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ご挨拶に、日本酒。|飛騨さんぽ

飛騨さんぽは、紆余曲折を経て雪国・飛騨に移り住んだ浅岡里優りゆさんが、日々の暮らしの中で感じた飛騨の魅力を飾らない言葉で綴る連載です。第2回は、飛騨古川の人々がこよなく愛する地酒について。

 冬になると、みなさんは何が恋しくなるだろう。こたつ、みかん、はたまた人肌なんて人もいるかも知れない。

 私はというと、冬には日本酒が恋しくなる。

「九州生まれです」と言うと、よく焼酎好きと思われるのだが、私は日本酒派。佐賀の母の実家から歩いて行けるところに酒蔵がいくつかあって、幼い頃から日本酒は身近な存在だった。そして九州には、美味しい日本酒がじつに数多く存在する。

 福岡の田中六五たなかろくじゅうご、佐賀の東一あずまいち古伊万里こいまり、熊本の産山村うぶやまむら、長崎の六十餘洲ろくじゅうよしゅう。大好きな九州の日本酒の銘柄を挙げたら、きりがない。(知らない銘柄があったら、ぜひ呑んでみてもらいたい!)

 そんな日本酒好きの私にとって、飛騨古川は心躍る場所。中心街に、伝統的な酒蔵が2つもあるのだ。

 宝永元年(1704)に創業、2代目から約300年古川の地でお酒を造りつづけている蒲酒造場かばしゅぞうじょうと、享保17年(1732)に創業し、明治3年(1870)に5代目から酒造りを営む渡辺酒造店*。

*蒲酒造場の代表銘柄は「白真弓しらまゆみ」、渡辺酒造店の代表銘柄は「蓬莱ほうらい

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 この趣ある酒蔵の佇まいが、歴史ある街並みをより一層魅力的なものにしている。

 今日はこの「日本酒」の存在から、飛騨の魅力を伝えたい。

ご挨拶に、日本酒。

 飛騨を紹介するのに日本酒が欠かせないと思ったエピソードがある。飛騨古川に引っ越してきてすぐ、福岡のお土産を携えてご近所に挨拶まわりをしたときのことだ。

 挨拶まわりを終えて、同行してくれた飛騨市移住コンシェルジュ*の方にも、お礼にお菓子を渡した。

*移住相談に乗ってくださる方で、住む地区の組長さんへのご挨拶まわりの調整なども担ってくれる

 すると、「ちょっと待ってて」と家の中に消え、「これお返しに」と持ってきてくださったのが、飛騨古川の地酒「白真弓」の一升瓶だった。

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 一瞬ビックリして言葉を失った。お返しに一升瓶をもらったのは人生初である。

 お菓子が一升瓶になって返ってきた……すごいわらしべ長者。家に贈答用の日本酒がつねにストックしてあるのかな。しかも四合瓶じゃなくて一升瓶がメジャーなの!?

 いろんなことに驚きながら、飛騨の暮らしに、日本酒が深く根付いていることを実感した出来事だった。

お酒が地域通貨?

 古川で暮らしていると、一升瓶を2本縛って、ご挨拶にお酒を持ってこられる方をよく見かける。ここでは、お祝いごとやお見舞い、お悔やみなどに、お金ではなくお酒をもっていく習慣がある。

 この習慣について、蒲酒造場の浅田邦昭さんから面白いお話を聞けた。

「毎年4月に行われる古川祭では、各町で神様への“献酒”が行われるんです。その数は、ざっと5000本を超えます。だけど、当然そんなに飲みきれない。それでどうするかというと、お祭りのあと、集まったお酒は町内皆で買い取る。それでも余った分は地元の旅館やホテルが買い取る。すると、その町内の活動資金となる。そのお金をどうするかっていうと、また皆で飲みに行くんです(笑)」

祭・イベント_古川祭_(c)飛騨市観光協会

古川祭:国の重要無形民俗文化財にも指定され、世界ユネスコ無形文化財にも登録されているお祭り。ここ2年は主な行事が中止となっているが、毎年多くの観光客も訪れる飛騨古川の一大イベント(写真:飛騨市観光協会)

 お酒が通貨のように循環している飛騨古川、恐るべし。さらに、興味深い話はつづく。

「昔、地元の酒屋さんたちが中心になって“白蓬会”というものを立ち上げ、白真弓と蓬莱を守っていく動きがありました。よその地域の酒蔵や大手メーカーが営業にきても『うちは、白真弓と蓬莱しか置かない』と断ってくれた。“白蓬会”はすでになくなりましたが、いまでもその文化は残っていて、古川の地酒は地元によって守られているんです」

 古川の人々の心意気に思わず目頭が熱くなった。

 ここでは居酒屋を覗いても、蒲酒造場と渡辺酒造店のお酒しか置いていないお店がほとんど。「古川やんちゃ」と呼ばれる、荒くれる強さもありながら、地元への誇りや愛に溢れる古川の人たちの気質がよく表れているお話だとおもう。

飛騨の日本酒が美味しいワケ

 飛騨地域の酒造業の歴史は古い。元禄10年(1697)には、89場の酒造屋があったとされる。

 飛騨は険しい山々に囲まれ交通も不便なことから、自給自足の生活が中心。結果として村ごとに酒造業が発達していった。また外部との交流も少なく、他の産地のお酒が流入しづらかったことから、飛騨の酒は、地酒として郷土に根付いていった。

 蒲酒造場の浅田さんは、さらにこう語る。

「雪深い飛騨は、冬には陸の孤島と化します。閉ざされてしまう空間の中で、数少ない楽しみが“酒宴”であり、大切な交流の場でもあったんです」

 環境や暮らし、さまざまな要素が重なり、飛騨の暮らしにお酒は欠かせない存在となっていったようだ。

 そして、いまもなお地酒が愛され続けているのは、格別に美味しいからだ。飛騨にはうまい酒造りの条件が整っている。

 仕込み水は、北アルプスから湧き出づる清冽な伏流水。岐阜県産業史調査研究会が編集した『ひだみの産業の系譜』(1999年)には、「美しい山並みに源を発しているため水の硬度も高くなく、海岸からしみてくる海水もないから塩分も少ない。洗練されて癖がなく、まろやかでやわらかな水」と記されている。

 飛騨を囲む険しい山々は、厳しさだけでなく、暮らしに豊かさも与えてくれる存在なのだ。

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(写真:飛騨市観光協会)

 次に、お米。飛騨は「お米のオリンピック」と言われる世界最大の米コンクール「米・食味分析鑑定コンクール国際大会」の金賞農家を多く輩出している。お米といえば新潟などが有名どころだが、いまや飛騨地域が金賞受賞者を一番多く出す年もある。

 そんな飛騨では、酒米づくりにも力を入れている。飛騨を代表する酒米「ひだほまれ」は、飛騨の酒に合う米をつくろうと約10年の歳月をかけて開発されたという。

なぜ、飛騨の枕詞は「白真弓」なのか

 最後に、私の大好きなお酒「白真弓」にまつわるとっておきの話をご紹介したい。

「白真弓」は、飛騨の枕詞。万葉集の「しらまゆみ斐太ひだの細江のすが鳥のいもに恋ふれやを寝かねつる」(巻代十二)という歌が、蒲酒造場の入口すぐに飾られている。

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歌意は「斐太の細江で菅鳥すがどりが鳴くように、彼女に恋をして夜も眠れない」。『新しい濃飛風土記』(1970年、滝川憲三 著)より

 はるか昔の人の思慕の情にも想いを馳せられる日本酒。なんとも素敵である。

 ふと、「白真弓」がなぜ飛騨の枕詞なのだろうと疑問が湧いた。調べてみると、飛騨にはまゆみの木が多く自生しているから、という説を見つけた。けれど、飛騨には檀以外にも多くの木が存在する。

 さらに調べてみた。檀はとりわけ木肌が白く、しなやかで粘り強いことから弓材としても好んで用いられ、「白真弓」とも呼称されていたそう。

 はたと、気づいた。

 白く美しく、丈夫でしなやか。まるで飛騨の雪景色と、飛騨人の気質にぴったりではないか!

 はじめての雪国暮らしで、雪かきに悪戦苦闘する日々。けれど、やっぱりこの銀世界はとても美しい。そしてこの美しくも厳しい銀世界が、飛騨人のしなやかさと強さを生んでいる。

「白真弓」という枕詞を持つ飛騨が、さらに誇らしくおもえてきた私である。

文・写真=浅岡里優

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浅岡里優(あさおか・りゆ)
1990年生まれ。九州大学芸術工学部卒業。大学卒業後、新卒採用支援の会社を立ち上げるも挫折。0からビジネスを学び直そうと、株式会社ゲイトに参画。漁業から飲食店運営まで、一次産業から三次産業まで一気通貫する事業を経験。その後、クリエイティブの力で環境問題などの解決に取り組むロフトワークへの参加を経て、2021年に飛騨へ移住。自然に囲まれた暮らしに癒されながら、飛騨の魅力を発信している。

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