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他人の評価なんてどうでもいい

「大学生になったのに、全然友達ができない」

「特に女友達が皆無だ、、、」

これは僕が大学1年生の終わり頃に感じていたことです。

周りの人たち、

特に女子から全く相手にされていないと感じていた僕は、

大学2年生になってから女友達を作るため、

コミュニケーション能力の向上に励みました。

今も続いていている僕のコミュニケーション能力向上に関する強い執着は、上記の流れで生まれました。

つい最近まで僕はコミュニケーション能力向上のために全身全霊で努力した自分を誇りに思っていました。

しかし、今は後悔しています。

なぜなら、コミュニケーション能力向上に取り組むことで、それまで取り組んでいた自主映画制作に使う時間がなくなり、遂にはしなくなったからです。

小さい頃から世の中のもので一番好きだった自主映画制作を放棄した瞬間でした。

「高いコミュニケーション能力で出会う人全てと仲良くなること」

これが当時の目標でした。

今は少なからずコミュニケーション能力は向上していますが、出会う全ての人と仲良くなれる程ではありません。

また、そもそも、出会う人全てと仲良くなる必要すら感じていません。

今は、自分が信じることを全身全霊で行い、その行動の価値を分かってくれる人のみと関わればいいと考えています。

実はこれ、自主映画制作に取り組んでいた頃と全く同じ考えなんです。

つまり、僕の考え方は、コミュニケーション能力向上に向けた努力をし始めた前のものに戻っているのです。

僕の核となる価値観は、やはり、全ての人と仲良くなることではないようです。

ということは、コミュニケーション能力向上という突発的に生まれた目標により、それまで大事にしていた価値観が180度変わってしまったのです。

価値観が元に戻った今、コミュニケーション能力向上への取り組みは本当に自分がやりたいことに辿り着くための壮大な回り道だったと感じています。

そしてコミュニケーション能力向上への執着心を生んだのが、大学に入ってから特に女子から相手にされないという事実でした。

もっと言うと、女子から仲良くなるのに相応しい人間として評価されていないと感じていたことが全ての元凶になっています。

周りの女子という他人からの評価により、ここまで自分の人生が変わったことは驚きです。

また、この女子からの評価に影響を受けすぎている自分が笑えます。

例え、本当に周りの女子からそのような評価を受けていたとしても、僕が特別それを気に留める必要はないんです。

ましてや、自分の価値観を完全に変え、自分の信じているものに使う時間をなくしてまでその改善に努める必要なんて全くないんです。

なぜなら、結局元に戻るからです。

これは例えるならば、どうせ家に帰るのに、その時間を遅らせようと頑張って寄り道を繰り返しているようなものです。

行き着く場所は一緒、

それなら最初から素直に最短ルートを通ればいい。

自分の行動の価値を分かってくれる人だけと関わっていられればいいという考えをベースに人生を生きていくのであれば、最初から最後までそれを貫けばいいんです。

途中で、逆に皆に自分の行動の価値を理解してもらえる人生はどんなものなのか、わざわざ試してみる必要はないんです。

もし、僕が女子からの評価を気にせずにいたら、今ごろはより強固になった自分の価値観とそれに基づいた行動によって生まれた、本当に僕が求めている成果を多少なりとも手に入れていたでしょう。

こう考えると、

他人の評価など人生における遠回りに繋がるだけのものであり、

自分が歩むべき道を進み、

自分が欲している成果を手に入れる上では、

自分の自分自身に対する評価のみを気にしていればいいのです


その時々の行動が本当に自分の価値観と合致しているものなのかの評価


のみが必要なのです。

それ以外の評価は必要なく、

他人からの評価は不要の極みなのです。


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