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はじめての展覧会

 手製本を始めた最初の一年は、あっという間に過ぎていった。
二つの工房を掛け持ちして通い、アルバイトをし、家でも作業を行った。一人暮らしの狭いアパートは、急に増えた紙や道具類で溢れていった。手を動かして長い時間集中してひとつのものを作る、ということが始めてだったので、作業の後は今まで感じたことのない種類の疲れを感じた。何しろ、私はカッターをまともに使ったこともなく、刃の折り方も分からなかったのだ(!)。はじめての授業を終えて教室を出た時の、頭に疲れを感じながらも、心が晴れやかになっていく、その感覚を今でも覚えている。暮れゆく水道橋の空を眺めながら、こういくことがやりたかったんだなー、ああ生きてるなあ、と感じたのだった。

 掛け持ちして通ったのは、手製本を始めるきっかけとなった、栃折久美子さんの作った池袋の工房と、そのお弟子さんがされていた神保町の工房だった。日本では、職業的に工芸製本をしてきた歴史がないので、もちろん学校もない。広く知られるようになったのは、70年代中頃に栃折さんがヨーロッパの製本工芸を日本に紹介してからだ。以降、各地で教室や工房ができ、趣味として手製本をする人は増えていたが、職業的に成り立たせている人はまだまだ少なかった。
 私が通った工房も、基本的には趣味として、週1なり週2なりで通う教室だった。選択肢が限られる中で出来るだけ多くの時間を手製本に使いたかったので、掛け持ちをしたと言う訳だ。池袋の工房では基礎コースでまずは布装のくるみ製本を学び、神保町の工房ではいきなり総革装のオートクチュールの工芸製本をはじめた。こちらの師匠はとても癖のある人だったが、技術だけに留まらず、製本をする上で大切な思いや視点を教えてくれた。かなり年上の、工房の生徒さん方との交流も楽しく、あっという間に時間が過ぎていった。

 そして手製本を学び始めて数ヶ月が経った頃、友人から一緒に展覧会をしないかと声をかけられた。友人は、大学でデザインを学んでいた。たった数ヶ月で、人に見せるようなものを作れるようになるはずはない。けれど、いい機会と思ってやってみることにした。
 会場は、東京・西荻窪の小さなギャラリーに決まった。さあ、本を作らなくてはならない。
通っていた工房では、既存の本をばらして再製本することを学んでいた。日本には仮綴じや未綴じの本がないので、自分で本文紙を用意する他は、本をばらして作り替えることになる。しかし私は、再製本する本を探すのに、苦労していた。
 ヨーロッパの製本工芸では、紙や印刷に凝った、限定部数の貴重な本を手間をかけて製本するというのが一般的な考え方だった。けれど私が手間をかけて製本したい本は、貴重な本に留まらず、簡素だけれどずっと持ち歩きたい文庫だったり、ソフトカバーの本も多かった。
 書誌的に貴重でなくても、ひとりにとって大事な本ならば、手間をかけて製本する価値があるんじゃないだろうか。そう思って、展覧会では、あえて文庫本を再製本した本を展示することにした。
 六人の友人から、六冊の本を託されて、本の新しい形を探っていった。一人一人から本への思いを丁寧に聞き出し、本を一度ばらし、また糸でかがって、素材やデザインを考え、一冊、また一冊と、本が生まれ変わっていった。
 展示では、持ち主に本について書いてもらったアンケートを小さな折本に仕立てて、再製本した本と一緒に展示した。本を見て触ってもらうだけでなく、新しい形になった本の背景にある、ひとりといっさつの物語を感じてもらいたいと思ったからだ。技術的には至らない所だらけだったが、友人知人はじめ、地元在住の編集者の方や、翻訳家の方、、、DMを見て見知らぬ方々もたくさん見に来てくれた。かけてもらった言葉ひとつひとつが嬉しかった。この仕事を、求められている、という手応えをわずかでも感じることができた。
 そしてこの展覧会で、「空想製本屋」という屋号も生まれた。展覧会当時、書いた文章が残っている。
「あなたの本に対する思い出、物語、その本との出会いから、なぜあなたがその本に魅せられているかをお聞きし、そのイメージをもとに本の背骨を作り、(糸でかがる)バランスのよい体にし、(背を丁寧に整える)似合った服を着せます(表紙をデザインし、形づくる)。
あなたの日々の生活に寄り添う本を作りたいと願っています。
飾って眺めるだけではない本、ともに毎日を重ねていける本を。
空想する、夢見る、空想製本屋。
2005年9月末、西荻窪にて、開店です。」
 手製本を通して、本の形は、もっと自由で、読み手の思いを込めたものになれる。手を動かして本の形を考え、自由に空想し、本を作っていきたい。
十五年前、製本を始めたばかりの未熟者だった私は、この言葉通り、空想し、夢見ていたのだろう。けれど、迷いながらも、この展覧会でこれから進むべき道のしっぽ、のようなものをつかんでいたのかもしれない。

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