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5月12日(火) - Kazuki

はろー、3:30 a.m.です。もう窓を開けっぱなして寝てきもちのいい温度、風、匂い・・夏の気配、来るのが早すぎる。

また随分あいてしまいました。交換日記っていっつもこう、毎回わたしで溜めてしまうから向いてないなーとおもいながらも、小学生のころは友だちと何冊も渡しあっていたことをありあり思い出す。

あのころ仲良くしてくれてた子たちはいまどうしてるんだろう。毎年クラス替えするたびになんとなく変わっていった関係とクラスは関係なくつづいた関係と両方あって、変わらなかったひととはいまそんなに連絡とるわけでもないのに、こころのどこかではずっとつづいてると思えてしまう。あの頃に戻って、とかではまったくないけど、もし急にばったり会ったとしてもいまのじぶんでそのまま会える感じする。

こんな風に小学生のころ思い出してたんだけど、小学生の頃のあたし、はっきりいって周りからはうざったがられてたろうなと思う。
はいはーいってなんでもやりたがるし、あんまりじぶんを隠さないし、ませてたし、ずっと歌ってたし。

あと、じぶんが強烈にすきだとおもう子にばかり目がいってはどうやってでも仲良くしようとしてしまう強引なこどもだった。そのぶん強いつながりはあったのかもしれないけど、傷つけてしまったひともたくさんいたのかもしれない。もしかしたらいまも変わってないのかもしれないけどね、でもその強引さであゆちゃんと仲良くなれたところもあるだろうから一旦見逃すことにする。
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すこし前は川の底を地上だって信じて歩きつづけてるみたいなもがき苦しい気分がつづいた。わたしなにやってるんだろうか、とよく考えた。目の前にあるものを全然ちゃんと見つめることができなくて、ずうっとぼんやりしていた。気づけることから気づけないくらい些細なことまでからだもこころも固くなってしまうことがたくさんあったのだ、どうしてこんなに?というくらいひとや環境の影響を受けてしまう時だった。なにもしないのでなにも生みだせず、落ち込んでるような元気なようなよくわからないままで1日を過ごすのはなかなかつらく、とにかく眠りつづける日々だった(めずらしく体調のほうはバリバリに元気だった)。まいにち漫画とか本ばかりよんで夕方になるとやっとすこしだけ買い物に出たりして、ただそれだけだった。

だからあゆちゃんがきのう「じぶんにも人にも甘いけど、でも、いまはやる気が出なくてもおかしいことじゃないし、なるたけ家いて大人しく政治監視して、ご飯食って生きてるだけでえらいと思うまじで」っていってくれてすごく救われた。最低ラインやれてる、いまだけはこれでもとりあえずオッケー。

でもそんな生活のなかでも印象的だった夜の買いもの帰り道のはなしするんだけどね、前方にずっとあって追いかけるようだった月がやけに明るくはっきりで、大きい月はいつもなんだかこわくて(前回も書いたね)、でもいつもみたいに変にゾワっとしないなあとか考えながらぼーっと見てたんだけどね、それはあとで知ったのだけどフラワームーンていうらしい、5月の満月のことらしい。
花が咲きみだれる時期の満月だからって安易な理由だけどね、でもじぶんの名前とだだ被りの月に、へんに親しみと、よろこびとがちょっと湧いた。うだつのあがらないじぶんの代わりにいま光り輝いているのよ、ってそういうことに勝手にして、そしたらちょっと元気でたんだよねえ。なんて単純なんだろね。でもだいたいはそういう単純なことの積み重ねなのかもね。

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そういえば、あゆちゃんは出会ってすぐの時もひとの名前の話がすきって言ってた。

愛ゆえに、で愛由ってほんとうにすてきな名前。熟語になってるね。わたしの名前は花と月で単語どうしを並べたタイプ。花鳥風月からとったらしい(字面がいいがいちばんで、たぶん意味は後付けじゃないかと思ってる)。かづきと読むけど、関西のひとたちには大抵かげつですか?と言われる。かづきでおねがいします。なんとなく、かづきが星型ならかげつは正六角形な感じがする。

むかしはじぶんの名前が嫌だった。響きだけだと男の子にまちがわれることが多くて、でも10歳くらいになってようやく受け入れられた。習字で書くと迫力があるし、なかなかない名前だし。いまはとても気に入ってるよ(あるときたまたま通りかかった雑司ヶ谷にあるお寺に貼ってあった今月の一言に「月こそ心よ 花こそ心よ」って書いてあって感動した)。
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なんとなく柔らかくなるまでだいぶ時間かかって、10日の朝くらいからすこし大丈夫になった。たくさん寝るとたいていのことは忘れた気になるし、時はいつの日にも親切な友達だけど、やっぱり現実はがっつり毎秒ここにあるね。
また1から新しくやり直したような気持ちでくらせば、春から夏にかけての夜ってしっかりぬるい、干された洗濯物と強烈な花のにおいの混ざった帰り道ほんとうに素晴らしい、おとうふと出汁とみょうがのシンプルうすあじスープはおいしくてやさしい、など、高校生くらいまではなにもせずともごくかんたんにキャッチしてた瑞々しいものに対する感覚がふっとよみがえる。はなしたくない。
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当時もこんなふうに(これよりもっと適当だったけど)日記のようなものを書いてたんだけど、みかえすと「いまこの瞬間にかんじるすべてなるべく忘れたくない」みたいな、今とおんなじようなこと書いてあって笑ってしまった。

変わったのは、忘れてしまったとしてもそれはそれでいいってこころから思えるようになったことかな(書きながら、ずっとだいすきないくえみ綾さんの『潔く柔く』の13巻をひっぱりだした。ストーリー最後のことばは「魂がきっといろんなことを忘れないでくれている/今つらくて忘れたいことも/思い出そうとしても思い出せない大切なことも/思い出そうともせず忘れられてゆくことも/等しく 愛しく」魂がおぼえてるんならそれでいいか、もし忘れたとしても。でもそういうちょっとスピリチュアルに感じる分野に関する知識ぜんぜんなくて、よくわかってないから詳しいことはわからんのだけどね・・)。
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さっき、最近また漫画を読んでるって書いたけど、特によかったのはバスティアン・ヴィヴェスの『年上のひと』、これはバンド・デシネっていうのかな?あとは大島弓子さんの『つるばらつるばら』、またいくえみさんになるけど『I LOVE HER』もすごくよかった(すきな作家の作品は全コンプリートしにいきがち)。あと友人から譲り受けた『ピンポン』もさいこー、なにも考えないで没頭できる。。おすすめしてくれた『A子さんの恋人』も買ったよ、よむのがたのしみです。

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