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細胞は「人体」という巨大なシステムの全体を写しとるキャンバスになるかも知れないと僕が思う理由について

人体を、分子という部品にバラして、再構築するというアプローチ。この偉大なアプローチが人類に与えた恩恵は計り知れない。でも、このアプローチは限界にきている。分子について調べた結果を、これ以上どれだけ積み重ねても、人体の振舞いをこれ以上正確に予測できるようにはならない気がする。人体という超複雑なシステムの全体を把握するためには、全く別の発想が必要なんだと思う。

生命をネットワークと捉える

生物学で、ある分子を研究するっていうのは、
実は多くの場合、
 「その分子が情報を伝える相手の分子を探す」
っていう研究になる。

ある分子が、
 どんな相手に、
 どんな情報を伝えるのか?
を調べるんだ。

010_分子から分子へ

相手の分子が分かったら、
 さらにその相手の分子を探す。

これを繰り返して、
 ひとつなぎの情報の流れ
を見つけ出すんだ。

011_ひとつなぎの流れ

そして、細胞の中にはたくさんの、
 ひとつなぎの流れ
があって、互いに横にもつながってるから、
全体はとても複雑なネットワークになってる。

012_ネットワーク

このネットワークをなるべく詳しく調べて、
細胞のしくみを解明しちゃおう!

っていうのが、
現代の生物学の基本戦略だ。

つまり、生命を、
 情報の流れのネットワーク
と捉えている。

015_細胞内のネットワーク

生命を、ある種の
 情報処理回路
だと考えるのが、現代の生物学だ。
(こうでない考え方もたくさんあるけど、主流はこうだ。)

ネットワークが見えていることの威力

生命を「情報処理回路」として理解するという戦略が、生物学や医学に定着した理由は簡単だ。

この戦略が、すごい威力を持っていたからだ。

例えば、ある病気の薬を作る時。
その病気の患者さんと、健康な人とで、
 ネットワークを比較する。

すると、患者さんの体では、
 ネットワークのここの分子が活発になりすぎていて、

013_活発過ぎる経路

これ以降の情報の流れが強くなりすぎている、
と分かったりする。

これが分かってしまえば、
この分子の働きをおだやかにする薬を探したり、

それが無理でも、
この分子以降の流れのどこかにある、
 別の分子の働きをおだやかにする薬が見つかれば、
それがこの病気に効く薬の候補になる。

このように、
 狙うべき分子を予測できる
というのが、
 ネットワークの地図が見えている
ことの威力だった。

分子を狙って薬を作る、というアプローチは、
「ネットワーク以前」の生物学では、
考えられなかったのだ。

ネットワークと捉えることの問題点

でも、生命を
 情報の流れのネットワーク
とみなす、という戦略には問題もある。

ネットワークの地図を見て、ある分子を狙って薬を作ると、
いい薬ができることもあるけど、
 いい薬がなかなか見つからなかったり、
 見つかっても、副作用が強かったり、
 どんな人で副作用が出るか、予測が難しかったりする。

つまり、
 ネットワークの地図から、
 人体の振舞いを予測するのは、
  なかなか難しい。

だって考えてみて欲しい。
ひとつの細胞の中だけでも、
気が遠くなるほど複雑なネットワークがあるのだ。

この複雑さは、僕の稚拙な図ではとても描ききれない。
実際のネットワークは、例えばこのリンク(↓)なんかを見て欲しい。
日本のKEGGというプロジェクトが提供している、ネットワークの地図だ。

これらは細胞が持っているネットワークの一部にすぎない。
実際には、ひとつの細胞が持っているネットワークは、これよりはるかに複雑だろう。
そして人体は、こんな細胞が数10兆個も集まってできている。

こんな超巨大ネットワークの振舞いを、
正確に予測できる日が来るとは、想像しにくい。

それに、より致命的なことに、人類はまだ、
 人体という超巨大ネットワーク
をすべては解明していない。
ネットワークを完全に調べきれる日が、果たして来るんだろうか・・・

つまり、
 人体という超巨大ネットワークを完全に読み解いて、
 その全体の振舞いを正確に予測する、
なんてことは、たぶんできないだろう、
 ・・・と、僕は思っている。

人体というシステムを写像する

これは、
 「部分から全体を組み上げる」
というアプローチの限界だろう、と僕は思う。

人体を、
 分子、という最小単位(部品)にまでバラして、
 その部品の仕組みをひとつずつ調べ、
 調べた結果を積み上げていけば、
 いつか全体像が描けるだろう、
というやり方に、そもそも限界があるのだ。

では、どうすればいいか?

バラさなければいい。

人体というシステムを、
 バラさずに、
 まるっと全体を掴めばいいのだ。

どうやって掴むか?

数学に「写像」っていう考え方がある。
写像は、「写す」っていうことだ。

例えば、
19次元の世界のモノゴトは、
 そのままじゃ理解しにくいけど、
そのモノゴトを3次元の世界に写像すれば、
 理解できるかも知れない。

016_写像

人体という巨大なシステムは、
 そのままじゃ理解しにくいけど、
何かもっと単純な世界に写像すれば、
 その写像された先の「何か」は理解できるかも知れない。

017_人体を何かに写像

どんな場所に写像すればいいんだろう?
目的は、人体を、
 バラさず、まるっと
理解することだ。

人体という巨大なシステムを、
 バラさず、まるっと
写しとれるキャンバスはどこにある?

人体という超複雑なシステムを
「バラさず」に写し取るんだから、
写し取られる先も、ある程度は複雑なシステムであるといいだろう。

でも、人間がそれを「まるっと」理解できる程度には、
小さいシステムであるといいだろう。

ある程度は複雑なシステムで、
でも、理解できる程度には小さいシステム・・・

それは、「細胞だ!」
 ・・・と、僕は思っている。

人体というシステムの状態が、
 細胞というシステムの状態に写像される、

014_人体から細胞へ

とするなら・・・

 細胞をバラさずに、まるっと測定する技術
があれば・・・

ドバッ!と一気に、
 全く新しい世界が展開する、
と、僕は妄想している。

だから僕は今でも、
 細胞の持つ可能性を捨てきれない、
 「細胞屋」であり続けている。

そして、だから僕は、
現代の、とんでもなく進歩した顕微鏡やフローサイトメーターに、やや懐疑的だ。
それらが結局、細胞を分子という「部品」にバラしてしまっている、と思うからだ。





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