その考え方が辿り着くところはどこか、と話は続いていった。

「すると、最終的には、お客様にゆったり寛いでもらう時間といういちばん大事なものこそが、率先して削減するべきコストになってしまうのではないでしょうか。私は、そんなふうに仕事をやって、死ぬ時に悔いなくいられるとは思えません。でも、今の主流は、徹底的にコストダウンしてできたお金を宣伝広告費に回して、イメージで売ろうとするわけでしょう」

 店主の方は机の上を指し、「いちばん大事なのは、ここ(テーブルの上に載っているものの内容)なのに」ともおっしゃっていた。

「社会や企業が豊かになればなるほど、心に豊かさが感じられないエサみたいなものを食わせられるという構造がある。ウチぐらいはその流れに逆らって、生きたムダを大切にする経営でいいんです」

「生きたムダ」という言葉は、長く社会の浮沈を見てきた店主の方の、これまでの道のりをも想像させてくれた。旅の途中で聞いた言葉だったけれど、それこそが、わざわざ遠くへ出かける旅の醍醐味でもある。そんな「生きたムダ」を大切にしてつくられたアイスコーヒーは、本当においしかった。

文=木村俊介 イラストレーション=林田秀一

木村俊介(きむら しゅんすけ):1977年、東京都生まれ。インタビュアー。「働く人」「作る人」へのインタビュー取材を軸にした執筆活動を展開。『漫画編集者』(フィルムアート社)、『善き書店員』(ミシマ社)、『料理狂』(幻冬舎文庫)など著書多数。

出典:ひととき2020年7月号


よろしければサポートをお願いします。今後のコンテンツ作りに使わせていただきます。