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ヤフー取締役常務執行役員、宮澤弦は、なぜコロナの真っ只中に、軽井沢に移住をしたのか?(後編)

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変化するために、強制的に自ら変わってしまう

 コロナがやってきて2月から在宅ワークが推奨されましたが、なんと10月1日から「リモートワークの回数制限およびフレックスタイム勤務のコアタイムを廃止」。つまり、場所も時間も問われない、完全に自由な働き方になったのが、ヤフーです。

 そんな中、約3500億円の事業規模を持つメディアカンパニーのトップ、宮澤弦さんが選択したのが、なんと軽井沢への移住でした。コロナの最中、6月のことです。

 時間と場所に縛られない新しい働き方にチャレンジしようとしているのが、ヤフー。軽井沢が好きなら、別荘を買って週末を過ごすととか、東京の家はそのままにときどき行くとか、そういうこともできたはずです。

 しかし、東京の家を引き払い、宮澤さんは家族ともども移住してしまった。これは、自ら新しい働き方を率先して体現したかったのだと思います。中途半端に軽井沢と東京を行ったり来たりしていたのでは、自ら変われない、と。

 変化するためには、強制的に自ら変わってしまう、というのはひとつの方法です。住む場所を変える、というのは、その最もシンプルな方法。

 会社全体を変えようとしているときに、リーダー自ら本気でやることを決断したのです。そこにパワーを使った。

 今、求められているのは、このくらいダイナミックな変化だと僕は思いました。変化が起き、環境が変われば、間違いなくクリエイティブになれます。同じことをしていても、同じ発想しかできません。変化するから、新しいものが生まれていくのです。

東京とまったく変わらない生活が田舎でもできる

 宮澤さんのフェイスブックでの移住報告には、「今週、Zoom(で人と話した)以外に出会ったのは、子グマに野ウサギ、フクロウなど動物たちばかりです」と書かれていたのが、印象的でした。宮澤さんは語ります。

「僕自身が北海道生まれで、18歳まで育ちました。子どもをどこで育てたいかと考えたとき、やっぱり自然の中がいいな、と思っていました。クマも出るし、リスも出るし、ウサギも出る。そういうところに今、住んでいますけど、コンクリートの中で育てるより、こういう環境で育てたいな、と」

 また、元楽天の本城愼之介さんが創設した軽井沢風越学園や、日本で唯一、国際的な民間教育期間UWCの加盟校になったインターナショナルスクールのISAKなど、新設校の充実も魅力だったと言います。

「それで東京まで新幹線で1時間なんです。僕はアフターコロナの時代は、都心まで新幹線で1時間ゾーンというのは、高い人気になると思っています。官公庁などが都心に集まっていますから、東京に行かないわけにはいかないと思いますが、行きやすいかどうかが大事になると思っています」

 僕のまわりでも、新幹線に限らず、ですが、1時間ほどで都心に行ける鎌倉や逗子、葉山などに引っ越しをしている人が出てきています。

「あと、今はインターネットのおかげで、仕事の生産性もそうですし、田舎暮らしのクオリティオブライフが上がっているんだと思うんです。田舎でも退屈しない」

 モノが欲しければ、eコマースですぐに届く。映画を観たければ、ネットのサービスで見られる。

「技術の進化のおかげで、東京とまったく変わらない生活が田舎でもできるんですよね。そういう時代に合わせた生き方をしていいのではないかと思っています」

 僕が強く感じているのは、何より距離のコストが劇的に下がったことです。Zoomは象徴的ですが、僕が1999年にシティバンクで働いていたとき、オンラインでやりとりするときの通信コストはとんでもなく高かったのです。

 日本とニューヨークとインドの3社でテレビ会議を使っていましたが、そのシステムが数千万円。月々の回線費用が約500万円。1回会議すると約10万円くらいが吹き飛ぶ。それを考えると、今は本当に隔世の感があります。

株主総会すらも大きく見直せることになった

 そして宮澤さんの話でびっくりしたのは、なんとヤフーの株主総会もオンラインで行われたことです。宮澤さんは取締役ですが、軽井沢からオンラインで参加したそうです。孫正義さんの隣に映り、背景が木造の家だったことで目立ってしまったとか。

「毎年、東京国際フォーラムの大きなホールを借りてやっていたんですが、今年は思い切って真逆に振ったんですね。会場に来る人は20人だけ。それ以外はオンライン。登壇する役員も社長だけで、他は全員オンラインという株主総会に挑戦しました。」

 しかし、これで十分成り立ったそうです。僕も上場会社の役員を務めていたことがありますが、株主総会こそまさに今までの前例重視で、こんなふうにやらないといけない、というものががんじがらめになっていました。しかし、コロナを機会に変えられたのです。

「たとえば、オンラインで質問を受け付ける形にしたことで、多数の株主の皆様から質問をいただけるようになりました。また、オンラインという新たなチャレンジでしたが、多くの携わってくれた人たちのおかげで、大きな事故もなく、無事に終えることができました。」

 古い発想のまま、形骸化して続けられていた象徴的なものだったと思います。

「これまでも、おかしいな、こんなことをいつまでやるんだろう、とは思っていましたが、これを機に、株主総会すらも大きく見直せることになった。株主総会を抜本的に見直しましょうって、なかなか普段、言えないですよね。でも、こういうタイミングなら変えられたんです」

 コロナはいろんなものを変えるチャンスのタイミングでもあるのです。

 営業のスタイルもかなり変わったそうです。それまでの営業は、対面してフェイストゥフェイスが基本だった。そう思い込まされていたのかもしれません。

「今は基本Zoomでやっています。新規のお客さまへのご案内もウェビナーを使っています。そうすると、1人のプレゼンテーターが300人ほどの人たちに対して一度に説明をして、そこで申し込んでくださった方に営業に行く。そういうスタイルが可能になりました」

 コロナが来たことで、営業の効率は大きく上がったのです。

「今までは大きな会議室やホールを借りて、人を集めて話をするというのが前提だったものが、ことごとく変わりましたよね。おそらく今までそうじゃないやり方を、あまりしていなかっただけだったんだと思うんです」

 ところが、それができなくなった。だからオンラインでやってみたら、案外うまくいった。それがこの半年で起こったことだったと言います。

自分たちだけでは限界がある、と気づいている

 そしてヤフーといえば、働き方を大きく変えると宣言をしたとき、同時に新たにスタートさせた取り組みがありました。副業人材、いわゆるギグパートナーの募集です。第一弾が最大100人の事業プランアドバイザーでした。

 どんな仕事をしていても構わない。副業で月に5時間程度を提供し、報酬は5万円を提供する。これには衝撃を受けました。とても面白い取り組みだと思いました。思わず、僕も応募しようかと思ったくらいです。

「移動時間がなくなったり、会食も積極的に行こうと言えない状況の中で、時間に余裕ができた人が増えているんじゃないか、という話に経営陣の中でなったんですね」

 まずはヤフーの社員に外の世界をもって知ってもらいたい、と考えたそうです。副業でアートのキュレーションをやる。写真の講師をやる。本業と違うことを経験して、今までの自分の幅を広げていく……。

 これは僕も大いに意味のあることだと思います。思い切って住む場所を変えることもそうですが、日本のビジネスパーソンは外の世界をもっともっと知ったほうがいいと僕も思っていました。それがクリエイティビティを生む。これまでなかったアイデアを生む。イノベーションを生むのです。

「全社員にやってもらいたいと思っているんです。それにプラスして、きっと社外の人たちでも同じような状況があるんだとしたら、優秀な人にヤフーに関わってもらいたいと考えたんです」

 その募集には、なんと4000人以上が集まったそうです。

「下は10歳から上は80歳まで。創業社長、某メディアの副社長経験者、元某省庁副大臣、大企業に勤務する人など、いろんな人から応募があって。報酬目当てではないはずです。何か貢献したい、力を持てあましている、もっと活躍したいと考えている人が、日本にはこんなに多いのかと改めて思いました。そういう人の力をもっともっと活用していくと、社会は変わっていくんじゃないか、と思いましたね」

 逆にいえば、ヤフーは自分たちだけでは限界がある、ということに気づいているということです。そのスタンスに、僕はとても共鳴したのです。持っている能力をここで活かしてほしい、面白いことをやってほしい、というのは、とんでもなく魅力的なメッセージです。

「実は4000人以上の応募が来るとは考えていなくて、みんなでてんてこ舞いになっているところなんですが。ただ、これは今回だけではなく、継続してやっていこうと思っています。例えば、こんなテーマの課題があるので意見を聞かせてほしい、とか、PayPayって今後どうしたらいいと思いますか、とか」

 高校生からも応募があったそうです。「ヤフーはもっと若者の意見を聞くべきだ」と書かれていた、と。

「最高ですよね。本当にその通りだと思いました」

インターネットのサービスは若者から生まれる

 僕自身、今、東大生たちが中心になっている学生ITベンチャーと一緒に仕事をしていますが、今後、生き残ることを考えたら、若者の意見こそ聞かなければいけないと強く感じています。宮澤さんも言います。

「インターネットのサービスって、若い層から上がっていくんです。それでオジサン達が入ってきて、つまんなくなって若い人は次のサービスに移動していく。これが、20数年ずっと繰り返されているサイクルですよね」

 実際、フェイスブックにオジサンが増えると、若者はインスタに移っていきました。そしてTikTokに移り、次はまた若い人が何かを見つけるはずだと思います。

「若い人は、経験値が入っていない分、最も本質的だったり、最も振り切るべき方向を提示してくれるんだと思うんです。大人がそれを言うと、あんなムチャなの持ってきた、となっちゃうんですけど、案外、的を得ていたりするんですよね」

 僕は真剣に、オジサン世代はこのままだと今の20代にすべて仕事を取られてしまうと思っています。ついていけなくなるからです。

「インターネットのサービスって、大学生とかから生まれていますよね。お金がなくて時間がある、というのが最高なんだと思うんです。そうすると、お金がない中で、どうやって楽しむとか、どうやってクオリティオブライフを高めるかを工夫する。だから、サービスを見つけやすい。大人は、時間がないので確度の高いものを使いがちです」

 大人はすぐにお金で解決しようとする。やはり、工夫がなくなるとダメなのです。工夫から、新しいものが生まれるのです。

ノリの良さで新しいことに挑戦していく

 グループで1兆円を超える売上高を持つヤフーですが、なぜこんなに若いベンチャーみたいなのか。最後に、そんな話をしました。

「ヤフーが若さを保っているというか、いわゆる日本の通常の大企業とちょっと違うのは、定期的に社長が交代して、それに伴って経営陣がガラッと交替することかもしれません。数年に一度、すごいリフレッシュがこのタイミングで行われるんです」

 そして誰かが会社に残って権勢を振るったりしない。「半沢直樹」のようにはなったりしないのです。

「だから、前の経営陣に気遣うことなく、新しいことに挑戦できるんですよね。あとは僕もそうですけど、買収した企業の社長をどんどん経営陣に入れてきます。やっぱり創業社長って変わった人が多かったりしますから、そういう才能を寄せ集めているところがあると思います」

 今も、面白い人を求め続けていると言います。

「今まで自分ではまったく聞いたこともない体験をしている人とか、物事の発想の方法が桁2つくらい違う人とか、そういう人が面白いですね」

 実際、孫正義さんという人は、2桁違う発想をする人だと宮澤さんは語っていました。そして僕自身、これぞヤフーの秘密なのではないか、と思った話を最後にご紹介します。

「ノリの良さって、大事なんだと思うんです。10月からの新しい人事制度も、どうやって決めたんですか、といろんな人から質問を受けるんですけど、いやノリですよ、というのが究極の結論で。なぜなら、10時間会議しても結論は出ないと思うからです。だから、こっちじゃね?みたいなノリを持たないといけないし、そのノリの良さで新しいことに挑戦していくというスタンスを、もっともっとみんなが持つ。そうすれば、保守的にならなくていいんじゃないかと思っているんです」

 アフターコロナの時代には、正解がありません。これだけの規模の会社でも、走りながら考え、変わり続けている。その事実をぜひ、知ってほしいと思います。

本田直之

プロフィール 宮澤 弦
Zホールディングス 常務執行役員
ヤフー株式会社 取締役 常務執行役員 メディアカンパニー長
2004年株式会社シリウステクノロジーズを創業、代表取締役に就任。
2010年8月、ヤフーにより買収後、2014年4月より執行役員(最年少)、検索サービスカンパニー長に就任。
2015年4月より検索に加え、トップページやニュースなどを含めたサービスを管掌するメディアカンパニー長就任を経て、
2018年4月には常務執行役員 メディアカンパニー長に就任。2019年10月、取締役に就任。1982年生まれ。
北海道札幌市出身

※本内容は2020年7月24日時点の情報に基づき記載しています。

(text by 上阪徹)


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