見出し画像

木村泰子/工藤勇一/斎藤眞人 三氏のトークセッションに参加してきました

8月9日に行われた上記イベント「みんなちがってみんなイイ! みんなの学校・みんなの社会」に参加してきました。
いまの日本の教育界を牽引する諸先生方のお話だけあって、会場は満席。私もかなり遠方から出席したと自負したのに、県外からも参加者がたくさんいらっしゃって、注目度の高さに驚かされました。
不登校児の問題など、子どもを育てる親として現場の生の声を聞けたのは本当に有意義です。

ほとんどメモですが、シェアの意味で列記しておきます。

画像1

■「やらされた」子どもは「文句が多い」

子どもに宿題を強要する。校則を強要する。こうして子どもが「やらされた」と感じると、その子供は文句が多い子供に育つ。
与えられ続けた子どもは、不満を言う。「与えられる」というのは、当事者ではないから、「自分で何かを成し遂げた」という想いや実感がない。だから不満しか出ない。

これを打破するには、「当事者になって権限を与える」こと。しかしなんでも与えりゃいいってわけでもなく、最終目的を明確にした上で。
その際には必ず対立が起きる。しかし対立を悲観しない。対立は対話でのみ解決できる。対話こそが学びだ。対話の中から、「最終目的」を洗い出せる。

■学校の最終目的とは?

学校の目的は唯一「子供の学習権を保証する」ということだけ。
なのに、様々なことがそれを阻止する。
「何が邪魔をしているのか」を考えていけば、解決策が見つかる。


■「家庭学習=宿題」と思っている人が多い

教育水準が最も高いと言われている県に視察に行ったところ、保護者から「引っ越したい」と相談された。「あまりにも宿題が多く、保護者の負担が酷い」との訴えだった。
また、こういう県では、不登校児も増加傾向にある。なぜなら、周りが優秀であるため、分からない問題があっても質問できない雰囲気になるから、とのこと。

■脳科学的な話

「安心」とは何かを脳科学から検証。

安心とは……心的安全状態のこと。このとき、前頭葉は活性化している。前頭葉が活性化している状態だと、感情のコントロールが可能となる。感情をコントロールできていると、何かに挑戦することが可能になる。

逆に、脳が危険や不安を感じると……前頭葉は動きを止める。すると感情をコントロールできなくなる(泣いたり叫んだりする)。この状態では新しいことにチャレンジすることはできない。

子どもたちに安心な環境で学習権を保証することが何より大切である。

■大人の言葉に縛られる子供たち

「他のお友達と仲良くしなさい」という言葉は恐ろしい。
なぜなら、仲良くできなかった場合、自分が悪い/誰かが悪い、と思ってしまうから。
教育者であれば、「他者・他人とは分かり合えないもの」であると教えるべき。
リーダーを育成するのなら、「他人は話を聞いてくれないものだ」と教えるべき。

また、「頑張ってね」という言葉も同様。
結果が出せなかった時に「頑張りが足りなかった」と自らを責める。

子どもたちは大人の言葉に敏感だし、大人が思った以上にその言葉に縛られて生きている。
※意外と大人も同じで、他人の言葉に縛られているかもしれない?

■教育を情緒的に行わないこと

日本の教育現場でよく使われるのが情緒的な指導法。
「もっと頑張れ」「やる気を出せばできる」など、方法論ではなく精神論だけで何かをさせようとする。

■あらゆる指導者へ

工藤先生から、デンマークで実際に使用されているサッカー指導者向けの「10カ条」が紹介される。

①子どもたちはあなたのモノではない
②子どもたちはサッカーに夢中だ。
③子どもたちはあなたとともにサッカー人生を歩んでいる。
④子どもたちから求められることはあってもあなたから求めてはいけない
あなたの欲望を子どもたちを介して満たしてはならない
⑥アドバイスはしてもあなたの考えを押し付けてはいけない
子どもの体を守ること。しかし子どもたちの魂まで踏み込んではいけない。
⑧コーチは子どもの心になること。しかし子どもたちに大人のサッカーをさせてはいけない。
⑨コーチが子どもたちのサッカー人生をサポートすることは大切だ。しかし、自分で考えさせることが必要だ。
⑩コーチは子どもを教え導くことはできる。しかし、勝つことが大切か否かを決めるのは子どもたち自身だ。

※この文章を紹介している日本のサイトは多々あるのですが、そのいずれにも「そんな手ぬるい育て方では選手は育たない」という日本人からの意見がついて回るのは印象的でしたね。

■不登校児との付き合い方

不登校児を多く入学させ、社会に輩出している、福岡県立花高校校長の斎藤先生のお話より。

・どれだけ生徒を褒められるか。
(例として、「夜中に友達とカラオケに行って補導・通報された生徒」のお話あり。涙と大爆笑のお話だったので、ぜひ機会があれば聞いていただきたい)
・「いいんだよ」と生徒を全部許せる
・「セーフティネット」としての学校の存在


今日から新学期。もしかしたら多くの子供が学校に行けず苦しんでいるのかもしれません。ありがたいことに我が子は「久々に友達と会える!」と意気込んで登校しましたが、学校に行けるって「当たり前」のことじゃないんですよね。
いま関わっている会議で、不登校問題や子どもの居場所作りに取り組んでいく予定。特に何ができるわけでもないけれど、何も考えないよりは、「考える」ことが重要。
子どもたちにひとつでも多くの「逃げ場」を作ってあげられたらいいなと思います。



もしサポートのご意思があるなら、お気持ちだけで。別の困っている方へ直接ご寄付ください。私と私の家族は元気なのでnote経由のサポートの必要はありません(*'ω'*)