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言葉の現場と学び舎を往来する(久松 紀子)その1 大学でまなび直す

こんにちは。英語教材制作者および校閲者の久松と申します。ときどき翻訳や翻訳チェックもしています。

大学では古文を専攻していたため、学問として英語を勉強したことはありません。社会に出てから四半世紀以上、言葉や文章の仕事をしてきましたが、5年前に縁あって英語教材業界に入りました。すぐに、このままではやっていけないと気づきました。言語学の知識がないと雑談にすらついていかれないのです。

本を読んだりしてみたけれど独学の限界を感じた2年前、獨協大学の門をたたいて聴講生となりました。英語全般をまなび直していますが、当初の目標である言語学は毎学期受講しています。

昨年は、初級言語学という位置づけの「言語学の世界」を取ってみました。初回、始業チャイムと同時にグレーのスーツ姿で現れた教授は、終わりのチャイムぎりぎりまで、ぴったり100分間講義を展開しました。

その後もかならず時間厳守の小早川暁教授は、「~じゃんね」を口癖とし、受動態の話では、目的語を「主語位置にお引っ越しさせる」とおっしゃいます。風体も時間厳守の行動も、昭和の「大学教授」イメージそのまま。それなのに「お引っ越し」とは、アンバランスに可愛らしいではないですか。

ところがこの教授、板書中などに私語が耳に入ると「名前を聞いておきましょう」。静かに、有無を言わせない口調でたずねて学生の名前をメモされるのです。うわ、おっかない。これは大変なところに来てしまった、鬼単(鬼のように難しい単位)と噂されるだけのことはあると覚悟しました。

講義の後で質問に行くと、「そうですね。これは……だろうか、それとも……だろうか。いや待てよ、……かもしれない」と口にしながら考えていらっしゃる様子。教えるというよりも、ご自身の頭脳データベースを探り、立ったまま長考に入っていく。数分が過ぎると「これは来週まで考えてみましょう」とおっしゃり、翌週、講義中に「考え方のひとつとして」と提示してくださるのです。

そんな教授の試験は通信機能付電子機器以外、なんでも持ち込み可です。「知識のインストールだけを是として重箱の隅を問う試験を、僕は『ウォーリーをさがせ!』型試験と呼んでいます。そのような試験は教員の手抜き」と言い放つ御大ですから、当然の措置でしょう。

試験当日は、テキスト数冊、プリント数十枚、ノート6冊を持ち込んで臨みましたが、それらを開く時間などありません。頭の中身を引っ張り出して、解答用紙にまずは簡単な図を描いて文章にまとめる。それだけで精一杯でした。

後日、成績評価をもらっておそるおそる開けてみました。「AA」が目に入った瞬間「やったー!!!」と叫んでしまったことは、もちろん、当日の日記トップに記されています。

この講義からは、学問以外にも宝物を得ました。試験の日、終了後に手を洗っていると「あの、ちょっといいですか」と話しかけられました。振り向くと、くりっとした目に見覚えがあります。同じ教室でいつも質問していた女子学生でした。と、「えーと、いつも質問されてた方ですよね」。なんと向こうも同じ理由で覚えていてくれていたのですね、質問常連組として。

「ちょっとお時間いいですか」というので学内カフェに行き、わたしはカフェオレ、彼女はドーナツを頼んでお水を持ってきました。教授や大学の話、学問のこと、その他の雑談とすっかり話が盛り上がり、その後にも別の機会で話をしたり、Facebookで友達になったりしました。こんな風に、社会人になった我が娘よりも下の世代の若者と知り合う機会など、なかなかあるものではありません。30年ぶりにミネルヴァの梟の住処に通うというのは、仕事と娘のことで手一杯だった5年前までは考えられない選択肢でした。しかし、いまならできる、やるならいましかないと決断したのは我ながら大正解であったと、ほくそ笑んでいます。

そんなこんなで社会人大学生3年目。今年はオンライン授業ですが、春学期はくりっとした目の同窓生から面白いと聞いていた「意味論」等を取りました。英語と日本語にはそれぞれどんな傾向があるのか、和訳、あるいは英訳するうえでそれをどのように使っていくのか。この話は改めて書いていくつもりです。

10月から始まる秋学期はどうしようかと楽しく迷い中ですが、そこで得た知見や考えたことを、このマガジンに書いていこうと思います。ほかに翻訳チェックや校正・校閲、日本語ライティング、英語教材など、言語・言葉・文章に関するトピックを扱ってまいります。どうぞよろしくお願いします。

■執筆者プロフィール 久松 紀子(ひさまつ のりこ)

英語教材制作者・校閲者、ときどき翻訳者。現在、仕事の7割は英語教材の制作・校閲、2割が教材以外の翻訳・翻訳チェック、1割が日本語書籍の校正・校閲。翻訳の仕事は、長く翻訳会社のチェッカーをしており、それ以来20年ほどとなる。分野は英語教材、ビジネス、環境、音楽。実績は訳書数冊、翻訳チェック10冊ほど、英語教材・学習参考書等の制作(執筆・翻訳・編集)および校閲70冊ほど。最新刊の編集協力書は8月26日IBCパブリッシング発行、佐藤圭著『英会話はすべて2文でつながる』。

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