見出し画像

4月30日(木) - Kazuki

前回から1週間もあいてしまいました。なんだかんだと忙しい、きもちの問題かな。は〜おなかすいた。いっつもおなかすいてる。そういえばなんだかんだ無敵っていうLIFE(NHKでたまに夜やるおもしろ番組)のコントまたみたい。

空はいつも裏切らないから、足元みないで、空しかみないで歩きたいときある。じっさいやるとたのしいけどなんか酔う。気持ちわる。でも空しかみたくない。中学生のときガラケーで空の写真いっぱいとってポエティックな気分に浸ってたころとなんにも変わってないなとおもう。なんて、目を凝らせばぜんぶかわってるのかもしれない。

いまほしいものですが、おいしい生ハム、おいしい水餃子、もうどこにも売ってない17アイスサイダー味の中にラムネがごろごろ入ってるやつ(このアイスしってる?)、はなびらに見えるカサを持ったアンティークのランプ、使いふるしたいい匂いのタオル、ちみたんのどでかぬいぐるみ、きらきらする音のでる中古のアコースティックギター、レースだけで作られたブラウス、最高にイケてるGパン。めちゃかわいい運動用のくつと服。かわいいものに囲まれたい。あと、窓からみえたひかる星、星。星。 星が欲しい。あたしすごくほしがほしい。
.
.
昔、スーパームーンのとき月がすごく輝いていて近くて、あたしは月が大きいといつもそのパワーみたいなものが怖くて、こわいなってとなり歩いてた後輩のおんなのこにこぼしたら「これならつかめますね!走れば!」ってニコニコ、わらってたことがあった。おもいがけなくて、なんてこというのと驚いた。「つかんだらちょうだいね」っていったら「いいですよ」って、走り出したんだった。あまりに無邪気で、うれしくてかわいくて胸がぎゅっとしたこと思い出した。いつもそういうやりとりを違和感なくふっとできる子だった。

いまはなんとなく一人称を「あたし」にしてる。ふだん話すとき「わたし」って言わない、発音的には「あたし」じゃん!ときづいた。こっちのほうがしっくりくる。一人称の問題って根深い。ちなみにもしじぶんを男性って認知することがあれば、ぼくっていいたい。僕、なんとなくいちばん上品で粗野で凶暴なかんじがするから。
.
.
.
きのうは住んでる街を歩きまくった。きょうもこれから歩きにいくとおもう。なんにもないけどなんでもあって、不自由はしないけどなんとなく窮屈で、だからずっと住んでるこの街のことはすきでも嫌いでもない。でも慣れてるからやっぱり落ち着くところはあって、そういう落ち着きすぎてしまうことへのこわさみたいなもの、むかしからずっとあるんだけどなんだろう? 歩きまくったらおなかがすいて、帰ってアンチョビ・ペペロンチーノを作ってたべました。ここ最近いちばんはまってる毎日たべたいペペロンチーノ(ペペロンチーノ・キャンディが浮かんでハッピーなきもち)。あともうひとつはまっていること、よしもとばななさんのブログをよむこと。それは彼女の作品を読んでるときとおんなじくらい、すごくしあわせな気持ちになる。どんだけやる気でなくてだるくてむりなときでもばななさんのブログ読めるげんきがあればどうにかなる、そこからはがんばれるかも、みたいなそんなかんじ。ほんとうに救い。ひとりで/公に向かって 書いてるブログだから、ふたりで/公と相手に宛てて 書いてるあたしたちの交換日記とはまたちがうものだけど、あんなふうにひとを救う文章の力にあこがれつづけてしまうのはたしか。

なんとなく現実味のない(でも決してこれは現実であることもわかってる)夢を見てるみたいな毎日、忘れてしまうことばかりだから、記録したいことはしておこうとおもった、やっぱり。でもあとは忘れてしまいたい。そのぶん覚えていたいことだけはしっかりすくって、すきな時にめくって、匂いも思いだせるくらいで、そうしたらちゃんとした過去としていったん保存できるってことなのかな。どうだろう。なくてはならない記録の行為、なかなか文字にすることシビアな時もあるけどそういうときは無理しない、ゆっくりやれる分だけやればいいよね。あゆちゃんはだいたいいつも無理してなくて、その柔らかさにあてられるとあんしんする(というか0か300かの性格の0部分をみせてくれてるからな気もしてる)。 こんやはね、あたしのめちゃくちゃすきなジオラマラジオ @dioramaradio_jp というバンドの『honey / なんて傲慢な…!』という大名曲、こちらをかけながら寝ようとおもいます。おやすみBGMだね。言ってみたかったんだよね。それじゃあ歩いてくるね。

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?