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自由じゃないから教養を求める

読んだ。

世間ではずっと「教養」という言葉が好き勝手に使われている。雑学と教養は何が違うのか、教養ある人間とはどんな人のことを指すのか。俺も含めて、みんな自分の都合のいいように教養を扱う。

そんなわけで本書の「教養」についても、あまり真剣に捉えずに読み始めた。どうせ教養を求めると言っても、実利を求めてのことだろう、と。何を教養と捉えるかが、焦点だと思っていたわけだ。

しかし内容はまるで違った。貧困や慣習などで、勉学に励みたくても励めない青年たちの様子がひたすらに紹介される本であった。金が無いから進学したくても中卒で働かないといけない。農家の長男として村から出ることを許されず、親に従わなければいけない。定時制に通おうとしても、上司や先輩が邪魔をする。そういう話がわんさかあるのだ。

本書で紹介されるエピソードは、やる気も能力もあるのに、環境がそれを許さないケースが多い。中学では学年1位だったのに、家庭の事情で進学できず、働くことになる。せめて最後の学校生活で学べるだけ学ぼうとしても、先生たちは進学組を優先してしまう。どうせお前ら就職組は働くことになるのだから、勉強を頑張っても無駄だろう、と。そうやって機会を奪われるわけだ。

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