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調理実習出禁から至高の世界へ

 目一杯の力をこめてすりおろしたにんにくと生姜、幅1cmほどに切りそろえた長ネギを鍋に加えながら、料理が出来ると胸を張って言うのに明確な基準はあるのかと僕はふと思った。2020年、24年の月日を経て、ついに僕は自炊を始めた。コロナが理由であることは言うまでもなく、多くの人が僕と同じように自炊を始めただろう。しかし、これはアニメしか見ていない鬼滅の刃ファンが炭次郎は物語終盤、鬼になるんだと告げられるくらい、澤家にとっては衝撃の出来事なのである。


 忘れもしない13年前、小学校の調理実習で事件は起きた。大量の油に満たされ、加熱したフライパンの上に澤少年は何を考えたのだろうか、大量の水を投入した。その瞬間、爆発音と共に美しい炎が空に舞い上がった。危うく大惨事になるところだったこともあり、あの日から僕は調理実習に参加できなくなってしまった。だが、家庭科の授業には実習テストというものが存在する。内容はリンゴの皮むきを3分以内で行うことと、卵焼きの調理である。これは僕にとって名誉挽回のチャンスだった。しかし、そこには恐ろしい結果が待っていた。まずはリンゴの皮むきだ。これも今ではなぜそうなったのか全くわからないのだが、入刀した瞬間、リンゴを真っ二つに切ってしまった。この時点でゲームオーバーである。そして卵焼き。途中までは順調に進んでいた。焼き方、形も問題ないはず。だがそこには落とし穴が待っていた。黒板には先生が書いたチョークの字で「醤油:適量」と書いてあったのだ。澤少年に適量の概念を理解する能力はなかった。案の定、大量の醤油を投入し、完成した卵焼きは真っ黒だった。決して焦がしたわけではない。


あの頃から、家で包丁を握ることなどなかった。米の炊き方すらわからない僕にとって「料理」とは自分には「不可能」なことだと認識していた。そんなことは言いながらも、幼少期から野菜や魚が大好きで、食生活を気にしていた僕が人生で最も重要だと思うことは「健康」であることだ。就職先を決める時、ありがたいことに複数の企業から内定をもらい、その中にはいわゆる高給取りと言われるような企業もあったのだが、特にこれといったやりたい仕事がなかった僕は朝昼晩の食事が無料で超健康的なメニューが完備された食堂に惹かれ、就職先を決めた。社会人になっても僕は一切包丁を握ることなどなく、人が作ったご飯を毎日食べていた。


 しかし、コロナで状況は一変した。リモートワークになり、会社の食堂が閉鎖してしまったのである。毎日外食するわけにもいかず、半強制的に僕は包丁を握るという選択をせざるを得なくなってしまった。とはいえ、何から始めれば良いのかわからなかった僕は友人に勧められた料理動画を見ることにした。動画を見ながら実際に調理すると、思っていた以上に出来ることに気づいてしまった。動画だと見よう見まねで同じ動作や調味料を使用すれば良いので、多少違いはあっても調理実習の悲劇は起こらないのだ。動画はレシピも豊富で、自分のレパートリーを増やすべく、気づけば僕は好んで料理動画を見るようになった。自炊は手間がかかるし、確かに面倒だが、何よりも自分で作るご飯がこんなにも美味しく感じることの感動を24歳の僕は覚えてしまったのだ。


 では、自分の得意料理は何かと言われたら、僕は間違いなく「豚汁」と答えるだろう。得意料理というと、肉じゃが、ハンバーグといった多少なりとも手の込んだ料理が浮かぶ人がほとんどだろう。そういった料理と比べると豚汁は見劣りするのは否めない。ここで一つ言っておくと僕は肉じゃがもハンバーグも作ったことはない。挑戦してみたい気持ちもあるが、なんとなく難しそうだと思い、正直諦めている。それでも僕は胸を張って、美味しい豚汁を作ることができる自信はある。この豚汁はとある料理Youtuberの「至高の豚汁」というレシピを真似して作っている。豚汁というと手軽な印象があるかもしれないが、この「至高の豚汁」はかなり具だくさんなので、下準備に時間がかかり、煮込み時間も含めると調理に1時間以上を要する。(だからこそ美味しいのだが。)特に変わったレシピというわけではないのだが、いくつかポイントがある。まず一つ目は最初にごぼうを炒めることである。豚汁は豚入りの味噌汁になりがちなのだが、まずごぼうを炒め、その後に豚肉と他の具材を入れ、炒めることで香りをつけるのだ。二つ目は味噌である。味が濃すぎるのを防ぐためにだし入りではなく、だし無しの味噌を使用する。味噌汁のように最後に味噌を入れるのではなく、具材と一緒に味噌も煮込むことで具材に味噌の味をつけていくのがこの料理のミソである。そして最後が締めの長ネギ、生姜、にんにくである。じっくり煮込んだ後、長ネギ、そしてすりおろした生姜、にんにくを最後に入れることで至高の豚汁にたどりつく。これが本当に美味い。まさかこの僕がこうやって豚汁のレシピを語る日が来るなんて予想だにもしなかった。それほど、僕は料理が「好き」になったのかもしれない。


 料理が好きです、趣味は料理ですとSNSのプロフィール欄に書いてあるものをよく見かけるが、そもそも「料理が好き」というのは抽象的すぎる。料理を作って人に振舞うのが好きな人もいれば、自分で作った料理を自分で食べるのが好きな人もいる。(両方好きという人もいる)おそらく前者の多くは料理が得意と胸を張って言える人たちだろう。そして僕は間違いなく圧倒的に後者である。自分が食べたい料理を作り、自分で食べることが好きなのだ。だから、そこまで好きではない肉じゃがやハンバーグは作ろうとは思わない。それならレバニラ炒めやうどん餃子を僕は作る。正直、出来上がった料理の見た目は良くない。そう考えると、料理が好きな人は必ずしも料理が得意であるとは限らないはずだ。


 僕は料理が出来ない。SNSのプロフィール欄に趣味は料理ですと書くことも絶対にしない。けど、自分で作る料理は大好きだ。2020年は「食事」という分野において、今まで1→10しか知らなかった部分が0→1を体験することで劇的に変化した1年だったに違いない。フライパンに大さじ2杯のみりんとお酒を目分量で入れることが出来た僕は完全に至高の領域に自分が入っていることを確信し、今日もキッチンに立っている。

#PS2021

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