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5月2日(土) - Ayu

いま5月2日のam 2:32、花月ちゃんのおとといの日記を読んですぐにわたしも書きたくなった。今週はなんだかいろいろあったような気がするけど、毎日日記書くとかできないわたしはやっぱりいくつかのことしかはっきりと思い出せない。こんなに忘れながら生活してる! 忘れるってこと自体はべつにかなしくなくて、でもいつか思い出してみたいと思う。
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一つ忘れないうちに書いておきたかったのは、火曜日海に行ったこと。午前中のあいだに英語を教えるバイトが終わって、お母さんも仕事を14時には終えていたので、またドライブしよか、ということになった。海を見たいと言ったのはお母さんのほうで、この頃はめっきり行ってなかった泉南のほうへ向かう。道中聞いていたのはたしかニューヨークプレイリストで、ニューヨークにまつわる曲ばかり集めてわたしが作ったやつ。
BOYのNew Yorkという曲の歌詞に “And the truth is / I was wrong when I said I was bored / Any street that I’m walking on with you / Anywhere with you could be New York”「ほんとうは / つまらないなんて言ったのは間違っていた / どの道だってあなたと歩けば / どこだってニューヨークになる」というのがあって、これ聴くとほんとどこいても自由で幸福な気分になる。ここじゃないどこか、を思うとき、でもほんとはすべてはここで起こってるんだ(“it’s all really happening here”)ってこと、思い出させてくれる人やモノや音楽がいつだってだいじで、おどろいて、感動してしまう。

海が見えてきたとき、お母さんはわたしがちいさい頃も家族でそこにきたこと、脇に抱えられるようにしてわたしが海をみていたことを教えてくれた。これもまったく覚えていない。降りるつもりはなかったのだけど、人がほとんどいなかったので、ソーシャルディスタンスは完全に守ってるとかなんとか言ってけっきょく浜に出た。浜、といってもそこは白くて丸い石ばかりの浜で、雪見だいふくみたいな石たち(に混ざったガラスのような透明の欠片)がきらきら光るのを見ていた。つかのまいろんなことが考えられなくなって、そうすると脳みそを風がさらったみたいに気持ちよかった。忘れる、っていうのはどこか気持ちのいいことなんだと知る。水の反射や夕暮れ(17時くらいだったと思う)の光がここちよく、上のコンクリのとこでスケボーしているサーファーっぽい男の子たち(彼らにとっては日常、という風情)がしみじみとうらやましかった。

潮の匂いを持って帰れないかわりに、気に入った石を探して持って帰った。いいときに友だちにあげたくて、いくつかちいさくて手になじむ灰色マーブルや白の石も選ぶ。これって窃盗?とか言いながら、わりとでかい石も持って帰る。家に帰ってきれいに洗ったあと、大きいやつはブックエンドにした。

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一人称の問題、わたしは小説などの翻訳(英→日)してみようとするときほんとそのニュアンスの複雑さに悩む。I、とジェンダー関係なく記されるそれは私なのかわたしなのかワタシなのか、僕なのかぼくなのかボクなのか、俺なのかおれなのかオレなのか、あるいはあたしやアタシやあたいなのか、わしとか自分(じぶんのこと自分、と呼ぶときの)とかウチなのか。ぜんぜん違う。

そういえば、わたしはある時点まで自分のことを愛由、と名前で呼んでいたのだけど、高校だったかいつだったか、「わたし」という自称に意識的に矯正した。名前で呼んでいた頃といまとでは、自分自身に対するまなざしの近さが変わったように思う。自分を「わたし」と呼ぶことで、わたしはいくらか距離をあけて自分を眺めることを(それが礼儀だとでもいうように)デフォルトにしてきた。でも、名前で呼ぶのをべつにやめなくたってよかったのかもしれない。なんとなく恥ずかしくなってやめてしまったけれど、わたしが自分の名でわたしを呼んで恥ずかしいことなんてあったのだろうか、わからない。

(恥の感覚というのは強烈なもので、わたしの意識が行き届かないところで確実にわたしをつくっている。ふるまいをはかり、行動を選別し、禁止の規範として驚くほど強力に機能する! そんなふうにわたしは思っているので、恥の文化、なんていって恥の感覚を美徳とすることをいつもかなり怖く感じている。恥ずかしがりだしね。わたしのほしい謙虚さは、恥の感覚から生まれるものではなく、wonder、つまり驚嘆や、驚嘆がもたらす喜びから成るんじゃないかと思う。びくびくするんじゃなくて、感動からくるもの、それ進んで選びとること。いつだって、できることならはだかのまま歩いていって、いろんなことに驚いて喜んでいたい。花月ちゃんがよくいうところのつるぷにのゆでたまごのままで、無敵の赤ちゃんみたいな感じで ……)

ちなみに、わたしの名前は一言でいうとbecause of love、「愛ゆえに」という意味があって、わたしはこの名前を気に入っている。人の名前について聞くこともすき。花月ちゃんの名前すごくすきなので、よかったらまた名前の話を聞かせてね。

いま、am 3:44。まだぜんぜん眠くない。ついさっきお父さんがトイレに起きてきて、「いま、うちに5匹くらいの猫が住みこんでいっぱいになってる夢みた えらいこっちゃわ」と言って去ってった。いい夢だと思った。
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pm 9:06、びゅーんととんで夜。今日めっちゃ暑くなったね。買い物にTシャツビーサンでいけたのがよかった。わたしは夏まじでビーサン族になる。

先週くらいの夜中にみた番組で菅田将暉がたこせんを作って食べてたのが異常にうまそうで、それ今日も思い出したから夜はたこ焼きにした。ゆるさが店ばりにうまくできちゃった、黄金レシピ。でっかい祭りのえびせん買ってきて、たこせんも二つ食べました。今日はチューハイも飲んだ。
4月末でちいさい頃からよく行ってたローカル・さびさび・スーパーが閉店してしまい(なんかめっちゃ切ない、最終日も見にいってきた)、今日はイオンのスーパーに買い物に行ったのだけど、お好みコーナー行くとたこ焼き粉が完売していて、大阪の家族はGWにみんなたこ焼きしようと思いつくのかと思うと笑えた。

そういや菅田将暉の番組ではほかの出演者がたこせんを知らなくてえ~と思ったのだった。小学生のときのわたしのソウルフードはミスドの汁そばとたこせんだったのに。花月ちゃんも知らなかったりするだろうか。今度うち来たらやろね。

今日はまだこれから一つミーティングがある。なにか映画を観てから寝ようかな。はやいけど、おやすみなさい。

p.s.
セブンティーンアイス、ラムネがごろごろ入ってたやつなんとなく覚えてる。わたしはだいたいクッキークリームかチョコミントだった。ぶどうシャーベットみたいのもときどき! 家の近くにプールができるらしく工事が進んでるけど、はたしていつオープンできるのか(予定は2020夏だった)。はやく泳ぎにいって、棒アイス食べながら帰りたい。
あと、よしばな氏の文章はもう完全に他者に世界に宛てて書かれてるのわかる。一時期わたしもブログを購読してたよ。わたしは自分のためにしか書けないけど、それを誰かに共有したい気持ちはすごくある。この日記、花月ちゃんに宛てているから書けてる。ありがとう。書けるときに書けるだけ書こうね。

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