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「本心に素直に生きる」とはどういうことか?

「しっかりしなきゃ」という思い

僕は子どもの頃から最近まで、「しっかり生きなきゃ」という根底の価値観が無意識下にあって、それが自分を苦しめていたことが多々ありました。仕事は上司やお客様の期待以上の働きをしなければいけない。会社の飲み会はしんどいけれど、自分の成長のために我慢しなければならない。自分が純粋にやりたいことよりも、社会の王道ルートから落ちないように進むこと、また社会がよく言う「成長」をし続けて、自分のステータスを上げることに必死になっていました。
自分の内発的な価値観が確立されていなくて、
「良い人であるように」
「人の役に立てるように」
という、外側の基準で自分を評価し、律していました。

人に流されている自分に対する悔しさ

半年前、友達との複数人での飲み会の後、ちょっと苦手意識のある人から2次会のラーメンに誘われ、断れず、もうお腹いっぱいで食べたくないのにラーメンを胃に入れて、全く楽しくない会話に時間を使っていました。

また、会社での飲み会で、50歳くらいのおっちゃんに絡まれて、
「俺たちはな、人である前に男なんだよ!男らしさを極めていく存在なんだよ!」
という説教を1時間ほど聞かされていました。自分の価値観が確立されていなかったため、その説教に浅はかに納得しながら聞いてしまって、飲み会の後虚しさに襲われました。

人間関係も、仕事も、人やその場の流れに流されるばかりで、自分の意思がどこにあるのかもわからないことが、悔しかったです。

日記は、本心を曝け出せる場所

社会人になる前から日記をつけていたのですが、最近までは自分にとっての日記の価値を考えることはあまりなく、ただ楽しいから書いている、という状況でした。自己理解プログラムを通して自己分析をする中で、自分にとって日記は本心を確認するための、欠かせないものであることがわかりました。日記は誰にも見られず、誰にも評価されない場所だから、自分に嘘をつくことなくありのままの気持ちを書くことができました。

本心に素直に生きる、とは

体の感覚として、純粋に楽しい、心地良いと思えること(内発的動機で動けていること)が、本心に素直になれている状態だと思います。逆に無理やりポジティブに捉えないと楽しく感じなかったり、周りを過剰に気にして自分が何をしたいか自覚できなくなってしまう状態が、本心に素直に生きていない状態だと思います。

僕は、本心に素直に生きたいです。理由は、単純に本心が分からず生きることが苦しく、本心に素直になって行動することで本当の充実や感動を味わえるからです。

社会で生きていると、周りの声ばかりが聞こえてきて、心の声が聞こえなくなることがよくあります。だからこそ、日記というパーソナルな空間で、自分と向き合っって本心の純度を上げていくこと、日記で見つけた本心の通りに行動することで、楽しく感動に溢れる人生を送ことができると思います。

「本当は何をしたいの?」
「本心の通りに、行動しようよ」
この言葉を常に自分に投げかけて、納得のいく、自分の人生を生きたいと思います。

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