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「余裕」があるということ

緊急事態宣言が解除になり、2ヶ月ぶりにお訪ねしたお客様宅。
お互いマスク姿な上に、雑談は控えましたが、それでもやっぱり誰かとお会いできるのは嬉しかったですね~。

そんな中、お客様から嬉しい一言をいただきました。
「以前、押入れを片づけてもらっていたおかげで、この緊急事態宣言を乗り切ることができました!」とのこと。

そこは、以前お伺いしたときに、押入れひとつ分をまるごと空にすることに成功していたおうちでした。
もちろん、「不要なものを捨てる」という判断をしてくださったのはそのお客様自身で、私はそのお手伝いをしたに過ぎません。

その時、「せっかく押入れが空いたから、何かモノを収納して有効活用したい」とおっしゃったのを、私がやんわりと制しておりました。

「場所があるから何かモノを詰め込んでおく」のではなく、「収納しなければならないものがあるから場所を作る」のであって、いま特に収納すべきものがないのなら、そこは空けたまま、いざというときのために取っておいてください。

というような話をしたんですよね。ちょっと偉そうですけど。

ちなみにこのお客様は医療関係者。現場でお仕事をなさりながら家族の面倒を見るというだけでも大変なのに、この2ヶ月以上の期間は感染症の不安と医療者への誹謗中傷も戦わねばならず、とても不安に過ごされていたようです。
買い物も最低限にし、買いだめをして不要不急の外出も決してしないようになさっていたのだとか。
そのときに、この押入れの空いたスペースがあったおかげで、生活空間を圧迫することなく備蓄ができた、本当にありがたかった、とのこと。

以前、「デッドスペースは生きている」という話をnoteに書いたことがあります。狭小住宅の多い日本ですが、家の中に物理的な余裕(デッドスペース)があるかどうかが、今回のコロナ禍で生活の質を左右したのではないかと思っています。

金銭的な余裕、物理的な余裕、精神的な余裕、すべて必要ですが、中でも精神的な余裕は本当に大切ですね。
自分自身が追い込まれていたら新しい発想もできないし、「片付けよう」という気概も生まれない。そうなると、物理的な余裕も生まれない。物理的な余裕がないと、例えばパンパンに詰め込まれた押入れなどはモノを出すにも一苦労で、中に何を入れたか自分で把握できない。「ここにしまってあるはずの洋服が出せない、だからとにかく同じようなものを急いで買うしかない」と、お金を無駄に使ってしまう。

慌てているときはとにかく余裕がないわけですから、日ごろから意識的に物理的な余裕を作っておかないと、すべての余裕が失われてしまいかねません。もし片付けができて少しでも場所が空いたら、その空間を愛でるくらいの勢いで大切に取っておいてほしいものです。

こう書くと、「家の広い人はいいわよね!」「我が家は狭いんだからもうどうしようもないじゃない」と嘆く方がいらっしゃいますが、実感として、家の広い狭いはあまり関係ないようです。
事実、私の実家、なんと14部屋もあるのに、すべての部屋にモノが詰め込まれていて、人が来るたびにてんやわんやで片付け(というか別の部屋に荷物を移動する)をするのです。それどころか廊下にも階段にもモノがあふれまくってます。
日頃から「余裕を持っていないといけない」ということをどれだけ念頭に置いて生活し、片づけを習慣づけているか、の方が重要みたいですね。

それにしても、ほんっとーにあの押入れ、空けといて正解だったなー。


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