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どちらも山で前は酒屋で──美祢市別府弁天地|へうへうとして水を味ふ日記

台湾と日本を行ったり来たりしている文筆家・栖来すみきひかりさんが、日本や台湾のさまざまな「水風景」を紹介する紀行エッセー。海、湖、河川、湧水に温泉から暗渠あんきょまで。今回は、山口県美祢市にある別府弁天池を訪ねます。

外にでれば読んで字のごとく茹るような暑さ。台北の、綿毛のようにまとわりつく湿気が毛穴を塞いでからだを重くし、歩くことさえ億劫だ。そんなとき、頭のなかに浮かんでくる日本の水風景がある。冷気のカーテンが幾重いくえにも張りめぐらされたあの場所。ああ今すぐワープしたい、もぐりこみたい──別府弁天池へ。

日本名水百選にも選ばれたその水質は、ミネラルを豊富にふくんで透明度は高く、日差しの角度によってコバルトブルーやエメラルドグリーンに輝く。それは青い照明の下、ソーダ水に色とりどりの透明なゼリーを浮かべる京都の名喫茶「ソワレ」のゼリーポンチみたいに、夢みるように美しい。

3億年かけて生み出された景観

その夢のような湧水は、日本国内最大級の鍾乳洞・秋芳洞あきよしどうを有する山口県美祢市の「秋吉台」にある。昔から修学旅行先としてもお馴染みの観光地だけれど、いったいどのように出来たのだろうか?

約130平方キロメートルにおよぶ広大なカルスト台地・秋吉台の形成は、およそ3億年前にさかのぼる。当時、赤道あたりの火山島をぐるりと囲んでいた真っ白のサンゴ礁が、プレートといっしょに北に動くうちに、ユーラシア・プレートの東の端にある日本列島とぶつかった。サンゴは次第に石灰岩となって堆積、さらに2億年ほど前に大きな力が加わって盛り上がり、台地となった。

秋吉台に降り注いだ雨水のなかの二酸化炭素はゆっくりと石灰質を溶かしてゆき、巨大な石灰岩には沢山のくぼみができた。このくぼみを“ドリーネ”という。ドリーネに溜まった雨水はさらに地下を侵食、鍾乳洞という広大な地下世界をつくりあげた。草をはむ羊の群れのように白っぽい石灰岩が無数に散らばる秋吉台だが、じつはすべての石灰岩は地下で繋がっている。

「つまり、秋吉台の石灰岩は巨大なひとつの石なんですよ」

何年もまえ『台湾と山口をつなぐ旅』という本を書いたとき、秋芳洞を案内してくれた美祢市役所観光課のF川さんのひと言が思い出される。「世界の秘密」をこっそりわたしに耳打ちするような、いたずらっぽさと嬉しさの入り混じった口調。F川さんが「ドリーネ」と口にするたび、それを「ドリーム」という言葉に置き換えてもいいぐらいの熱量が感じられ、美祢で生まれ美祢で育ったF川さんの地元に抱く愛しみが伝わってきた。そんなF川さん、実はお母さんが台湾東部・花蓮生まれの「湾生」である。なんでも、お祖父さんは花蓮で鉄道の駅長さんだったそうだ。

また、秋芳洞の商店街入り口には「新高館にいたかかん」というお土産店もある。店主の村木さんは三代目だが、創業者のお祖父さんがやはり台湾にいて砂糖工場を経営しており、終戦と共に引き揚げてこの「新高館」を開いた。「新高」とは台湾の最高峰・玉山ぎょくさんのことで、玉山のように誉れ高い店になるようにとの願いが込められている。台湾に通じる「どこでもドア」がいたるところにあるような、美祢は不思議な場所である。

さて、閑話休題。

下流は宇部市まで流れて瀬戸内海に注ぎこむ厚東川ことうがわが、この広大な台地を東台と西台に分ける。東台には秋吉台や秋芳洞があり、西台では採石鉱業や炭鉱、湧水による産業が発展した。この西台に位置し、ドリーネの底から湧き出る清水の池が、冒頭にあげた「別府弁天池」だ。それはそれは、眼も醒めるような湧水である。

境内にこの池を擁する別府厳島神社べっぷいつくしまじんじゃはもともと弁財天社で、水不足で悩む土地の長者が夢のお告げどおりに弁財天を祀ると水が湧き出したという。創建は西暦806~810年と伝えられ、明治4年に広島は厳島神社から三柱の水神を勧請して改称した。つまりここには1200年以上のあいだ、清浄で豊かな清水が湧きつづけているのだ。

大嶺酒造と種田山頭火

ここで、もし日本酒好きな読者なら、この水で作った地酒があったらいいなと期待するハズだ。

そう、あるんですよ。

別府弁天池から少し離れた国道沿いにある蔵元「大嶺酒造おおみねしゅぞう」がそれで、仕込み水として別府弁天池の湧水を使っているという。南青山ならともかく、山口県の山間部の田園風景には少し唐突すぎるほどファッショナブルな外観のこの蔵元、ボトルデザインも人目を惹くお洒落さで、近頃では台湾の日本料理店でもよく見かける人気の日本酒だ。

最初に「大嶺酒造」を訪れたのは2018年ごろだったろうか。二十歳はたちの頃から憧れのアメリカの某ヒップホップミュージシャンも訪れたらしいと耳にし、ミーハー心を発揮した。カーナビに名称を入れて運転していると、何やらどんどん山の中に連れていかれる。写真と雰囲気が違うのでおかしいなと思いつつも車を走らせ、辿り着いたのは古いほうの「大嶺酒造」だった。現在の大嶺酒造は50年以上も休眠していたこの古い酒蔵を、新たな場所で復活させたものだ。

古い方の大嶺酒造の横には、種田山頭火の句碑があった。どうやら山頭火の泊まった宿があった場所らしい。山頭火もここで当時の大嶺酒造の酒を呑んだのかな。なんだか、鼻の奥がつーんとした。もう一度、ナビを確認して新しいほうの大嶺酒造に行き、お酒を買って実家にもどり、老母と呑んだ。

気が遠くなるような時間と地球のエネルギーと運動の堆積から湧きいづる水でつくられた酒である。旨味と甘味、酸味のなかにしっかりと米の薫りを感じられる山口らしいお酒でもある。味わうのは、つみ重ねられた時間である。これからも、幾度となく山口に帰って母と盃を交わせますように。

心の中で弁財天様に手を合わせつつ、昼間みた種田山頭火の句を口に出してみた。

よい宿でどちらも山で前は酒屋で ── 種田山頭火

文・写真・イラスト=栖来ひかり

栖来ひかりさんの関連著書
台湾と山口をつなぐ旅

栖来ひかり
台湾在住の文筆家・道草者。1976年生まれ、山口県出身。京都市立芸術大学美術学部卒。2006年より台湾在住。台湾に暮らす日日旅の如く新鮮なまなざしを持って、失われていく風景や忘れられた記憶を見つめ、掘り起こし、重層的な台湾の魅力を伝える。著書に『台湾と山口をつなぐ旅』(2017年、西日本出版社)、『時をかける台湾Y字路~記憶のワンダーランドへようこそ』(2019年、図書出版ヘウレーカ)、『日台万華鏡』(2023年、書肆侃侃房)、『台湾りずむ』(2023年、西日本出版社)。

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