「一度書店員になったけど 落語家として死にたくて」(柳家喬太郎)|わたしの20代
中学時代から落語が好きで、大学では落研に入りました。バブル直前の当時は落語=ダサい。明治維新以降日本が一番軽薄だった時代に、モテない奴の代名詞みたいな落研にいたもんだから、甘酸っぱい思い出なんて一切ないです(笑)。仲間同士「ナンパするぞ!」と意気込んだものの、勇気がないから女子大の落研に行ったくらい。それも彼女たちの落語を聞いてゲラゲラ笑うだけ笑って帰ってきちゃった。
20歳の時、半年間テレビに出させてもらいました。人気番組「欽ドン!*」のワンコーナーに、落研の学生何人かの中から選ばれたんです。少しだけど華やかな世界が経験できたし、萩本欽一さんの仕事ぶりから「プロアマ関係なく、舞台に上がったら責任をとらないといけない」と教わりました。でも、芸能界に入ろうなんてこれっぽっちも思わなかった。特別な才能がないとできない仕事だし、あくまで自分の本業は学生だしと。……つっても、勉強そっちのけで落語にのめり込んじゃって大学は5年行きましたけどね(笑)。今思えば、その頃、留年を父に詫びようと丸坊主にして、まんまるの伊達眼鏡をかけていたのが、テレビ局の人の目に留まったのかも。留年も無駄じゃなかったのかな。
本が好きだったから、卒業後は福家書店に就職しました。落語の道へ進むのが畏れ多かったし、おしゃべりで食っていくなんて自分にできるわけがないと思ったんです。ところが1年半後「やっぱり落語家として死にたい」と思うようになって。あきらめきれなかったんですね。
――この続きは本誌でお読みになれます。苦労しつつも楽しんだ前座修行、若かりし頃の自分に伝えたいことなど、来年還暦を迎える喬太郎師匠が20代を振り返ります。ぜひお楽しみください。
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談話構成=後藤友美
出典:ひととき2022年9月号
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