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日記を書いて、ネガティブ思考とうまく付き合っていく


高校時代、陸上のトラウマ

僕には、長年克服できなかったトラウマがありました。高校時代の部活です。陸上部に所属していて、長距離を専門に取り組んでいました。陸上は中学の時からやっていて、当時から陸上が生き甲斐、陸上の記録が自分の価値、と思うくらい熱中していました。でも高校では怪我と貧血が続き、1回も中学の時の記録を上回ることができずに引退しました。特に引退までの数ヶ月は酷い鬱状態で、ほぼ毎日泣いてしまうくらいの自己否定、食べ物の味がしない、という状況でした。

陸上部引退から1年が過ぎ、大学での生活で、ふと高校陸上のトラウマがまだ心に重くのしかかっていることを自覚しました。あの頃の記憶に対して、けじめをつけたい。そんな思いで、高校陸上のトラウマを掘り返して、今抱えている感情を紙に書き出してみました。

紙に感情を書き出した結果、メンタルが回復することはありませんでした。書きながら涙が止まらなくて、また当時の自己否定が蘇ってきただけでした。

「何も頑張れなかった自分は価値がなくて、ゴミ同然で…」
「皆自分のことを走力なくてメンタル弱いゴミだと思ってるんだろう」
「こんなことなら陸上をやらなければよかった。消えたい、消えたい…」

今は、時間の経過や、自己理解プログラムを通しての自己受容のおかげで、高校陸上のトラウマを克服し「あの経験があってよかった」と、自然と思えています。当時は、感情の言語化がうまくいかず、さらに自分を苦しめることになっていました。

今回は、当時頑張ってトラウマに向き合おうとしたものの、辛くなってしまった自分に向けて記事を書くつもりで、ネガティブ思考との上手い付き合い方を書いていきたいと思います。

ネガティブ思考は、悪いものじゃない

まず、ネガティブ思考になってはいけない、なんて全くないことを強く言いたいです。僕は放っておくとネガティブ思考が渦巻いてしまうような人ですが、この考え方で一気に楽になりました。

「ネガティブでもいいじゃん!」

そもそも人間は、ポジティブだけで生きていけるわけがない。ネガティブな経験や感情があるからこそ、ポジティブが際立って、感動できる。ネガティブもポジティブもあるからこそ、奥行きのある人間になれる。

ネガティブ=悪いものじゃない。何も挑戦せず、何も期待しなければネガティブになるなんてことはない。ネガティブな気持ちになるってことは、望む未来があって、それに向かって行動した証なんだ。うまくいかなかったとしても、望むものに向かってチャレンジして、頑張ったじゃないか!

頑張れない自分、やる気が出ない自分、人に優しくできなかった自分も、自分を守るための体の防衛反応だったんだ。我がままでいたい、休息を取りたい、という体からの自然なサインなんだ。

こう思うと、ネガティブが愛おしく思えてきませんか?僕は、自己否定さえしなければ、ネガティブでも全然OK、というスタンスです。ネガティブを受容して、自然とポジティブに上向いてくるのを待ちます。

自己否定(自分には価値がない、消えたい、自分はなんてダメなやつなんだ、等)の言葉は自分自身にかけないように意識しています。自己否定は奈落の底のように、一度はまるとなかなか自力では抜け出せないくらいに苦しんでしまうからです。自己否定の言葉が出てしまったら、

「ほんとはそんなことないんだけどね」

と、一言付け加えるようにしています。

ネガティブワードから、距離を取る

ネガティブ思考が悪いものではないという前提の上で、日記を使ってネガティブ思考とうまく付き合うコツをいくつか書いていきたいと思います。

まず、単純にネガティブ思考から距離を取る、という方法です。ネガティブなことを紙に書き出すと、人や自分を責める言葉が止まらなくなってしまうことがあると思います。

「あいつが憎い、ばか、ばか、ばか、ばか…」
「なんて自分はゴミなんだ、消えたい、消えたい、消えたい…」

ネガティブワードを繰り返すと、さらに自分自身を追い込んで辛くなってしまいます。ネガティブを受け入れつつ、このように書いてみると、どうでしょうか。

「あいつが憎い、ばかだ、と思った。
「なんて自分はゴミなんだ、消えたい、と思った。

「〜と思った」をつけることで、すっとネガティブな気持ちに距離ができたように感じませんか?これは古賀史健さんの書籍『寂しい夜にはペンを持て』で書かれていて、なるほど、と思った方法です。「〜と思った」と付け加えることで、ネガティブの暴走がストップして、「なんでそう思ったんだろう」と冷静に感情を観察することができると思います。

ネガティブに「だからこそ」を付け加える

ネガティブな言葉でも、「だからこそ」を付け加えれば、ネガティブとポジティブが程よく調和した文章になります。

高校陸上で全く結果が出せなかった。だからこそ、大学受験でリベンジしようと思って勉強を頑張り、第一志望の大学に合格できた。
高校陸上のせいでメンタルが不安定になった。だからこそ、同じようにメンタルが不安定な人の気持ちがわかり、助けることができる。

過去の事実はどうあがいても変えることはできません。しかし、事実の解釈は自由です。「黒歴史だ」と思ってしまえばそうなってしまうし、「人生無駄なことなんてない」と思えば本当にそうなります。ネガティブワードが続いたら、「だからこそ」と呟いてみましょう。

小説の第一章のように、ネガティブを描写する

人生、最終的には全てうまくいきます。
根拠はないですが、僕はそう考えるようにしています。ハッピーエンドの物語でも、その序盤、中盤には主人公の苦難が必ずある。主人公の苦難があるからこそ、それが伏線となって物語は面白くなると思います。ネガティブになって全て終わり、ではないです。小説でいえばまだ第一章です。どうせなら、この後来る大展開に備えて、ネガティブを細やかに描写しておきましょう。

高校陸上は怪我と貧血で全く結果が出せず、鬱状態にまでなった。部員からゴミ扱いされ、蔑まれているという妄想が頭に充満していた。終盤は部員の輪に入ることすらできず、トイレの個室で時間をやり過ごすこともあった。家族で外食に行く時も自己肯定感は奈落の底に落ちていて、せっかくのうなぎも、口の中をチクチクとする感覚しか感じることができなかった。
この経験が後にある人を救うとは、全く想像もしていなかった。

ネガティブだったあの頃の自分に、頑張ったねと言えるように

誰しも、辛い経験や思い出したくない出来事があると思います。ネガティブなことでも、ありのまま日記に書き記しておけば、いつか日記を読み返す未来の自分が、ネガティブな自分を励ましてくれます。過去に辛い経験があった人は、今の自分が過去の自分を癒してあげましょう。今辛い人は、過去の経験を思い出して、過去の自分に元気をもらいましょう。未来の自分からエールを受け取る準備をしておきましょう。日記を書くことは、自分の物語を書くことです。ネガティブもポジティブもひっくるめて、ありのままの自分で物語を作っていきましょう。

このブログは、高校時代に鬱状態になった過去の自分に向けて、そして今鬱状態で無職、転職活動もストップ中の今の自分自身に向けて、という意味も込めて書きました。かなり長くなりましたが、読んでいただき、ありがとうございました。

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