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胸に突き立てられた剣の使い道

この記事が、私の元彼女の目に届いていない前提で話そう。

今日は、恋の話だ。

お誕生日、おめでとう。

そうデジタルで綴られた文章を送るだけならば、ブロックを解除し右手でフリック入力をし、送信ボタンをタップするだけの簡単なことである。1分もあればできるだろう。
だがそれはすることはできない。そうしたいし、そうできるのに、だ。

私は22歳の…23歳だったかな?今となってはよく覚えていないが、とにかくそのくらいの時に、インターネットで元彼女と出会った。出会った瞬間から、他の人とは違った。なんというか、直感でわかることって、本当にあるものである。そういう経験がある人には共感してもらえるだろう。

とても長く感じたあの楽しい時間を、あえて短い尺で説明するなら、私達は同棲を始めた。元彼女は1000kmくらい離れている場所からただひとつ、私の隣を選んだ。私もそんな彼女を守り抜くことを決意した。

もちろんと表現したくはないが、もちろんそれは崩れ去った。
それが今から5年くらい前の話であるが、私が元彼女と最後に会ったり、話をしたのはそれが最後ではない。

ましてや、お互い嫌いになったわけでもない。向こうは新たな恋人ができたらしいし、私はそれ以来恋人が居ないのだが――こんな記事を書いている時点で察しがつくと思うが――お互いに人生の一部であった経験があるのだ。それがどう無関係な他人に戻れるだろうか。

だが私は今日この日、「お誕生日おめでとう」とは送らない。
送れるし送りたいし、相手は今日が誕生日なのに、だ。

私は自分の心が強いとは思っていない。だからせめて強くあろうと、去年の末ごろ、最後の決別を選んだ。こちらから連絡をすれば必ず返してくれる相手ではあったが。それは心地が良過ぎた。
甘えることができたのだ。ふと心の耐久度が下がった時に、何事もなかったかのように、まるでセーブデータをロードするように自分を取り戻すことができた。

だが、所詮セーブデータはセーブデータなのだ。
そこから離れなければ、進まなければ、永遠に物語が進むことはない。

私はきっと、物語の先を見たかっただけなんだろう。

現実のセーブデータは上書きしかすることができないので、もう当時のデータは残っていない。世界が崩壊した後の小さな村で、私は次のシナリオを探している。


さて、私はゴルフが好きであるが、プロゴルファー ジャンボ尾崎は、次のような言葉を残しているらしい。

"100を切るのに、趣味を捨てた。 90を切るのに、仕事を捨てた。 80を切るのに、家族を捨てた。 70を切ったら、全てが返ってきた。"

どこかでふと目にしたこの言葉は、今でも私の胸に深く突き刺さっている。
いつかこの剣で魔王を倒せと――崩壊した世界で、失ったモノが、仲間が、恋人が、蘇るように。元彼女と、また笑顔で会えるように。

それがいつになるかはわからないが…それが私の原動力のひとつになっていることは間違いない。
復縁する気はさらさらないが、新たな彼女ができるまでの間は、ひとつ前のページにブラウザバックするしかない。
本音で言うなら、こんな記事は、ブロックを解除しそうな、「誕生日おめでとう」と送りそうな右手を繋ぎ留めておく為だけに書いたのかもしれない。

ならば私は、今年二度とそんな気持ちを起こさないよう、強く想いを込めて今ここに打ち込もう。

元彼女へ。
お誕生日、おめでとう。


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