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ジェンダーと宗教

昨晩は、数人でジェンダーと宗教に関して話し合う機会を設けた。伝統と文化、歴史などが絡み合う問題であり、簡単に答えがでる問題ではない。

従来から問題となっているが、今得ている既得権益を捨てる行為であり、長き生活習慣ともかかわりなかなか改正できない。この点は、某研究所での分科会でよくわかった。お茶くみなどは、自分たちがそのように強いているとは考えず、女性が好きでしているとか、得意な人がやるべきみたいな考えを平気で表明していた。

高齢になるほどあらたな思考に追随できなくなる。その点では世代交代をすることで自然、社会は変革できるかもしれかい。

話し合うなかで感じたのは、一神教は神が定めたものであり、なぜそうなったのか?を問うことができないし、そこに理由は述べられない。

一方で仏教は、人間が悟り、行動する宗教である。となれば、なぜそうなのか?を問えるし、それにこたえる必要もある。

現状はなぜ生み出され、本来どうあるべきかと考えることができる。場合によっては、時代に合わせて考え方をアップデートすることさえ可能でもある。

佐々木閑『日々是修行 現代人のための仏教100話 (ちくま新書)』

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には以下の如き文章がある。

では、その時期に誕生した仏教はどうか。残念ながら、仏教でも男女平等とはいかなかった。尼さんの僧団は男性僧団の下に置かれ、「常にその指示に従え」と言われた。ちょうど先輩後輩の関係である。理由は、男性僧団の方が先に成立し、後に女性の僧団がつくられたことにある。先に男性僧団がつくられ、男性中心の運営方法が確定してしまった後に、「女性にも出家を認めよう」ということになって、後輩グループとして女性僧団がつくられた。その際に「後輩は、なにかと慣れぬこともあるから、先輩である男性僧侶の言うことを聞いて、その指示を仰げ」という意味で格差が設けられたのだ。もしこれが同時の成立だったら、もっとずっと平等になっていただろう(143頁)

そのためには、正しくものごとを見る(正見)が必要になる。都合を廃して見ること、そこから具体的な活動や行動につなげていくべきなのだろう。

この様に述べながら自分も出来ているのかと言えば甚だ疑わしいが・・すこしでも進歩したいとは思います。

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