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心に浮かんだことを、何も考えずただ書いていく「ジャーナリング」

頭の中に吹き荒れる、大雨大嵐

一度モヤモヤの迷宮にはまってしまうと、ネガティブループが止まらなくなって抜け出せず、どんどん苦しくなって泣きたくなる…。真面目な頑張り屋さんで、人に優しくできる人ほど、そんな苦しさを抱えているのではないでしょうか。

仕事がうまくいかなかった、〇〇さんからこんなことを言われた、前も同じようなことがあったのに、そもそもあの時こうしていれば、なんで頑張っているのにうまくいかないんだろう、苦しい、ネガティブに考えちゃダメだ、あぁ。。

仕事帰りの電車、夜ベッドに座った時、一人になるとぐるぐると頭の中を思考が渦巻いて、頭の中が言葉にもならないモヤモヤで渋滞して、脳みそがはち切れそうになる。気分を天気で表すなら大雨、大嵐。僕はこんなことがよくあります。

ジャーナリングで、心を整える

僕にとって、大雨大嵐を静めて、すっきり深呼吸できるくらい心の天気を回復させるものがジャーナリングです。今回はジャーナリングとは何か、実際にジャーナリングを続けたことで、心にどんな変化があったのかを書いていきます。

ジャーナリングとは「書く瞑想」とも呼ばれ、感情をありのまま紙に書いていくことで心の安定や自己理解、自己実現を行うことです。紙とペン、そして少しの時間を確保すれば誰でもできる、手軽なものです。

僕がジャーナリングを始めたきっかけは、「思考がぐるぐると暴走する苦しさから解放されたい…!」というシンプルかつ切実な思いでした。僕は常に何かしらの考え事をしているような人で、特に「自分はどう生きていきたいか」のような哲学的な(?)思考に入るともう抜け出せなくなります笑

ぐるぐる思考の沼から抜け出すために、紙とペンを用意して、今感じていること、体の感覚、パッと思いついたことをとりとめもなく書いていきます。何も考えず、ただ体や心の反応をスケッチするように書いていきます。しっかりとした文章になっている必要は全くありません。なんなら言葉でなくとも、思いついた絵やぐるぐるギザギザの線でも良いと思います。手が止まったら、「手が止まった、書くことないな〜うぅ〜」みたいに、本当にテキトーに書きます。

ある日のジャーナルの一部

書き進めるうちに、いろんな感情が芋づる式にするすると出てきます。表層の感情から徐々に深層の価値観へと潜っていって、今まで気づかなかった自分に出会うこともあります。とにかく、腹から湧き上がってきたことをそのまま手に伝播させて、全身の感覚として書いていくのです。ゾーン状態に入る感じがして、結構気持ち良いです。

しばらく書くと、頭の中を吹き荒れていた雨風がすっきりと凪いでいく感覚になります。自分が心から望んでいるもの、感じたいものはシンプルで、書き始めはネガティブだったとしても、書き終わる頃には穏やかなポジティブさのある言葉になります。

人に与える優しさを、自分にも向けられるように

心の声と頭からの指令は、一見区別がつかないものもあります。社会で生きていると頭からの指令や打算、計画ばかりが大きくなって、純粋な気持ちが置いてけぼりになることがよくあります。

・〜しなければならない
・〜したほうがいい
・人から〜と思われる
・〜を期待されている
・人より優れていたい(劣っていたくない)

これらは頭からの指令(社会的責任や他人軸から生まれた考え)です。
もし本心に素直に生きていくことを望むのであれば、一旦このような頭の声を置いて、心の声に耳を澄ませることも大事だと思います。

社会に出るといろんな責任があるのは事実で、それを全うしているあなたを僕は尊敬します。ただ、一番大事なのはカラダとココロだと思います。ジャーナリングを通して、あなたが社会や周りの人に向けている優しさを、自分にも向けられますように。


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