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映画「轟音」を観て

 映画を観た直後って、本当にそのことで頭がいっぱいになって。あれこれ考える時間が実はとっても好きなんですけれど。ツイートでは収まりきらなかったうえに、ネタバレを含んでしまうのでこちらに書くことにしました。

 以下、映画のネタバレを含みます。ツイートと重複する部分もございます。嫌な方は戻って頂けたら。読後クレームは無しでお願い致します。



 やっぱり最初に触れたくなるのは、最後に観るクライマックスなんですよね。

 健太郎を殴り付けることで、暴れ狂う感情を放出していた誠。一番最初に兄と父の出来事があって母の助けを得られず逃げ出したときは、どうしたらいいか分からないそれを消化するために傷つけてくれる人を探していたんですよね。それが最後、傷つける側に回ってる。浮浪者の彼を止める立場だったのが、止められる立場に。

 ここって、結構大きいなって思っていて。「誰か誰か」ってなっていた子供(というと表現がおかしいかもしれません)が、自らの意志で、殴りに行く。変な話、巣立ちみたいなものだって思いました。

 そして、それを浮浪者の彼に止められる。羽交い締めじゃないんです、抱き締められる。これも大きいなって。このとき、兄と弟のような関係性をしかと見ました。結果として、警官から庇われ、逃がし逃がされる。ある種、守った側と守られた側の構図ができるんですよね。これ、私、両者が求めていたものだろうって。抱き締められるところから含めて、この瞬間、お互いが救われただろうって思いました。

 だって、助けてください、が間違いなく叶ったんだもの。

 そして、浮浪者の彼。ここからはあくまで本当に私の想像でしかないんですけど。冒頭、誠の兄に殺された(と思っています)女の子(だったはず)は、彼の縁者じゃないかって思ってしまったんです。端的に言えば、妹じゃないかって。お兄ちゃん、って一言呼んでたあの子が印象的だったんです。だから、守れなくて、悔やんで、苦しんで、傷つけられたくて傷つけて、流されて生きてって。

 木村も、実は浮浪者の彼を繋ぎ止めていたんじゃないかって。経緯は分からないですが、利用するところから、情が湧いたりもしたんじゃないかって。

 まあ、本当にこれはただの想像なんですけれど。実際、事件から誠が逃げ出すところまで、そんなに時間は経っていなかったのではないかと思うので。でも、浮浪者の彼にはそういう「守るべき」とか「守りたい」立場の誰かが居たんじゃないかって思ったんです。その存在を失ったんじゃないかと。だから最後、誠を「守った」ことが彼の救いになったのではないかと思いました。

 そして、守られた側の誠は「走れ」と背中を押され、守られた事実を得て、逃げ出すという感覚はあるかもしれないけれど、先へ向かって一人で走って(巣立って)いくのかなと。

 一瞬のことだけれど、確かな味方がいた、守られたその事実が、彼のその先への希望になるのかなと。

 最後、轢かれてしまう彼だって、その背中を見ながら、庇ったその事実に安堵や希望めいたものを持っていたんじゃないかって。そこで終わることは予期せぬことにしろ、彼にとって決して悪いタイミングではなかったのではないかと。

 パンの食べ方とか、命日の怯えとか、さりげない寝方、寝顔。色んなところに見え隠れする何か掴めそうで掴めないものたちにも惹かれました。これはなんというか、世間一般的な日常に身を置いている角度からでは理解しきれないものを、感覚的に自分が感じたのではないかなあと思っています。

 メイン男性2人の話はこの辺りかな。

 ラジオパーソナリティーのひろみさん。彼女は、野村さんと不倫関係だったわけで。野村さんは彼女に執着しているがゆえに(愛と執着って紙一重だと思っているんですけど)、支配下に置こうとしていたと思うんです。ただ、実際は、彼女ってかなりはっきりした意志と芯を持つ人だなと思っていて。それに従っている(従わされていた)わけではなく、自らの意志のもと、全てを受け入れていたのではないかと。つまり、別に野村さんを優位には立たせていなかったのだろうなと思ったのです。従う、従わせる、の関係ではないので。

 でも、物理で来られたら勝てないし、執着心は強いし、どう足掻いても邪魔される存在になる。自分を好き勝手されたくはない。所有物ではないのだから。そんな気持ちがラストに繋がったりしているのでは、なんて想像してしまいました。ちなみにラスト、叫びながら放出したわけですが、あれは分かるなってなっちゃったんです。だって、ああなったら、ね。私だって、もしかしたら、なんて思わずにはいられなかった。

 で、彼女の行動のラストって、前二人に通ずる部分があるなって勝手に感じて。人は繰り返す、というか、本質に似たようなものを誰しも持っているんだな、って。

 そして、まゆこさん。彼女は、この話の中だと異色というか、一番、ある意味普通で。対照的に描かれているなと思ったんですけど。でも、これ、たまたまそういう選択になっただけなのでは、とも思ってしまったのも本当なんです。

 彼女は、自分一人で放出をして、折り合いをつけて、道を選んで。結果、一番穏便に見えるラストだったんですが。一歩間違えたら、ひろみさんのようになっていた可能性はゼロではないし、誠の両親のような選択を、彼女や父親が選ぶ可能性だってあったのではないかと思ったのです。たまたま、そうならなかった。それだけではないかって。

 もちろん、大多数はそりゃそうだって思うかもしれないけれど。でも私は、日常って、そういう、たまたま、の積み重ねだったりするのではないかって思うのです。

 無数の選択や偶然、たまたまの積み重ねによって、人生や日常に違いがある。だから、本質的には人ってそんなに差異はないのではないかって。ひろみさんの話に通じてしまうんですけど。

 纏めるってなかなか苦手なので、支離滅裂なのは承知のうえです。書きたいことを書き連ねてみました。私なりの、ある意味、放出かな。

 そういえば、終演後のトークショーで片山監督や出演者の方とのお話を聞いて納得したんですが。

 映画を観ていて、フィルター(画面)越しに観るお芝居にしては、とても生っぽいお芝居だなって印象を受けたんです。段取りが見えないというか、っぽくない、というか。もちろん、片山監督、出演者の皆さんや撮影チームの皆さんの技量あってこそのものだとは思うのですが、トークショーでそういうものを好まないというのを伺って、心底頷いてしまいました。

 さて、多分、口に出したら止まらない気がしますが、書くということには一頻り満足しました。

 誘って頂けなければ自分だけでは気づけなかった作品ですので、改めてご縁って本当にありがたいものだなあと痛感しました。沢山の刺激も頂いて、今後さらに精進……というか、色んなものに触れて感性みたいなものを磨いていきたいなと強く思いました。

 お読みくださってありがとうございました。

2020.2.23

#映画 #感想 #轟音

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