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【山岳信仰】アーネスト・ヘミングウェイ「キリマンジャロの雪」に於ける「山岳信仰(神の館)」と「登山家(バフォメット)」のパラドックス

最強の美徳

「信徳は精神的建物の土台を作り、望徳はそれを建て、愛徳は屋根をつける」は「山岳信仰(神の館)」を示し、アーネスト・ヘミングウェイ「キリマンジャロの雪」とトートロジーであった。
よって「山岳信仰(神の館)」はイクトゥスと同じ信仰と見做される。

イクテュスはギリシャ語で「魚」という意味を持つが、同時にΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡ (ギリシャ語でイエスキリスト神の、子救世主)の頭文字を並べたものでもある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%88%E3%82%A5%E3%82%B9#:~:text=%E9%A0%AD%E6%96%87%E5%AD%97%E3%81%AE%E7%AC%A6%E7%89%92%5B,%E3%81%B9%E3%81%9F%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%82%82%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82

登山家は山岳信仰を持っているのだろうか?

山岳を愛しているのだろうか?

さんがく‐しんこう【山岳信仰】 ‥カウ
山に超自然的な威力を認め、あるいは霊的存在とみなす信仰。日本では古来の土俗信仰としてあったものが民間信仰として生き続け、また、のちに仏教とも習合して修験道などを生んだ。

『広辞苑 第六版』 岩波書店

とざん【登山】
mountaineering
山に登ることに楽しみを求め,それ自体を目的とするスポーツ。山に登った記録は紀元前からあるが,スポーツとしての登山の歴史はルネサンス以後に始まるといってよい。スポーツ登山の最初は,シャルル8世が行なわせたモンテグィーユ登頂成功(1492)とする説が普通である。 19世紀に入るとアルプス登山が盛んになり,1857年にはイギリスに世界最初の山岳会が設立された。日本では古くから山を神とみ,山頂は神の御座所として敬うという信仰があって登山の記録は多く,修験道の発達に伴って宗教的登山はますます盛んとなり,明治以前にすでにほとんどの山頂がきわめられていたといわれる。近代登山の導入は 1888年来日したイギリス人宣教師 W.⇨ウェストンによる。その後,志賀重昂の『日本風景論』(1894)などの影響もあって登山が盛んになり,1905年には小島烏水を中心に日本山岳会が設立された。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

「山岳信仰」と「登山家」の間の関係に奇妙な違和感を感じられる方は意外と多くいらっしゃるだろうと思う。
其の理由は「登山家」の「登頂」という行為が「山岳信仰」へ一々敵対する「バフォメット」の「偶像崇拝」と同様と見做されることから来ている。

「バフォメット」は「神の創造したオリジナル」へ一々敵対することで存在する「ヲタ芸」のマジックでした

※「神の創造したオリジナル」への信仰とは「山岳信仰(神の館)」でありイマーゴ(神の似姿)への信仰を意味している。

バフォメット (Baphomet) は、テンプル騎士団異端審問の際に崇拝しているのではないかと疑惑を持たれた(キリスト教徒が想像する)異教の神[1]黒ミサを司る、山羊の頭を持った悪魔[2]

ウィキペディア

「The Devil」(悪魔のタロットカード)は「バフォメットの異端教団」(明けの明星)を示している

「The World」(世界のタロットカード)はカトリック信仰を示している

「The Star」(星のタロットカード)はカトリック信仰の三対神徳の一つとされる「信徳」を示している

三対神徳(愛徳、望徳、信徳)
「The High Priestess」(女教皇のタロットカード)は「愛徳」を示し「The Hierophant」(教皇のタロットカード)は「望徳」を示し「The Star」(星のタロットカード)は「信徳」を示している
※女教皇、教皇はそれぞれ「最上位の女と男の神官」を意味している

「信徳は精神的建物の土台を作り、望徳はそれを建て、愛徳は屋根をつける」は「山岳信仰(神の館)」を示し、アーネスト・ヘミングウェイ「キリマンジャロの雪」とトートロジーであった

それは「登山家(バフォメット)」が「山岳信仰(カトリック信仰)」を大冒涜することで人間関係の「ヲタ芸」により祀られる有様です。

このような「登山家(バフォメット)」の「登頂(唾付けた!)」の「偶像崇拝」はNHK放送の宣伝番組で盛んに放送されています。
このような宣伝番組は「偶像崇拝」によって人をアンダーコントロールに置くことを目指したものと考えられます。

例を挙げれば大成建設によって建造された「富士山頂レーダー基地」はその象徴的な存在であり、それに関するNHK放送の宣伝番組が特に有名でありましょう。

大成建設が建造した「富士山頂レーダー基地」は「山岳信仰」へ一々敵対した「登山家(バフォメット)」の「登頂(唾付けた!)」の象徴であり大冒涜を意味しています。
決して大成建設の「富士山頂レーダー基地」の建造は英雄的行為ではないと私は考えています。
しかしNHK放送の宣伝番組はことさら大成建設の「富士山頂レーダー基地」の建造を英雄的行為として讃えていました。
しかしそれは「山岳信仰(カトリック信仰)」に対する「登山家(バフォメット)」の冒涜行為でしかないと感じられます。

又、「登山家(バフォメット)」はカトリック信仰から受肉する「ロゴス」へ一々敵対する絶対知(doxa)を「登頂(唾付けた!)」として存在させています。
そのようなあり方は「呪術崇拝」と言えるでしょう。
「呪術崇拝」と「偶像崇拝」は絶対知(doxa)による支配の形成を意味しています。
「山岳信仰(カトリック信仰)」から受肉する「ロゴス」へ一々敵対して「呪術崇拝」と「偶像崇拝」の絶対知(doxa)による支配を形成しているのです。

要は「山岳信仰(カトリック信仰)」が「知の廃棄」の容易さから「人」が「ロゴス」を受肉し「ペルソナ」となることを示しているなら、「呪術崇拝」と「偶像崇拝」は「知の鵜呑み」の容易さから「人」を絶対知(doxa)へ陥れ「人間関係の面子」を形成するのです。

そのような絶対知(doxa)によって形成される「人間関係の面子」は「パラノイア」という病気の症状と言えます。

パラノイア
[英] paranoia
[独] Paranoia
[同義語] 【妄想症,偏執狂】
ヒポクラテスが認知低下を特徴とする精神疾患としてパラノイアに言及したことで歴史的にはきわめて古い用語。近代精神医学では,ハインロート(Heinroth JCA)が1818年に使用したことに始まり,クレペリン(Kraepelin E)が彼の教科書第4版(1893)に独Verrücktheit(独Paranoia)として「完全に分別が保たれているのに,頑固な妄想体系が持続的かつ緩慢に確立されていくもので,それ以外の症状や人格障害をまったく来さない状態」と記載した。日本では古くは偏執病と呼ばれた。パラノイアでは,妄想が次第に理路整然と体系化され,確固たる体系に成長して,患者の行動,思考,そして生活全体を支配するようになる。パラノイアにとっては妄想が顕著で唯一の臨床特徴であり,幻覚や統合失調症性の思考障害を認めず,周囲からも妄想以外の異常性を認識されない。ただ,妄想に固執して,対立するものに積極的に立ち向かっていくことで,病理性があからさまになったりする。妄想の主題は,迫害(被害)的,心気的,誇大的,訴訟や嫉妬に関するもの,あるいは自らの醜貌や自己臭などさまざまである。ICD-10ではF22.0妄想性障害(delusional disorder:DSMシステムでも妄想性障害)に含まれており,同じICD-10F22.0の範疇には妄想性精神病,妄想状態,(遅発性)パラフレニー,敏感関係妄想なども含まれている。
(511039)

『医学書院 医学大辞典』 医学書院

paranoia (par′ă‐noy′ă)〓
[G. derangement, madness< para- +noeō, to think].パラノイア,妄想症,偏執狂([the condition of being paranoidの意味での隠語的使用を避けること].重篤だが比較的まれな精神障害で,体系妄想の存在が特徴である.しばしば妄想は,あとをつけられる,毒をもられる,あるいは別の手段でひどい目にあっているなどと被害的な特徴をもち,その他の点では人格の障害はない.→paranoid personality).
→acute hallucinatory paranoia
→litigious paranoia

『ステッドマン医学大辞典』 メジカルビュー社

「人間関係の面子」の形成とは「doxa」を「絶対知」(信念)とした超能力(大変な才能)を「ヲタ芸」によって祀り上げる行為です。
しかしそのような「ヲタ芸」は「非現実的な理想化」として「cult」を形成しています。

有名なオウム真理教の麻原彰晃教祖やそれを取り巻く信者が形成した「cult」も同様な「人間関係の面子」です。

このように「人間関係の面子」と言う「doxa」を「絶対知」(信念)とした「登山家(バフォメット)」は「cult」を形成することで「非現実的な理想化」がなされるのです。

彼らは「山岳信仰(カトリック信仰)」ではありませんから「奇跡」は起こせません。
何故ならば「神の恵」(ロゴス)の受肉がないからです。

麻原彰晃一党が引き起こした数々の大事件は「登山家(バフォメット)」の「登頂(唾付けた!)」と同様の「神演出」だったのです。

「神の奇跡」とは「神の恵」(ロゴス)の受肉が可能とする「リアリズム(叡智)」です。
一方で「神演出」は「doxa」を「絶対知」(信念)する。
そしてそれは「黒ミサ」を司る「バフォメットの偶像崇拝」の儀式となっています。

医学辞典に記載があるように「神演出」(cult)の「バフォメットの偶像崇拝」の儀式とは病気の症状なのです。

cult (kŭlt)〓
[L. cultus, an honoring, adoration].祭儀,礼拝形式,祈祷療法(教義または宗教的な教えに基づく体系化された信仰および儀式.従順な献身的な信者,指導者の非現実的な理想化,個人的な欲望や目的の放棄および伝統的な社会価値観の排除などの特徴がある).

『ステッドマン医学大辞典』 メジカルビュー社

そのようなあり方は「登山家(バフォメット)」による「絶対命令と絶対服従」の支配を意味しています。

登頂した山岳の頂から世界へ号令し統治する発想はまさに「堕天使ルシフェル」の支配のあり方となっているのです。
「神の王国の到来」を大冒涜し「人」が「世界の支配者」となることを意味しています。
それが「登山家(バフォメット)」に象徴されています。

「善き羊飼い」と「堕天使ルシフェル」の解説

左図の「善き羊飼い(神)」は「山岳信仰(カトリック信仰)」であると言える。
これは「善き羊飼い(神)」が「ストレイシープ(人)」を「神の王国の到来」へ導くことを示しています 。
病理学(神の恵)と言う「ロゴスの受肉」によって診断と治療は可能となり「ストレイシープ(人)」は治癒されます。
(聖ヒポクラテス信仰の「白ミサ」)

しかし右図の「堕天使ルシフェル(人)」は「登山家(バフォメット)」の「登頂(唾付けた!)」と言える。
これは「堕天使ルシフェル(人)」が「世界の支配者」となることを示しています。
このような「doxa」を「絶対知」(信念)とする超能力(大変な才能)は「非現実的な理想化」と言えます。
それは「cult」と診断できます。
(国立千葉大学医学部附属病院精神神経科教授回診の「黒ミサ」)

それらは「白ミサ」と「黒ミサ」と言う決定的な違いとなります。

「善き羊飼い」と「堕天使ルシフェル」の解説

「吊るされた男」は「逆転は逆転」「正転は正転」を示し、「バフォメット」は「逆転は正転」「正転は逆転」を示す
「スター」(星)はカトリック信仰「三対神徳」の「信徳」を示し、「ワールド」(世界)はカトリック(普遍性)を示す

又、大成建設が建造した「富士山頂レーダー基地」は「新約聖書 ルカによる福音書」の「時の徴」を想起させます。
当然にそれらは「時の徴」に記された「偽善者たち」です。
「偽善者たち」とは「登山家(バフォメット)」なのです。
そして「善人」とは「山岳信仰(カトリック信仰)」であり、それは「最高善信仰」と言えるのです。

時の徴(ルカ 12:54-56)

時の徴(ルカ 12:54-56)

また、彼は群衆にも言った。、「あなたたちは、雲が西に出るのを見ると、すぐさま『にわか雨が来るぞ』と言い、まさにそのようになる。そして南風が吹くと、あなたたちは、『熱風になるぞ』と言い、まさに〔そう〕なる。偽善者たちよ、あなたたちは、地と空との模様は吟味するすべを知っていて、どうして〔今の〕この時を吟味するすべを知らないのか。

岩波書店「新約聖書 ルカによる福音書」

天気(氣)
(テンキ)
①天空の気。
②空模様。天候。気象状態。「天気晴朗」
③〓(テンキ)・(テンケ)・(テイケ)㋐天子のごきげん。天皇のおぼしめし。天機。㋑よいひより。晴天。

『新漢語林』 大修館書店

てん‐き【天気】
〓ある場所の、ある時刻の気象状態。気温・湿度・風・雲量などを総合した状態。「―が変わりやすい」「今日は―がよい」
〓晴天。「―が続く」「明日は―になるだろう」
〓天にみなぎる気。「人事全うして―応ず」〈十善法語〉
〓天子の機嫌。天機。「―ことに御心よげにうち笑ませ給ひて」〈平家・六〉
〓天気・天候――「天気(天候)の回復を待つ」などでは相通じて用いられる。
◇「天気」は長くても2、3日程度の気象の状態。「朝のうちはいい天気だった」「明日の天気は曇りでしょう」
◇また、「天気」には晴天の意もある。「お天気続きで何より」「今度の日曜日、天気だったら山登りに行こう」
◇「天候」は数日から数十日の気象状態をまとめていう。「天候不順の折」「去年の夏の天候」
◇類似の語に「空模様」がある。「空模様」は多く今日・あすの天気についていう。「あいにくの空模様」「この空模様では明日は雨だね」

『大辞泉 第二版』 小学館

てん‐き【天気】
①任意の場所の任意の時刻の気象状態。そらもよう。「—が悪い」
②気象状態のよいこと。晴天。「お—で何よりです」
③天子の気色(きしょく)。天皇の機嫌。天機。平家物語(6)「—ことに御心よげにうちゑませ給ひて」

『広辞苑 第六版』 岩波書店

『どうして〔今の〕この時を吟味するすべを知らないのか。』に対して日本語の「天気」とは「天子のごきげん」を伺うことを示している。
それは「上から目線」を崇拝するあり方です。
「上から目線」は「ヲタ芸」(cult)によって祀られた「doxa」なのです。
そして神に背いた「絶対知」(信念)が生まれます。
「登山家(バフォメット)」の「登頂(唾付けた!)」への「偶像崇拝」の露悪趣味は「凶兆」の現れだろうと思います。
そのような「偶像崇拝」は「呪文」を「ヲタ芸」で祀った「呪術崇拝」であり「黒ミサ」を司った「堕天使ルシフェル」の支配の象徴なのです。

てんし【天子】
Tian-zi; Tˋien-tzǔ
中国の皇帝や日本の天皇の呼称。中国では,天の命を受けて徳をもって人民を支配する王者。周の血縁的(宗族的)社会の支配者として,諸侯を率いて天下万民を治める神権的な君主。のち儒教の封建的な君臣論によって天子の理想像がつくられた。専制国家の成立後も家父長的な天子という称号は生き続けた。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

天皇[てんのう]
天子[てんし] / 帝[みかど]
【共通する意味】
一国を統治する王。
【英】an emperor
【使い方の例】
〖天皇〗天皇の位に即[つ]く / 天皇陛下 / 天皇制
〖天子〗日出[い]ずる国の天子 / 天子様
〖帝〗帝に拝謁する / 先の帝
【それぞれの意味と使い分け】
いずれも、天に代わって国を統治する者の意。現在、日本では、ふつう「天皇」を使い、日本国および日本国民統合の象徴を表わす。「天子」「帝」は、古い言い方。

『使い方の分かる類語例解辞典』 小学館

天子
(テンシ)
①天命を受けて、天に代わって天下を治める人。天帝の子の意。皇帝の尊称、また自称。
②〓天皇。

『新漢語林』 大修館書店

一方で英語の「weather」は違っている。
「weather」は「天子のごきげん」を伺う意味ではなく「3a (運命の)移り変わり, 浮沈, 有為転変 (vicissitudes)〓」となっている。
また「b 風潮, 雰囲気; (心の)状態」となっていることで広く一般的な語彙(普遍的な語彙)となっている。
必ずしも「天子のごきげん」を伺うことにはなっていないのです。
このようなあり方は「カトリックロゴス感覚」となっています。
「上から目線」とはなっていないということです。
要は「山岳信仰(カトリック信仰)」となっているのです。

「英語辞典」は「日本語辞典」と違って「カトリック信仰」の意味が必ずある。
これは「英語辞典」が「聖書」となり得ることを示しています。
「舟を編む」とは「英語辞典」のことを示していると言えます。

ark [áːrk]〓
―n.
1 ⦅時に A―⦆ ノアの箱舟(Noah’s Ark). cf.〖聖書〗 Gen.6-9.
2 契約の箱(ark of the covenant [testimony]):十戒を刻んだ2枚の石板を納めた箱.

3 避難所,安全な場所.
4 ⦅A―⦆ 〖ユダヤ教〗 =Holy Ark.
5 ⦅米⦆ (以前 Mississippi 川やその支流で使用されていた)平底船.
6 〖海事〗 =life car.
7 ⦅古・詩語⦆ 櫃(ひつ),箱.
8 箱舟ハウス:New Alchemist が建造した数個の池にまたがって建てられた温室に似た巨大な建造物(1975);太陽エネルギー利用による食糧の自給自足生産システムを持つ.
9 ⦅話⦆ でかくて不格好な船[車,家];古臭い[旧式の]車.
10 (いかだに載せた)移動小屋(wanigan).
[850年以前. 中期英語 ark(e),erke,古期英語 arc,earc(e)<ラテン語 arca 貴重品箱(arcēre「守る」より)]

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

ark /áːrk/
―n
1 〖聖〗 《Noah が大洪水をのがれた》箱舟《Gen 6‐8》;*平底舟;《危険に対する》盾,避難所.
2 〖聖〗 契約の箱,約櫃(やくひつ) (=the Á~ of the Cóvenant, the Á~ of (the) Téstimony) 《Moses の十戒を刻んだ 2 つの平たい石を納めた櫃(ひつ);Exod 25:16》;[ᴼA―] 〖ユダヤ教〗 聖櫃(せいひつ) (=Holy A~) 《Torah の巻物を納めておく教会壁面の保管箱》.

3 《口》 大きくてぶかっこうな舟[車,*家];《口》 古い車;《方・古》 櫃,箱.
[OE ærc<L arca chest; cf. G Arche]

『リーダーズ英和辞典(第3版)』 研究社

ark
▶noun
1 (the ark) (in the Bible) the ship built by Noah to save his family and two of every kind of animal from the Flood; Noah’s ark.
◾<archaic> a ship or boat.〓
2 short for ARK OF THE COVENANT.
◾(also Holy Ark) a chest or cupboard housing the Torah scrolls in a synagogue.〓
3 (also ark shell) a small bivalve mollusc which attaches itself to rocks with byssus threads.〓
‧ Order Arcoidea: Arca and other genera.
→〓SHELTER
-ORIGIN
Old English ærc, from Latin arca ‘chest’.

●Oxford Dictionary of English, Second Edition revised

the ark /ɑːk; NAmE ɑːrk/ (also ˌNoah’s ˈark)
noun [sing.] (in the Bible)
a large boat which Noah built to save his family and two of every type of animal from the flood

『Oxford Advanced Learner’s Dictionary, Eighth Edition』 Oxford University Press

weath・er /wέðɚ | ―ðəʿʳ/
―n.
1a 天気, 天候, 気象〓
b [形容詞を伴って]〓
c [pl.] ⋆次の句のみに用いる〓
2 悪天候, 荒天⦅雨・霜・波浪など⦆〓
3a (運命の)移り変わり, 浮沈, 有為転変 (vicissitudes)〓
b 風潮, 雰囲気; (心の)状態.
4 〖海事〗 風の吹いて来る方向, 風上〓
5 風化 (weathering).
―vt.
1 風雨[外気]に当てる; 乾かす, 干す (dry, season)〓
2 〈嵐・困難などを〉乗り切る, 切り抜ける, しのぐ (survive) 〈out〉〓
3 [通例 p.p. 形で] 〖地質〗 〈岩石などを〉風化させる.
4 〖海事〗 …の風上を通る[走らせる]〓
5 悪天候のために動けなくする 〈in〉.
6 〖建築〗 〈屋根・窓敷居など〉に水切りの勾配をつける; 〈外壁〉に水切り石をつける.
7 〈鷹を〉戸外の止まり木につなぐ.
―vi.
1 外気で傷む[変化する], 風化する 〈away〉〓
2 風雨に耐える, もつ 〈out〉.
―adj. [限定的]
1 天気の, 天候に関する〓
2 〖海事〗
a 風上の (windward) (↔lee); 風上に向かった〓
b 風雨にさらされた, 露天の〓
〖n.: OE weder < Gmc *weðram (Du. weer / G Wetter / ON veðr) ՟ IE *we― to blow (OSlav. vedro good weather). ̶ v.: ⦅15C⦆ ՟ (n.): cf. wind¹〗

『新英和大辞典 第6版』 研究社

4 ⦅通例 weathers⦆ ⦅比喩的⦆ (人の運命・時代などの)移り変わり,変遷,浮沈,栄枯盛衰,有為転変;(心の)気分,雰囲気:〓

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

3 〓通例 ~s浮き沈み, (運命の)移り変り, 栄枯盛衰.

『ジーニアス英和大辞典 用例プラス』 大修館書店

3 《運命・人事の》移り変わり,事態;風化 (weathering).

『リーダーズ英和辞典(第3版)』 研究社

これら「天子のごきげん」と「カトリック信仰」のあり方を理解するために新約聖書の有名な譬えを参照することが有益であると思います。

※上記「時の徴(ルカ 12:54-56)」も合わせて参照

納税問答(マタイ 22:15-22)

だから、カエサルのものはカエサルに与えよ、しかし神のものは神に(与えよ)

納税問答(マタイ 22:15-22)

そのとき、ファリサイ人たちがやって来て、どのようにして言葉尻をとらえて彼を罠にはめたらよいか、協議した。そして彼らは、ヘロデ党の者たちと共に彼のもとへ遣わして言う、「先生、私どもはあなた様が真実な方でいらして、真実に神の道を教えておられ、誰はばかることもない方であることを存じて上げております。なぜならあなた様は、外観で人をえこひいきなさることがないからです。
ところであなた様にはどう思われるか、私どもにおしゃって下さい。カエサルに税金を払うことは許されているでしょうか、いないのでしょうか」。しかしイエスは、彼らの悪意を知って言った、「お前たちはなぜ私を試みるのか、偽善者どもよ。私に人頭税の貨幣を見せよ」。そこで彼らは彼に、デナリオン貨幣を持って来た。すると彼は彼らに言う、「これは誰の像か、又誰の銘か」。彼らは彼に言う、「カエサルのです」。そこで彼は彼らに言う、「だから、カエサルのものはカエサルに与えよ、しかし神のものは神に〔与えよ〕」。すると彼らは、これを聞いて驚き、また彼を残して立ち去っていった。

岩波書店「新約聖書 マタイによる福音書」

「Because it's there.」

例えば「登山家(バフォメット)」の「登頂(唾付けた!)」に関して「ジョージ・マロリー」の有名なセリフが多くの人の記憶に残っているとされています。

「なぜ、あなたはエベレストに登りたかったのか?」と問われて「そこにエベレストがあるから(Because it's there.)」と答えたという逸話は有名であるが、日本語では、しばしば「そこに山があるから」と誤訳されて流布している(後述「そこにエベレストがあるから」)。

ウィキペディア

ここに「山岳信仰(カトリック信仰)」を見ることはできるのだろうか?

それとも「山岳信仰(カトリック信仰)」へ一々敵対する「登山家(バフォメット)」の「登頂(唾付けた!)」を見るのだろうか?

しかしそれは神への「挑戦」となるだろう!

アーネスト・ヘミングウェイ「キリマンジャロの雪」における「山岳信仰(神の館)」と「登山家(バフォメット)」について

ここにノーベル賞作家「アーネスト・ヘミングウェイ」の傑作短編と言われる「キリマンジャロの雪」を挙げたいと思う。

アーネスト・ヘミングウェイ「キリマンジャロの雪」序文
キリマンジャロハ雪ヲイタダク峰ニシテ標高一九七一〇フィート、アフリカ随一ノ高山ト称セラル。西方ニアタル頂キヲ、マサイ語ニテ「ガイェ・ガイ」スナワチ「神ノ館」トナヅク。コノ西方ノ頂キニ近ク、一頭ノ豹ノ凍結セル死体横タワル。カカル高所ニ豹ノ何ヲモトメイタリシヤ、解キ明カシタル者イマダナシ。

ここに「山岳信仰(神の館)」と「登山家(バフォメット)」のあり方を伺うことができる

この一頭の豹は決して「登山家(バフォメット)」の「登頂(唾付けた!)」の様に「ヲタ芸」によって人間関係により祀られることは絶対にない。

しかしこの「キリマンジャロの雪」の「壊疽で死にかけた主人公」は人間関係の「ヲタ芸」で祀られた生活を送ってきた。
彼はそれを自嘲的に回想している。
この作品ではそのことを過去の回想と現在の壊疽の苦しみを取り巻く人間関係によって描いている。

この作品の趣旨を考えていくとこの一頭の豹は「山岳信仰(神の館)」により形成された「唯一性のペルソナのあり方」を示して存在していると考えられる。
それは「カトリック信仰から形成されるオリジナル」であり「唯一性のペルソナの確立」と見做すことができるだろう。
それはイマーゴ(神の似姿)への信仰であるのです。

一般に「登山家(バフォメット)」の「登頂(唾付けた!)」は「ヲタ芸」によって祀られる。
そういった「登頂(唾付けた!)」は人間関係の「ヲタ芸」で祀られ「レジェンド」と見做される。

それによって「山岳信仰(カトリック信仰)」から受肉する「ロゴス」へ一々敵対する「登山家(バフォメット)」の「絶対知」(信念)が形成される。

それが「呪術崇拝」と「偶像崇拝」が司った「doxa(絶対知)」の支配体制を強固にする。

しかし実際にはそういった「登山家(バフォメット)」は「登山家(絶対知)」であり「登山家(doxa)」でしかないのが真実なのです。
だから「doxa」を「絶対知」(信念)と見做す超能力(大変な才能)は越権行為であり大傲慢のあり方なのです。

「doxa」を「絶対知」(信念)と見做すこと自体が「狂気の沙汰」であり「神への挑戦」なのです。

愚の骨頂の時代

安倍晋三さんへの「非現実的な理想化」とは「バフォメットの偶像崇拝」だったと言えます。

※安倍晋三さんが「思い込めば成る!」と国民に号令を掛けたという逸話は「レジェンド」とされています。

※又、安倍晋三さんの口癖だった「だってそうじゃないですか!」は「doxa」を「絶対知」(信念)とする「呪術崇拝」の「呪文」であるでしょう。

※そして安倍晋三さんは「結果を出した!」と強調されましたが、それは「doxa」を「絶対知」(信念)とする「ヲタ芸」(cult)で祀った「非現実的な理想化」としての「結果(呪文)」に過ぎなかった。

※安倍晋三さんの有名な著書である「美しい国」も「doxa」を「絶対知」(信念)とする「呪術崇拝」の「呪文」であった。それは「ヲタ芸」(cult)によって「非現実的な理想化」の「美少女フィギュア」を祀ったようなものです。

※そして安倍晋三さんの「反日本国勢力との戦い」に関しても「バフォメットの偶像崇拝」であったのです。何故ならば安倍晋三さんが指摘した反日本国勢力とは「カトリック信仰」の勢力と言えたからです。それは「神技」としての「マスメディア」であり、「神技」としての「マスコミ」だったのです。実際は安倍晋三さんの方が「カトリック信仰」へ一々敵対したアンチキリスト(堕天使ルシフェル)だったのです。それを「doxa」を「絶対知」(信念)とする「バフォメットの偶像崇拝」で「逆転」させていた。「ヲタ芸」(cult)を仕掛けて「カトリック信仰」の方を「アンチ」に仕立て上げた。そういう意味で「TBS(東京放送)」への攻撃は「カトリック信仰」への冒涜として象徴的であり、フジ産経グループは「バフォメットの異端教団」(明けの明星)であることが判明しました。

※安倍晋三さんの口癖は「みんなやってますよ!」でした。安倍晋三さんはそれを「普遍性」と主張しました。しかしそれは「バフォメットの異端教団」(明けの明星)のあり方でした。「人間がみんなやっているだろうこと」を「普遍性」だと主張したからです。実際「みんながやっている」から「普遍性」とされるとそうも感じます。でも何かおかしい。何故ならば「カトリック信仰」へ一々敵対する「バフォメットの異端教団」(明けの明星)を「みんなやってますよ!(普遍性)」としたなら「神の雷」がきっと下るからです。何故ならば「カトリック信仰」は真の「普遍性」であるからです。この「逆転」が「バフォメットの異端教団」(明けの明星)のあり方なのです。

備考 
安倍晋三さんの「朝日新聞社」への攻撃は実は「毎日新聞社」への攻撃を意味していた。何故なら安倍晋三さんの父親・安倍晋太郎さんは毎日新聞社の社員だった。だから「毎日新聞社」へ露骨な直接攻撃ができない理由があった。「TBS(東京放送)」は「毎日新聞社」の経営危機の際に資本関係がほぼ解消している。しかし今でも業務提携関係は継続しているのです。そして彼らのあり方は「カトリック信仰」に於いて共通しているのです。

安倍晋太郎は毎日新聞社記者だった。

そのような「doxa」を「絶対知」(信念)とした「無根拠性」の主張を弄する存在はデマゴーグの出現と見做される。

そして真の「結果」とは「カトリック信仰」から受肉した「ロゴス」によって齎される。

簡単に言えば「根拠」の「説明責任」を果さなければならないと言うことです。
医師で言えば「インフォームド・コンセント」によって「治療」及び「治療結果」の説明責任を果たすことを示している。
又、それには「病理学」による説明が欠かせないのです。
何故ならばただ「根拠」もなく治療し、ただ「根拠」もなく治癒したとする医師の主張と医師の説明では「インフォームド・コンセント」とはならないからです。
それは「ヲタ芸」(cult)の医療集団となるでしょう。
オウム真理教の「ヲタ芸」(cult)の医療集団と大して変わりません。

医療において「根拠」とは「病理学」となるのです。
医師による「説明責任」(インフォームド・コンセント)とは「病理学的説明」を指します。

『 私の治療は「医学」ではなく「医術」である。』
(伊豫雅臣千葉大学医学部教授の発言)
しかしこれは「医学」ではなく「ヲタ芸(cult)」の治療と言える。
まさに教授回診集団という「教授」を祀り上げてある図となっていました。
これは「麻原彰晃教祖」を祀り上げる信者達(弟子達)の図と同様でありました。

インフォームド・コンセント
[英] informed consent
[同義語] 【説明と同意】
〓医療における患者の自己決定を実現し,その利益を保護するための過程。基本的には,医師が患者の病状,予想される予後,適応のある診断方法,治療方針,成功率,不確実性,診療行為に伴う副作用や合併症などを患者に説明し,患者がそれらを十分理解したうえで,自らの価値観や希望に沿った決定を下す過程である。また医師は,医療が最善と考える診療方針を推薦する他に,代替案の掲示も行わなくてはならないとされる。さらに患者が決定を下す際に,外部からの強制や不当な介入がないことが条件となる。インフォームド・コンセント取得が治療方針決定に際して例外的に必要ないとされる状況として,患者が緊急な医学的処置を必要とする場合,患者に十分な判断能力がなく自己決定を下せない場合,患者が自己決定や詳細な説明を希望しない場合,さらに患者に対する説明が非常に高い確率で患者に害を与えると予想される場合がある。
〓精神科臨床においては,①統合失調症などの病名を告知しないで治療が行われていることが多いこと,②患者が自覚する疾患あるいは病状と周囲の人が感じるそれとの間に相違があること,③患者の同意能力に欠陥がある場合があること,④治療法の中に患者の社会的権利の制限を伴うようなものがあることなどのために,インフォームド・コンセントに関わる問題は,他の身体疾患の場合と比較して複雑な課題を多く含んでいる。
(271001)(511028)

『医学書院 医学大辞典』 医学書院

informed consent (in‐fōrmd′ kŏn‐sent′).
インフォームドコンセント(目的,方法,手段,有益性およびリスクについて説明を受けた後に,ある調査,ワクチン接種計画,治験,侵襲的医療などへの参加に対し,ある個人ないし患者の法的代理人(親など)によって行われる任意の同意.インフォームドコンセントの必須の条件は,本人が知識と理解の両者をもつこと,同意は強制や不当な圧力なしで自由に行われること,いつでも中止できる権利があることを患者に伝えてあることである.疫学的および生物医学的な研究に関連したその他のインフォームドコンセントの内容,およびそれを得る際に直面する条件についてはInternational Guidelines for Ethical Review of Epidemiologic Studies (Geneva: CIOMS/WHO 1991)およびInternational Ethical Guidelines for Biomedical Research Involving Human Subjects (Geneva: CIOMS/WHO 1993)に示されている).

『ステッドマン医学大辞典』 メジカルビュー社

安倍晋三さんが強調された「結果を出した!」は「非現実的な理想化」であり「ヲタ芸(cult)」が祀った「バフォメットの偶像崇拝」だったのです。
アベノミクスの「結果を出した!」とは「バフォメットの偶像崇拝」と同様で「パラノイアの症例」により転倒させる「黒ミサ」だったのです。

しかしこのような「バフォメットの偶像崇拝」 によった「結果を出した!」と言う主張は安打製造機のイチロー選手にも言えることです。
イチロー選手は「結果で黙らせる!」と主張し豪語してきました。
そして実際にイチロー選手は類まれなる「結果」を残しました。

しかし私はそこに違和感を感じます。
イチロー選手の残した「結果」が「カトリック信仰」の「ベースボール(野球)」の「結果」ではないと判断されるからです。
イチロー選手が残した「結果」が「ロゴスの受肉」による「結果」ではなく、「ヲタ芸(cult)」によって祀つられた「非現実的な理想化」のために形成された「結果」に過ぎないと言えるからです。
それは「特殊詐欺」の手法であったと見做せるのです。

「ヒント」を言えば「自分専用」の「バッティングセンター」と「神技」としての「カトリックベースボール」の違いと言えます。
「バッティングセンター」に於いて自分のタイミングで絶えず打撃することができれば「結果」は出易いのは当然です。
要は自分の優位な「ヒットポイント」を形成できるのです。

※例を挙げれば父親が子供に野球を教えている時に子供の「打撃タイミング」に合わせて父親が「ボール」を投げてやれば大抵はバットに当たります。何故ならば「ヒットポイント」に合わせてやれば「ボール」はバットに当たりヒットは生まれます。

しかし対戦相手のある「カトリックベースボール」(実戦)では「最高善信仰(カトリック信仰)」をもって「ベースボール(野球)」をプレーすることが基本となっています。
「カトリックベースボール」には「相互性」があるのです。
こういった人間関係ではそういった「相互性」を「自由の相互性」と言います。
しかしイチロー選手のプレースタイルは「一方的な自由性」の主張であるのです。
それは「自由の相互性」へ一々敵対する冒涜者であり「相手選手の自由性」を著しく侵害していることは明白なのです。
これは「大谷翔平選手」にも言えることです。
「大谷翔平選手のルーティーン」(二刀流)へ周囲が合わせろという訳です。

こういった「一方的な自由性」の形成には何か「きっかけ」があると想像されます。
そのような「きっかけ」は「原因」とされそこから生じた「事象の結果」が「原因と結果」のあり方とされます。
そのような「屁理屈」が形成されて行きます。
しかし随分低能なお話であると思います。
何故ならば「きっかけ」(原因)の形成は「doxa」を「絶対知」(信念)とするための「因縁を付ける行為」であるからです。

「因縁を付ける行為」によって「doxa」を「絶対知」(信念)とした「原因」を主張している。
「だってそうじゃないですか!」みたいなものです。

それってなんか「原因」(根拠)あるの?

「因縁を付ける行為」だけです・・・。

そして「絶対知」(信念)を「結果」だと強硬に主張する。
「頭の悪さの為せる技」です。

イチロー選手は「一方的な自由性」を主張するために「因縁を付ける行為」をして「ベースボール」(野球)をプレーしていたのです。
そしてイチロー選手は「因縁を付ける行為」で「一方的な自由性」を主張し「優位性」を確保することで「類まれな結果」を出したのです。
当然にそれは真に「原因と結果」から形成される「事象の結果」ではないと見做されます。
何故ならば真に「原因と結果」から形成される「事象の結果」であれば「神技」としての「カトリックベースボール」のイマーゴ(神の似姿)への信仰となる筈だからです。

もし真に「原因と結果」から形成される「事象の結果」としてイチロー選手のプレーを観察するならそれは「カトリック信仰」へ一々敵対した「因縁を付ける行為」であると言えます。
それによってイチロー選手は「一方的な自由性」を主張し「優位性」を確保してプレーするが相手選手は「カトリック信仰」の「自由の相互性」によってプレーするため「一方的な不利」を受けなければならないのです。
イチロー選手は「因縁を付ける行為」で自分勝手なプレーをして「優位性」を確保し類まれなる「結果」を残した。
そして「英雄」とされている。
しかしそれは自分のルーティーンへの異常な拘りによった冒涜行為だった。
要は「カトリック信仰」へ一々敵対した「doxa」を「絶対知」(信念)することで形成した「自分勝手なルーティーン」だったのです。

これは天才ジョッキーと言われていた武豊さんにも言えることです。
日本の「神技」としての「カトリックホースレーシング」に於いて真の天才ジョッキーは福永洋一さんだったと言える。
武豊さんは「異端」としての「ホースレーシング」だった。
それはイチロー選手と同じ理由です。

そういった「自分勝手なルーティーン」は「時代感覚」や「歴史観」と呼ばれ「ヲタ芸」(cult)によって祀られます。

しかしそんなプレーをして何が楽しいのか?

又、そんなプレーを観て何が楽しいのか?

イチロー選手は「結果で黙らせる!」と主張し豪語しましたがそんな結果に価値は全くありません。
イチロー選手は「神技」を冒涜しただけです。

イチロー選手は「異端ベースボールプレイヤー」(異端野球選手)と言えるでしょう。
それは「doxa」を「絶対知」(信念)とする「因縁を付ける行為」であり低能なあり方です。

イチロー選手は「チンピラ」程度の「特殊詐欺師」だったのです。
チンピラベースボール(チンピラ野球)は「特殊詐欺」を成立させます。

そのようなインチキを弄する「半グレ野球アニメ」がありました。
「神技」としての「カトリックベースボール」へ一々敵対した詐欺ベースボール(詐欺野球)が「半グレベースボール」(半グレ野球)だったのです。

ただこれは野球日本代表の「侍ジャパン」のプレーと同様であるでしょう。
「侍ジャパン」が嫌な連中にしか見えない訳が解ります。
「侍ジャパン」とは「神技」としての「カトリックベースボール」の「価値」を理解できない「バカ集団」なのです。
「神技」へ一々敵対して「優位性」に拘り抜くのです。

落合博満さんの「打撃フォーム」も「打撃ルーティーン」だろうと見做せます。
「オレ流」が聞いて呆れます。
ただ「神技」を冒涜して「優位性」を確保しているだけなのです。
落合博満さんは「神技」としての「カトリックベースボール」へ一々敵対した異端ベースボールプレーヤー(異端野球選手)でした。
※「打撃フォーム」と「打撃ルーティーン」については後に詳述します。

チンピラ詐欺師か?

稀代の詐欺師か?

バレてしまえば似たようなものです。

いん‐ねん【因縁】‐エン
《「いんえん」の連声》
〓仏語。物事が生じる直接の力である因と、それを助ける間接の条件である縁。すべての物事はこの二つの働きによって起こると説く。
〓前世から定まった運命。宿命。「出会ったのも何かの―だろう」
〓以前からの関係。ゆかり。「父の代から―の深い土地」
〓物事の起こり。由来。理由。「いわれ―」「―話」
〓言いがかり。

『大辞泉 第二版』 小学館

いんねん【因縁】
仏教用語。直接原因である「因」と間接的原因である「縁」とをいう。仏教では,あらゆるものが因と縁とによって成立し,また破壊すると考え,これを因縁生(いんねんしょう)などという。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

○因縁(いんねん)を付・ける
無理に理由をこじつけて相手の非を責めたてる。言いがかりをつける。「ちんぴらに―・けられる」

『大辞泉 第二版』 小学館

◇因縁をつける
make up a pretext for a quarrel 〖with sb〗.
〓あんなやつにそんな~をつけられる覚えはない.
I don’t remember doing anything that would give that guy a pretext to pick such a quarrel with me.
◾チンピラになんだかんだと~をつけられ金を巻き上げられた.
This hoodlum picked a quarrel with me on this pretext and that, and forced me to hand over some money.
◾ただ歩いていたら向こうが~をつけてきたんです.
I was just walking along (minding my own business) when the guy came and tried to pick a fight with me.
〓因縁話
〔因果応報的な昔話〕 a tale of retributive justice; 〔複雑ないきさつのある話〕 an account of how sth began.

『新和英大辞典 電子増補版』 研究社

ならず者[ならずもの]
ごろつき / 地回り[じまわり] / やくざ / 暴力団[ぼうりょくだん]

無頼漢[ぶらいかん] / 無法者[むほうもの] / 与太者[よたもの] / ごろ / ちんぴら
【共通する意味】
正当な定職を持たず、たちの悪いことをして一般の人を脅かすような者。
【英】a rogue; an outlaw
【使い方の例】
〖ならず者〗街のならず者 / ならず者の集まり
〖ごろつき〗ごろつきに因縁をつけられる / ごろつき連中
〖地回り〗地回りにおどされる / 地回りに顔がきく
〖やくざ〗(名・形動) / やくざから足を洗って堅気になる
〖暴力団〗暴力団の抗争が激しい / 暴力団を取り締まる
【それぞれの意味と使い分け】
(1)「ならず者」は、「不成者」と書き、まともではない者の意。無法で、おどし、たかりなどを行う者。
(2)「ごろつき」も、「ならず者」とほぼ同じ意味。「破落戸」と書くこともある。
(3)「地回り」は、近世、遊里などで地付きの顔のきく者をいった。現在では、盛り場などを縄張りとして仕切る者をいう。
(4)「やくざ」は、いわゆるばくち打ちのことで、特殊な世界をつくり、親分、子分の関係などそれなりの仁義、しきたりなどがあった。また、「やくざな男」のように、単に性行がおさまらない人をいうこともある。
(5)「暴力団」は、組長と組員から成る、無法なふるまいをする者の集団。
【反対語】
やくざ⬌堅気
【関連語】
〖無頼漢〗一定の職業をもたず、素行の悪い男。ならず者。「あの男はこの町でも有名な無頼漢だ」
〖無法者〗道理にはずれた、乱暴なふるまいをする者。「好き勝手をする無法者」
〖与太者〗素行不良の若者。役に立たない者の意もある。「一見与太者風」
〖ごろ〗「ごろつき」の略。「会社ごろ」「政界ごろ」などの形で使うことが多い。常習的にその世界に出入りし、甘い汁を吸っている者をいう。
〖ちんぴら〗一人前でもないのに、おとなぶったり大物をきどったりする者。転じて、不良少年少女。「ちんぴらにからまれる」

『使い方の分かる類語例解辞典』 小学館

しかし「神技」とは「自由の相互性」があってこそ成立するのです。
それが「神技」としての「カトリックベースボール」なのです。
だから「因縁を付ける行為」によって「一方的な自由性」を強硬に主張可能な「優位性」を持った対戦相手との間で「神技」としての「カトリックベースボール」の成立は不可能と言えます。

よってイチロー選手や大谷翔平選手の「ヲタ芸」(cult)による「ベースボール(野球)」とは「バフォメットの偶像崇拝」だったのです。

ここにイチロー選手を「ヲタ芸」(cult)で祀った「非現実的な理想化」の形成が見られます。
それが「結果で黙らせる!」の成立でありました。
これは大谷翔平選手のやり口と同様なのです。
それは最強の「呪文」であり古典的な「特殊詐欺」の手法であるのです。

「ヲタ芸」(cult)は麻原彰晃一党と同様のマインドコントロールです。
しかしそれは「ロゴス」へ一々敵対した「バフォメットの偶像崇拝」(異端)であったのです。
その正体は「doxa」を「絶対知」(信念)とした高揚感(超能力感覚)であろうと思います。
このようなイチロー選手の奇妙なハイテンションはいつも一方的な対人関係を形成しています。
これは長嶋茂雄さんにも顕著に見られます。
「自由の相互性」への敵対感覚は大傲慢の証です。
こういった「ロゴス」への敵対感覚は「異端」と言えます。

そしてグルである「麻原彰晃」が発した「ハルマゲドン」の予言(doxa)を祀った信者(弟子)はその予言(doxa)を「絶対知」(信念)とするために「ヲタ芸」(cult)によって実現を謀った。
そして「大事件」が起こった。
それは「異端教団」が「カトリック信仰」により「特殊詐欺」であることが暴露される段階で「バフォメットの偶像崇拝」を「神演出」で祀り「大事件」を起こし最後の悪足掻きを見せることです。
それがオウム真理教の信者(弟子)たちが起こした「地下鉄サリン攻撃」なのです。
この「大事件」が真の「ハルマゲドン」ではない理由は明解です。
何故ならば「doxa」を「絶対知」(信念)として実現する犯行動機に善悪(真偽)の聖戦はありえません。
それは予言(doxa)を「神演出」で祀ることで「絶対知」(信念)とし実現するための「特殊詐欺」其の物であり「ヲタ芸」(cult)と言える行為なのです。
当然の如く彼らだけの「一方的な自由性」であって「自由の相互性」は完全に侵害され冒涜されている。
「被害者の自由性」は完全に踏み躙られることで最悪に近い事態となった。
オウム真理教は「doxa」を「絶対知」(信念)とした「異端教団」である以上彼らに存在価値は全くない。
聖織田信長が「一向宗徒」を殲滅したように「オウム真理教」も殲滅すべきと言える。

ただ現代は「神演出」で祀っていた「異端教団」が「特殊詐欺」を暴露される段階にありそれら「異端教団」が「大事件」を起こす「凶兆」を感じることがかなり多い。
よって現代は「超危険時代」と言えます。

これら「ヲタ芸」(cult)は「異端教団」であり超危険な存在です。
当然「ロゴス」へ一々敵対する冒涜行為を「doxa」を「絶対知」(信念)とする「呪文」で祀れば「異端教団」にしかならない。
このような「異端教団」を「カトリック信仰」の名の元に撃つことは絶対に必要なのです。
それは「エクソシスト」とも言えます。

いたん【異端】
heresy
異端の語はすでに『論語』為政編 12にみえるが,歴史上おもにキリスト教で多用された。転じて一般に,正統の相関概念とされる。キリスト教では正統教会により誤謬として排斥された教義やその体系をいう。異端は同じ集団や伝統の内部で,教義の解釈を異にした場合に起るもので,キリスト教からみた仏教やイスラムなどの異教や,教義を同じくしながらも別の教会を立てる分派(ギリシア正教など)とは区別される。これはキリスト教会が創設当初より,自己のみを,啓示を正しく解釈しうる啓示の保持者と規定したことに始る。キリスト教初期には,キリストの実在,神人イエスの本性,あるいは三位一体説をめぐって,キリスト仮現説,マルキオン説,キリスト養子説,アリウス派などの異端説が多く現れたが,ローマ・カトリック教会にとって最大の異端は,プロテスタンティズムである。プロテスタンティズム内部でも教会が樹立されると,異端問題が起る(カルバンのセルベツス事件など)。しかし,今日では近代的な社会構造の確立に伴って,総じて宗教に関する異端の論議は少くなっている。政治,社会の分野でも正統対異端の論争がみられるが,これらは同様に教義あるいは綱領の解釈の異同によるもので,上述の意味の転用である。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

her・e・sy [hérəsi]〓
―n. (pl. ―sies)
1 (正統派の教義・通説に反する)異論,異説,反(対)論,(特に宗教の)異端.
2 異端の主張,異論の支持.
3 〖ローマカトリック〗 異端:洗礼を受けたカトリック信者が信仰箇条のどれかを拒否すること.
4 (定説・通説などに反する)反対論,異論.
[1200年以前? 中期英語 heresie<古期フランス語 eresie<ラテン語 haeresis「思想の流派,セクト」<ギリシャ語 haíresis,字義は「選ぶこと」(haireîn「選ぶ」より)]

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

カルト
cult
祭儀,儀式,崇拝を意味することばが転じて,特定の人物・事物を熱狂的に崇拝,礼賛すること。または,そうした行動をとる集団や教団をさす。アメリカ合衆国では,1969年のチャールズ・マンソンとマンソン・ファミリーのメンバーによる女優シャロン・テートらの虐殺事件,1978年に起こったジム・ジョーンズの教団「人民寺院」の集団自殺事件など,カルトがからんだ陰惨な事件が相次いだ。日本でも,オウム真理教による 1994年の松本サリン事件,1995年の⇨地下鉄サリン事件など,カルトが否定的にとらえられるきっかけとなった事件が発生した。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

イチロー選手や大谷翔平選手の「異端」としての「ベースボール(野球)」を賛美するあり方は現在の風潮では顕著であると思います。
しかしそれは「神技」としての「ベースボール(野球)」へ一々敵対する「異端児」を祀った「バフォメットの偶像崇拝」であるのです。
それは「黒ミサ」を司った「ヲタ芸」(cult)であり「異端児」はカリスマとされた教祖と同じとなる。
「異端児」とは「異端教団」を設立した「天才」とされますが「神の恵」(奇跡)は齎されません。
しかし「異端児」は「ヲタ芸」(cult)によって信者(弟子)から祀られます。
ここに「堕天使ルシフェル」と「神の天使」との間に「聖戦」が起り得ると想像されます。
それが真の「ハルマゲドン」であり黙示録(revelation)であるでしょう。

いたん‐じ【異端児】
正統派に属さず独自の活動をする人。常識にとらわれず、自由奔放に行動する人。「画壇の—」

『広辞苑 第六版』 岩波書店

いたん‐じ【異端児】
ある分野で、正統から外れ、特異な存在とみられている人。「球界の―」

『大辞泉 第二版』 小学館

〓異端児
a nonconformist; a dissenter; an enfant terrible 〖pl. enfants terribles〗.
〓文壇の~児として注目を集める
attract attention as a literary enfant terrible.
〓異端者
a heretic; a heathen; a pagan.
〓彼は社内で~者扱いされて孤立した.
At work he was treated as a heretic and 「was isolated [stood alone].

『新和英大辞典 電子増補版』 研究社

しゅうきょうさいばん【宗教裁判】
inquisitio; inquisition
正しくは異端尋問。単に訴えを裁くだけでなく,検察の手続であった古代ローマ法の inquisitioにのっとって,異端絶滅のため司教の通常の法廷とは別に,10世紀頃から常置された西方キリスト教会の裁判制度。教会と国家の癒着が進むにつれて異端者は同時に国家の敵とみなされ,判決を受けたものは国家の手によって最高死刑の実刑を科せられた。初めは各地の司教にまかされていたが,12世紀以来カタリ,ワルドー派などが盛んになるにつれ制度が整備され,グレゴリオ9世のとき教皇直属となり,ドミニコ会,フランシスコ会の修道士が審問官に選ばれた。裁判にあたっては密告,拷問,非公開,自白の採用などの方法がとられ,無罪が証明されるまでは容疑者に不利であったばかりか,異端者を出した領主なども罷免されたので,裁判は残酷,悲惨になりがちで教会の大汚点の一つとなった。特に 15世紀末に設置されたスペインの異端審問裁判所は国家権力と密接に協力し,ユダヤ教やイスラムからの表面的改宗者摘発やプロテスタントなどの排除のため過酷な手段をもって活動した。大審問官トマス・ド・トルケマーダは有名で,2000人以上を死刑台に送ったとされる。フランス大革命後国家との結びつきが弱体化するにつれ実刑はなくなったが,制度そのものは 1960年代にまで残存した。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

ハルマゲドン〖(ギリシャ)Harmagedōn〗
《新約聖書「ヨハネ黙示録」16章から》世界の最後の日に起こる善悪諸勢力の終局の決戦場。転じて、世界の終わり。

『大辞泉 第二版』 小学館

Ar・ma・ged・don [ɑːrməɡédn]〓
―n.
1 ハルマゲドン:善と悪の力が最後の決戦をする所. cf.〖聖書〗 Rev.16:16.
2 (一般に)最後の壊滅的な大決戦;大衝突:〓

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

Armageddon /ˌa:məʼgɛd(ə)n/
◆noun
1.(in the New Testament) the last battle between good and evil before the Day of Judgement.
2.a catastrophic conflict.
―ORIGIN
Gk, from Heb. har mĕgiddōn ‘hill of Megiddo’ (Rev. 16:16).

『The Concise Oxford English Dictionary, Eleventh Edition』 Oxford University Press

しかしそのような「ヲタ芸」(cult)の「ベースボール(野球)」は「神技」への冒涜行為でしかありません。
例え相手が「ヲタ芸」(cult)でイチロー選手を祀ったとしてもその「ベースボール(野球)」は「神技」としての「カトリックベースボール」とはならない。
イチロー選手が相手選手の「合意」があったと強硬に主張できてもそれが「神技」としての「カトリックベースボール」とされる訳ではないのです。

「野球とベースボールは違う!」や「たかが野球されど野球!」等の江川卓等の「名言」は「呪文」であり「doxa」を「絶対知」(信念)とする「ヲタ芸(cult)」でした。
要はそのような「異端」を「絶対知」(信念)として一方的に開き直った態度なのです。

しかし「doxa」を「絶対知」(信念)とすること自体が「異端」でしかない。
「呪文」を唱え続ける低能集団なのです。
しかしそのような穢れた「呪術崇拝」の「呪文」を幾ら唱えたとしても「ヲタ芸」(cult)の「ベースボール(野球)」が「神技」としての「カトリックベースボール」とされる訳はない。

そしてそのような最強の「呪文」が成立する時、メシアは再来し「神の雷」が下る。

そういった最強の「呪文」は「異端教団」の中だけで通じる「特殊詐欺」であった筈です。

そのような「特殊詐欺」は「カトリック信仰」の境域で通用する筈はなく破綻は目に見えていました。

「自由の相互性」へ一々敵対したイチロー選手へのスター扱いは愚行であります。
もういい加減止めた方が良いです。
みっともないだけです。
「一抜けた」が正解です。

イチロー選手の奇妙な「打撃ルーティーン」はそのような「特殊詐欺」を真に物語っています。

何故ならば奇妙な「打撃フォーム」を持ったメジャーリーガーは多数いることは確かです。
しかしそれは「神技」としての「カトリックベースボール」と見做されます。
そのような奇妙な「打撃フォーム」は「ロゴスの受肉」によっているからです。
「ロゴスの受肉」によって形成された「打撃フォーム」とは如何に奇妙に見えてもイマーゴ(神の似姿)への信仰なのです。

ただイチロー選手の奇妙な「打撃ルーティーン」は自分専用の「バッティングセンター」と同様の「打撃タイミング」の形成に過ぎないと思われるのです。
それは自分に優位な「ヒットポイント」を「打撃フォーム」ではなく「打撃ルーティーン」で形成しています。
それは「填め手(嵌め手)」によって形成した「優位性」であり「相互性」は冒涜された状態なのです。
そのような「優位性」の存在は「神技」としての「カトリックベースボール」へ一々敵対したあり方です。
何故イチロー選手の「打撃ルーティーン」による「優位性」が容認されたのか不思議です。
仰木彬さんのイチロー選手への特別扱いが異常だったと言えます。

異端野球だったのでしょうか?

イチロー選手は「打撃フォーム」ではなかったのです。
だからイチロー選手は「ロゴスの受肉」がなくイマーゴ(神の似姿)への信仰ではないと判断される。
イチロー選手は「打撃ルーティーン」による「打撃タイミング」のマジック(呪文)だった。
要はイチロー選手は「ベースボール」(野球)を低レベルへ貶めている。
それがイチロー選手の「特殊詐欺」の手法なのです。

イチロー選手のプレースタイルは相手に自分の「打撃ルーティーン」の「打撃タイミング」へ合わせろと命じている。
それによってイチロー選手は「優位性」をもってヒットを量産できます。
相手選手はイチロー選手の「打撃ルーティーン」の「打撃タイミング」へ合わすことを強要され「神技」としての「カトリックベースボール」はイチロー選手専用の「バッティングセンター」とされたに等しくなる。

「神技」としての「カトリックベースボール」はイチロー選手の「優位性」が容認されたことで大冒涜されたことになります。

イチロー選手は捏造されたスターだった可能性があります。
そういう意味で「商業野球」は「神技」としての「カトリックベースボール」ではなく「異端野球」なのです。

ただ広岡達朗さんは例外です。
広岡達朗さんは「神技」としての「カトリックベースボール」の聖人です。

当然の如く惚けて淡々とプレーし続けたイチロー選手は「安打製造機」となることができたのです。
しかしイチロー選手は無神経で大傲慢のプレーをしていたというのが本当でしょう。
これは「神技」としての「カトリックベースボール」に対する大冒涜行為だったのです。

又、イチロー選手がアメリカの「野球殿堂博物館」へ足繁く通ったレジェンドもインチキの「結果」で真の「結果」を穢す冒涜行為と言えます。
そして「特殊詐欺」で形成した「結果」を利用し「結果で黙らせる!」と豪語し主張する。

イチローよ!
無神経で傲慢過ぎなんだよ!
サル!
クズ!

イチロー選手が高校野球の指導をしている理由も明らかな錯誤によっています。
何故ならば高校野球は「神技」としての「カトリックベースボール」の場であるべきだからです。
高校の「ベースボール(野球)」とは「神技」としての「カトリックベースボール」とされています。
決して「ヲタ芸」(cult)の「ベースボール(野球)」ではない筈です。

しかしイチロー選手の行う指導を見ましたが「非現実的な理想化」を祀った「ヲタ芸」(cult)であり「特殊詐欺」の「ベースボール(野球)」を指導していました。
それは明らかな「神技」としての「カトリックベースボール」への冒涜行為です。
そしてイチロー選手は自分自身を「非現実的な理想化」の存在として高校球児に祀らせているのです。
「イチロー教団」の誕生ですが「doxa」を「絶対知」(信念)とする「呪術教団」に過ぎないのです。

※例 「早稲田大学」への「非現実的な理想化」も「ヲタ芸(cult)」でありこれと同様なのです。「ハンカチ王子(斎藤佑樹)の連呼」とは早稲田大学の「呪術教団」が司り「doxa」を「絶対知」(信念)としたものでしょう。これは早稲田大学の「呪術教団」が出した奇妙な「結果」と言えます。これは「打撃フォーム」ではなく「打撃ルーティーン」なのです。要は「填め手(嵌め手)」だったのです。これは「早稲田大学スーパーフリーサークル事件」の後であっために早稲田大学関係者(OB)が強硬に策謀した政治的宣伝番組だったのでしょう。「高校野球」と言うより「NHK高校野球中継番組」のインチキがバレたということです。「高校野球」に「罪」はないと思います。「NHK番組」がクズなのです。

はめ‐て【▿填め手】
自分の術中に誘いいれるための手だて。主に囲碁・将棋などでいう。「―にかける」

『大辞泉 第二版』 小学館

はめて【嵌め手】
〖囲碁・将棋〗 〖fall into〗 a trap 〖set by one’s opponent〗.

『新和英大辞典 電子増補版』 研究社

しかし高校球児にそんなバカなことを教えてはいけない。
イチローよ!
君には野球の才能がなかった!
何故ならあなたは「カトリック信仰」が理解できない「ゲス男」だからだ!
だから「神技」としての「カトリックベースボール」が理解できない故に「バフォメットの偶像崇拝」を祀った「ゲス野郎」となっているのです。
イチロー選手は決して「ベースボール(野球)」の「聖人」ではなかった。

イチロー選手の「バフォメットの偶像崇拝」はそのような「ヲタ芸」(cult)によって祀った「結果」を利用し「結果で黙らせる!」と豪語するあり方です。

イチロー選手は「インチキ」でも「結果」は「結果」と言いたいらしい。
しかしこれはアベノミクスの「結果」でありカミオカンデの「結果」でありイチロー選手の「結果」だったのです。

これは「非現実的な理想化」であり典型的な「cult」の症例です。
「呪術教団」のあり方なのです。

ただ彼らは「カトリック信仰」から「ロゴスの受肉」を全くしていない。
逆に「ロゴス」へ一々敵対する「呪文」を祀っている。
そのように彼らは「doxa」を「ヲタ芸」(cult)により祀った「バフォメットの偶像崇拝」であり「呪術教団」であった。

この症例には強固な「パラノイア」(絶対知)が存在する。
その治療は古典的な課題であり「聖ヒポクラテス信仰」によってなされなければならない。
真の医者とはそのような「聖ヒポクラテス信仰」によっている。
そして「聖ヒポクラテス信仰」とは「キリスト教」(カトリック信仰)で言う処の「神の導き」であり「善き羊飼い」のことを指している。

よってこのような「最悪の災いが起こる凶兆」の時にメシアが再来するとも思われる。

メシア来たれ!

しかし安倍晋三さんも甘えたように「ロゴス」へ一々敵対する「呪文」を唱えていました。
それを「育ちの良さ」(人が良いから)とされてきました。

しかしそれも「バフォメットの偶像崇拝」のあり方であろうと思います。
何故ならば本当に育ちが良かったならそのような「バフォメットの偶像崇拝」は絶対になされません。

安倍家のお坊ちゃんへ「育ちが悪い」とは言い難い時代でした。
一般常識では彼らは「良家の子息」と思われています。
しかし安倍家は山岳信仰(カトリック信仰)ではなく、それへ一々敵対する登山家(バフォメット)の登頂(唾付けた!)に過ぎなかった。

彼らは元から「下品な輩」に過ぎなかったのです。
だから山岳信仰(カトリック信仰)へ一々敵対する「バフォメットの偶像崇拝」をしている。
彼らは上手く化けていたのでしょう。
デマゴーグのゲッペルス宣伝部隊を利用すれば可能なことです。
「安倍晋三さんは頭が良い!」と連呼した安藤優子さんを思い出します。

良家のお坊ちゃんの素性が知れてしまえば「下品な輩」だったと言うことはよくある話です。
そして「ロゴス」へ一々敵対する「呪文」を唱えることで「ヲタ芸」(cult)により祀られます。
全くもって原始的段階に近く劣等な連中でした。
「安倍晋三さんの時代」とは全くの馬鹿な時代だったのです。
「愚の骨頂の時代」だったのです。

「デマゴーグ」とは「無根拠性」の主張であり「循環論証」によって形成される

「doxa」を「絶対知」(信念)として形成した「屁理屈」の「無根拠性」は「循環論証」の存在に表出している。
「循環論証」は「無根拠性」に「根拠」を捏造する「マジック(呪文)」であり、「doxa」を「絶対知」(信念)とする「屁理屈」であった。
そのような「無根拠性」を正当化する「屁理屈」は「デマゴーグ」の手法とされる。
何故ならばそのような「無根拠性」によった「主張」は「根も葉もない噂話」程度の産物であり完全な「デマゴギー」であるからです。

だから真の指導者は「doxa」を「絶対知」(信念)へ誘う扇動ではなく、「根拠」を示すことで「doxa」を「ロゴス」へ導かなければならない。
それは「カトリック信仰」から「ロゴス」を受肉することで「奇跡」(神の恵)を得ることで可能となる。
「デマゴーグ」によって「doxa」は「絶対知」(信念)へ誘われるけれど、「カトリック信仰」によっては「doxa」は「ロゴス」の受肉へ導かれる。
そして「奇跡」(神の恵)を得る。
真の「根拠」は得られる。

ただそこには「循環論証」のマジック(呪文)の危険性が絶えず存在する。
何故ならば虚偽の「根拠」が「無根拠」に捏造されることで「doxa」は「絶対知」(信念)へ扇動されるからです。
それが「躓き」です。
「最悪の災いが世に起こる凶兆」とは「躓き」の時に現れます。
※例 アガリクスの特効薬詐欺(朝日新聞によると効用に根拠はなかった。)

循環論証
論理上の虚偽の一つ。Aの事柄を論証するための論拠として用いられるBの事柄が、Aを論拠としていなければ論証できないという場合をいう。
例えば〈神は存在するということは聖書に書いてある。しかるに聖書は神の言葉である。ゆえに神は存在する〉という類の論証。

『岩波哲学小辞典』 岩波書店

じゅんかん‐ろんぽう【循環論法】 ‥クワン‥パフ
〔論〕(vicious circle)論点先取の虚偽の一つ。前提の真理と結論の真理とが相互に依存し合うような堂々めぐりの虚偽の論証。循環論証。悪循環。

『広辞苑 第六版』 岩波書店

◗循環論法
circular reasoning

『プログレッシブ和英中辞典(第3版)』 小学館

「統一教会」もヲタ芸(cult)であり全くの「異端」であるのです。
彼らの屁理屈は「根拠」の捏造であり「神と聖書のパラドックス」と言われる「循環論証」を露骨に形成している。
「神は存在するということは聖書に書いてある。しかるに聖書は神の言葉である。ゆえに神は存在する」
ここに統一教会の「謎解き」があったのです。

イマヌエル・カントに見る「自由の相互性」

実践理性批判
「きみの人格やいっさいの他者たちの人格のうちにある人間性を、つねに同時に目的として取りあつかい、けっしてたんに手段として取りあつかわないように行為せよ」

イマヌエル・カント「実践理性批判」

しかし「doxa」を「絶対知」(信念)と見做すことは「愚者」を意味します。

このような「山岳信仰(カトリック信仰)」へ一々敵対する「登山家(バフォメット)」の「登頂(唾付けた!)」は「愚者」の行いなのです。
そういった「登頂(唾付けた!)」は山岳の頂きに「旗」を立て自分の「人の著作権」だと言わんばかりの強硬な主張となります。

それは「神の著作権」である筈の「山岳」に「唾付けた!」と言って「人の著作権」を強硬に主張することを意味しています。
それは神への冒涜行為なのです。
「神の著作権」を冒涜した越権行為(超能力)なのです。

「登山家(バフォメット)」へ「神の雷」がきっと下るでしょう

「The Tower」(塔のタロットカード)は「バベルの塔(神の門)」を示しそれは大冒涜と大傲慢を意味している

「Death」(死神のタロットカード)は「死」を示している

そして「神の館」とは「神の著作権」を意味しています。
それは「山岳信仰(カトリック信仰)」を示しているのです。
「山岳信仰(神の館)」とは「神の著作権」を示したカトリック信仰のことを意味しています。

そして「山岳信仰(神の館)」から「ロゴス」を受肉することで叡智を得るのです。
そのような「ロゴス」によって奇跡は齎され「叡智」を得ることで「賢者」は生まれます。

この一頭の豹はそういう意味で「登山家(バフォメット)」の「登頂(唾付けた!)」とは全然違います。

何故ならばこの一頭の豹は「唯一性の存在」であり「ヲタ芸」で祀られた「登山家(バフォメット)」ではないからです。

そしてこの一頭の豹を解き明かすとすれば「山岳信仰(神の館)」による「ロゴス」の受肉であろうと考えられます。

それは「賢者」を指しています。

この一頭の豹の動機は「登山家(バフォメット)」の「登頂(唾付けた!)」ではなく「山岳信仰(神の館)」から「ロゴス」を受肉することだと言えるのです。
そしてそれは「山岳信仰(カトリック信仰)」なのです。

このような「山岳信仰(カトリック信仰)」と「登山家(バフォメット)」の構図は「芸術作品」とそれに一々敵対する「オタク芸術」の間に顕著に伺えます。

最後に一つだけ例を挙げます。

それは日本の名作アニメ「機動戦士ガンダム」シリーズです

安彦良和は名目上この作品の「監督」ではありません
しかし富野由悠季がこの作品の「監督」とされています

これは有名なパラドックスなのです。

ただこのファーストガンダムには「山岳信仰(カトリック信仰)」と「登山家(バフォメット)」の構図が明確に顕れています。

それによって黙示録(revelation)が可能となるのです。

「山岳信仰(カトリック信仰)」から「ロゴス」を受肉する一頭の豹を創作したのは安彦良和です。
安彦良和は「カトリック信仰から形成されたオリジナル」(唯一性のペルソナの確立)を制作した芸術家だったのです。
安彦良和が「賢者」の作品を創作したのです。
彼はイマーゴ(神の似姿)への信仰の人だったのです。

よってファーストガンダムを如何に富野由悠季の作品だと宣伝しても富野由悠季自身に「山岳信仰(カトリック信仰)」がない故に富野由悠季が「登山家(バフォメット)」の「登頂(唾付けた!)」でしかないことが判明してしまいます。
富野由悠季は「愚者」の作品を制作したのです。

このことの顕著なあり方を指摘すれば「機動戦士ガンダム」のニュータイプの概念に両者の違いが如実に顕れています。

安彦良和はニュータイプを「山岳信仰(カトリック信仰)」から「ロゴス」を受肉することだとしました。

しかし富野由悠季はニュータイプを「登山家(バフォメット)」の「登頂(唾付けた!)」だとしたのです。

「山岳信仰(カトリック信仰)」は安彦良和のファーストガンダムにおけるアムロ・レイとララー・スーンの関係に見ることができます。
安彦良和の「人類の革新」とは「山岳信仰(カトリック信仰)」から「ロゴス」を受肉することなのです。
「山岳信仰(カトリック信仰)」とは「神の著作権」を示しています。
あの一頭の豹は安彦良和なのです。

それは「神の領域」なのです。

このニュータイプは「賢者」としてあります。
そして「三位一体のペルソナ」となっています。
それは「カトリック信仰から形成されるオリジナル」(唯一性のペルソナの確立)です。
それはイマーゴ(神の似姿)への信仰を持っていることを示している。
何故なら「神の恵」(ロゴス)を受肉し叡智を得るからです。
それは「愛」です。
そのようなイマーゴ(神の似姿)への信仰は「白ミサ」のあり方なのです。

せいさん【聖餐】
Eucharistia; holy communion
新約聖書が伝える,イエスが十字架につけられる直前に弟子たちとともにしたパンとぶどう酒を中心とした最後の晩餐,およびのちに教会がその再現として執行してきた典礼的会食をいう。後者は特に聖餐式,感謝の祭儀と呼ばれ,キリスト教会の典礼の中心となっているが,その意義,起源,執行様式などについては時代と各教会とに従って理解にかなりの相違がある。ローマ・カトリック教会は聖餐におけるキリストの犠牲の意義を強調し,一般には聖餐に代えてミサあるいは聖体祭儀と呼び,holy communionはミサ中の聖体拝領をさす語として用いる。ギリシア正教会では聖餐を聖体礼儀という。聖書奉読,祈祷,パンとぶどう酒の奉献,その拝領などによって十字架上で死に,復活したキリストとの交わりに入ると理解することがほぼ共通している。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

せいたいはいりょう【聖体拝領】
holy communion
おもにカトリック教会用語で,ミサ聖餐においてキリストのからだとなったとされるパンとぶどう酒を食すること。キリストとの霊肉の一致と拝領者相互間の一致がもたらされる。本来ミサの主要部分の一つで,参加者全員の拝領が理想的であるが,司式者の拝領のみが義務となり,のちにはミサ以外での拝領も行われるようになった。ラテン式では司式者以外はぶどう酒を飲まない。プロテスタントでは陪餐といい,原則として,日曜日の礼拝式で,会衆がパンの形色のもとに聖餐を受ける。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

imago Dei 〔L.〕
神の似姿〔カトリック教会〕
〈91学術・キリスト教〉

『人文社会37万語対訳大辞典』 日外アソシエーツ

i・ma・go /ᶦəméɪgoU, ᶦəmáː― | ɪ―/
―n. (pl. ~es, ~s, i・ma・gi・nes /ᶦəméɪgənìːz, ᶦəmáːg―, ᶦəméɪʤə―, ᶦəmǽʤ― | ɪméɪʤᶦənìːz, ɪmǽʤ―, ɪmáːg―/)
1 〖昆虫〗 成虫, 成体 (adult) (cf. metamorphosis 2).
2 〖精神分析〗 イマーゴ, 成像, 成形 ⦅幼児期に形成されたまま保存されている愛する人(一般的には両親)の理想化された概念⦆.
〖⦅1797⦆ ՟ NL ~ ⦅特殊用法⦆ ՟ L imāgō: ⇨image〗

『新英和大辞典 第6版』 研究社

imago, pl. imagines (i‐mā′gō, i‐maj′i‐nēz)〓
[L. image].
1. 成虫(昆虫の変態の最終段階で,卵,幼虫,さなぎを経た後に完成される.成虫体).
2. =archetype (2).

『ステッドマン医学大辞典』 メジカルビュー社

archetype (ar′kĕ‐tīp)〓
[G. archetypos, pattern, model< archē, beginning+typtō, to stamp out].
1. 原型(種々の変形のもととなる原初的構造のひな型).
2. 元(原)型(Jungの心理学では,すべての人にある集合無意識の構造的単位).=imago (2).

『ステッドマン医学大辞典』 メジカルビュー社

イマーゴ
[英] imago
[独] Imago
個人が他者を把握する手段を方向づける無意識的な人物の原型。ユング(Jung CG)が概念化し,その後精神分析学で広く用いられている用語。無意識的表象ともいい,他者を知覚する際の期待やフィルターとして作用し,他者に対するわれわれの感情や行動を方向づけ,他者がどのように知覚されるかを決定し,部分的に対人関係を支配する。
(511090)

『医学書院 医学大辞典』 医学書院

álpha and oméga
1 始めと終わり:〓
▶聖書では,永遠に時を支配される意で,神またはキリストを指す. cf.〖聖書〗 Rev.1:8.
2 ⦅the alpha and omega⦆ 中心的要素,最も重要な特徴:〓
[c1384.中期英語]

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

せいれき【西暦】
Christian era
キリスト生誕の年と信じられている年を紀元とする西洋の暦。6世紀頃⇨ディオニシウス・エクシグウスによって考えられた。ヨーロッパで一般的に用いられるようになったのは9世紀以降である。キリストの生誕以前を紀元前とし,「B. C.⋯年」と記すが,B. C.とは Before Christの略。生誕以後を紀元後とし,「A. D.⋯年」と記すが,A. D.は Anno Domini(主の年)の略。(→紀年法)

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

全能者のして神なる主、現在居まし、かつても居まし、またこれから来る者が、こう言われる、「私はアルファであり、オメガである」。

岩波書店「ヨハネの黙示録 1:8」

しかし「登山家(バフォメット)」の「登頂(唾付けた!)」は富野由悠季の「機動戦士Zガンダム」の奇妙なニュータイプとなって出現します。
それはカミーユ・ビダンと彼を取り巻くニュータイプ(人の支配)と強化人間(人の支配)の「人間関係の面子」の形成となってしまいます。
そのような形成は「doxa」を「絶対知」(信念)とする超能力(大変な才能)によって可能となります。
しかしそういった超能力(大変な才能)は「非現実的な理想化」に過ぎないでしょう。
それは「ヲタ芸」により人間関係で祀られた超能力者(大変な才能)です。
「doxa」を「絶対知」(信念)とする存在が超能力者(大変な才能)として出現しますがそういった認識能力は堕落でしかないのです。

それは「三位一体のペルソナ」ではなく「人間関係の面子」であり「キャラクター」ではありません。
それは「恋愛」です。
そのような「バフォメットの偶像崇拝」は「黒ミサ」のあり方なのです。

Baph・o・met /bǽfəmèt/
—n.
バフォメット ⦅テンプル騎士団が儀式に用いたとされる偶像⦆.
[F (変形) 〈 Mahomet]

『リーダーズ・プラス』 研究社

Bláck Máss〓
1 ⦅時に b― m―⦆ 黒ミサ:特にサタン崇拝者が行う冒涜(ぼうとく)的な儀式.
2 ⦅時に b― m―⦆ 死者のためのミサ(Requiem Mass).
▶司祭が黒衣を着用することから.

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

Bláck Máss, b― m―
―n.
1 ⦅口語⦆ 黒衣のミサ⦅司祭が黒衣を着る死者のためのミサ⦆.
2 [B― M―] 黒ミサ, 悪魔のミサ(の戯文) ⦅特に, 19 世紀末の悪魔崇拝者がミサを茶化して行ったという; cf. Satanism 1⦆.
〖1893〗

『新英和大辞典 第6版』 研究社

1 悪魔主義 (diabolism), 悪魔崇拝; 悪魔的行為[傾向].
2 悪魔教, 悪魔崇拝⦅特に, 19 世紀後半のフランスで悪魔を神としてキリスト教をあざけり, その典礼を滑稽に模倣して黒ミサ (Black Mass) と称する儀式を行って神を冒涜(ぼうとく)したこと⦆.
3 悪魔派 (Satanic school) の特徴.
〖⦅1565⦆: ⇨―ism〗

『新英和大辞典 第6版』 研究社

black mass
◆noun a travesty of the Roman Catholic Mass in worship of the Devil.

『The Concise Oxford English Dictionary, Eleventh Edition』 Oxford University Press

ˌblack ˈmass
noun
a ceremony in which people worship the DEVIL

『Oxford Advanced Learner’s Dictionary, Eighth Edition』 Oxford University Press

きねんほう【紀年法】
calendar; calendar systems
国や民族の歴史を計算する際,起算の年を定めて紀元として計算する方法。西洋最古の紀元としては,新バビロニア帝国の祖⇨ナボポラッサルに始る「ナボポラッサル紀元」がある。これは,前 747年を起点としてバビロンの地に君臨したバビロニア,ペルシア,そしてアレクサンドロス3世(大王)とその後継者を通して数えられたものである。このほか「アレクサンドロス紀元」「アウグスツス紀元」,古代ギリシアには「トロイ紀元」「セレウコス紀元」,ローマには「ローマ建国紀元」などがある。キリスト教に基づくものとして「アブラハム紀元」「天地創造紀元」その他があるが,「キリスト紀元」が最も長く,影響力をもって今日にいたった。これは6世紀前半頃ローマで活躍した司祭⇨ディオニシウス・エクシグウスが『復活祭の書』のなかで「キリスト降誕紀元」を使ったのが最初といわれ,やがて9世紀のカルル1世(大帝)のときに,他の紀元に対して決定的優位を得て今日にいたった。インドでは政治的なもの,天文暦法的なもの,宗教的なものなど多数の紀元があり,たとえば「グプタ紀元」「カニシカ紀元」などがある。またイスラム圏ではイスラムの「ヘジラ紀元」(622年マホメットがメッカからメジナへ逃れた年から数える)が最も有力である。東洋諸国には王朝ごとに短期間の紀年法があり,これを⇨元号もしくは年号と呼んだ。中国では元号と干支紀年法が盛んであったが,紀元に相当するものとしては 1911年,黎元洪が革命政府を樹立したときに黄帝の即位年から数える「黄帝紀元」を採用したことがあり,これは宋代以来の著述にみられることがある。中華民国成立以降は「キリスト紀元」が用いられている。日本では『日本書紀』の神武天皇の即位年から始り,聖徳太子が,讖緯(しんい)説によって,推古天皇9(601)年から一蔀(いっぽう。 1260年)さかのぼらせて定めたものといわれるものがある。江戸時代にはかなり一般化し,明治5(1872)年明治政府は太政官布告をもって「日本紀元」と定め,翌年の2月 11日を紀元節としたが,ともに 1948年廃止された。

『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』 Britannica Japan Co., Ltd./ Encyclopaedia Britannica, Inc.

sa・ga [sáːɡə]〓
―n.
1 北欧伝説,サガ:中世の Iceland や Norway の国王,英雄などの戦績,伝説などを主題とした散文物語. cf. EDDA
2 (一般に)英雄物語,武勇談.
3 系譜小説,大河小説(saga novel):一家,一門などの数世代にわたる年譜的長編小説;roman―fleuve ともいう.
◊[文学]The Forsyte Saga『フォーサイト家物語』J. Galsworthy 作の小説(1922).
[音楽]A Saga『伝説』Sibelius の交響詩(1901).
[1709.<古ノルド語;SAW³ と同語源;古ノルド語 segja「言う」と同根で,原義は「物語」]

『ランダムハウス英和大辞典(第2版)』 小学館

宇宙世紀は紀年法に基づく「バフォメットの偶像崇拝」として存在する。
それが「サーガの概念」と「ロゴスの受肉」の違いとなって顕れている。
「サーガ」とは「doxa」を「絶対知」(信念)とする超能力者(大変な才能)が「ヲタ芸」で祀り上げることで成立する。
「安倍晋三さんのサーガ」にしてもそのような「バフォメットの偶像崇拝」が可能としたのであるでしょう。
そして「機動戦士ガンダム」の「宇宙世紀のサーガ」や「ニュータイプのサーガ」、そして「ガンダムのサーガ」にしても同様な「バフォメットの偶像崇拝」であったのです。

一方で「ロゴスの受肉」とは「álpha and oméga」によって時を支配することを示している。
それはアムロ・レイとララー・スーンのあり方に見られます。
それは山岳信仰(カトリック信仰)の「歴史」とも言えます。
そのような「歴史」は「バフォメットの偶像崇拝」を廃棄することで「カトリック信仰」の場所を確保します。
そのように信仰の場所を確保することで「歴史」は受肉するのです。
それが「歴史信仰」であり「歴史学」の誕生なのです。

純粋理性批判(第二版序文)
したがってわたくしは、信仰に余地を求めるために、知識を除去しなければならなかった。

イマヌエル・カント 純粋理性批判(第二版序文)

実践理性批判
「きみの人格やいっさいの他者たちの人格のうちにある人間性を、つねに同時に目的として取りあつかい、決してたんに手段として取りあつかわないように行為せよ」。

実践理性批判

1765-66年冬学期講義計画公告
まず悟性が形成されるが、これは、悟性が経験から直観的に判断をして、この判断を通じて概念を得ることによる。この上で、このような概念は、理性を通じて原因と結果の関係のなかで見られ、最後に学問によって、秩序ある全体のうちで見て取られるようになる。こういうわけで、指導は、これとまったく同じ道を進むべきである。教師には、自分の学生からまず悟性的人間を、ついで理性的人間を、そして最後に学者を育てることが期待されるのである。このやり方は次のような利点がある。これは普通のことだが、たとえ学生が最後の段階にまるで到達しなかったとしても、この学生は得るところがあったのであり、学校向けではないにせよ、人生に向けて前より錬れて聡明になっているはずである。

1765-66年冬学期講義計画公告

しかし「ファーストガンダム」の「続編」は「doxa」を「絶対知」(信念)として形成する「非現実的な理想化」であり「cult」となっていると見做されます。
まさに「バフォメットの偶像崇拝」なのです。
そこが「山岳信仰(カトリック信仰)」と「登山家(バフォメット)」の絶対的な違いです。

富野由悠季の「人類の革新」とは「超能力者(大変な才能)」により「人の著作権」を強硬に主張する有様なのです。

しかしそういった超能力(大変な才能)に叡智の欠片はなく、それ故にみっともない有様となってしまうのが現実です。
それは当然の如く「神の恵」(ロゴス)の受肉がないからです。
そういったみっともない有様は一言で評して「バカにしかできない行為(お笑い芸人)」となって表出します。

例えば「お兄ちゃん!」「当たれ!(そして撃墜する。)」はまさに「doxa」が「絶対知」(信念)となった「おバカなシーン」の連続なのです。

「ヲタ芸」そのものです。

結局「doxa」を「絶対知」(信念)とする「呪術崇拝」となり、そしてそのような「黒ミサ」を司った「バフォメットの偶像崇拝」がなされるのです。

又、アイドルタレントとは「山岳信仰(カトリック信仰)」としてあるのでしょうか?

それは「神の恵」(ロゴス)の受肉です。

それともアイドルタレントとは「登山家(バフォメット)」の「登頂(唾付けた!)」としてあるのでしょうか?

それは「doxa」を「絶対知」(信念)とする超能力(大変な才能)です。

あなたは「神の恵」(ロゴス)の受肉を信仰しますか?

それとも「神」へ一々敵対することで「神」を凌駕し「doxa」を「絶対知」(信念)とした超能力者(大変な才能)なのですか?

どちらですか?

あなたは「神」を凌駕したと称する超能力バカ(大変な才能)ですか?

ただロゴスの受肉は「人の超能力」(大変な才能)とは言えません。
何故ならば「神の恵」だからです。

そして「神の超能力」(大変な才能)は存在しません。
何故ならば「神」は「神」だからです。
「神」を超えた超能力(大変な才能)は存在しません。
それは「神」を凌駕する高さを誇った「バベルの塔」(神の門)を意味します。
そしてそれと同様の意味である「登山家(バフォメット)」の「登頂(唾付けた!)」となっています。

そのような「神」を凌駕したと称する超能力バカ(大変な才能)とは「黒ミサ」の領域を司った「登山家(バフォメット)」としての堕天使ルシフェルなのです。

このニュータイプは「愚者」でしかありません。
何故なら「doxa」を「絶対知」(信念)とする「愚者」だからです。

このように「一頭の豹」はニュータイプ(神の恵)であって、「ヲタ芸」で祀られ「神」を凌駕した超能力者(大変な才能)だと主張するニュータイプ(人の支配)とは違うのです。

「人の支配」とは「黒ミサ」の領域を司った「登山家(バフォメット)」としての堕天使ルシフェルのことなのです。

ニュータープ(神の恵)と強化人間(人の支配)の違いもそこにあります。
しかし富野由悠季は「山岳信仰(カトリック信仰)」を持っていない故にニュータイプ(神の恵)へ一々敵対する「黒ミサ」の領域を司った「登山家(バフォメット)」である堕天使ルシフェルを「人類の革新」としてしまいます。
よって富野由悠季は安彦良和のニュータイプ(神の恵)へ一々敵対するだけでそれを理解すらできない「お猿さん」に見えるのです。
ただニュータイプ(神の恵)を理解できる「一匹のお猿さん」(一頭の豹)が居れば富野由悠季は「猿」よりも劣ると言えるでしょう。

先程も指摘しましたがニュータイプ(神の恵)と「ヲタ芸」で祀られ「神」を凌駕した超能力者(大変な才能)だと主張するニュータイプ(人の支配)とは全く異なります。
富野由悠季のニュータイプ(人の支配)も富野由悠季の強化人間(人の支配)も安彦良和のニュータイプ(神の恵)に程遠いバカな存在なのです。

そして安彦良和は芸術作品(神の著作権)を創作し、富野由悠季はオタク芸術(人の著作権)を制作している。

安彦良和は「山岳信仰(カトリック信仰)」を持つ故に「善き羊飼い」の「白ミサ」を行います。
それは「神の恵」(ロゴス)を齎します。
本当のカッコ良さを持った存在なのです。

一方でみっともない有様なのは富野由悠季なのです。
ただこの作品の名目上の監督は富野由悠季なのでそれでカッコつけていられる。
しかしそれは「登山家(バフォメット)」であり「登頂(唾付けた!)」をすることで「堕天使ルシフェル」が司った「黒ミサ」の有様となっているだけです。
それは「黒ミサ」を司った「人の支配」であり「人の統治」なのです。
それが「バフォメット」に象徴されています。

最後に・・・

アーネスト・ヘミングウェイ「キリマンジャロの雪」の一頭の豹とは「山岳信仰(神の館)」だと言えます。
そして一頭の豹は安彦良和のニュータイプ(神の恵)だと言えます。
一頭の豹は「山岳信仰(カトリック信仰)」を示していたのです。

「The Hanged Man」(吊るされた男のタロットカード)は「逆転」は「逆転」を示している

バフォメットに於いて「逆転」は「正転」とされ、「正転」は「逆転」とされる。

しかし「The Hanged Man」(吊るされた男のタロットカード)に於いて「逆転」は「逆転」とされ、「正転」は「正転」とされる。

「The Hanged Man」(吊るされた男のタロットカード)は「カトリックロゴス感覚」となっているのです。
このように「The Hanged Man」(吊るされた男)は「逆転」のマジックへの批判のあり方を示している。

「The Fool」(愚者のタロットカード)は「叡智」のあり方を示している

「愚者」を「無知」とするならソクラテスの示した「無知の知」に最も近い存在であるのです。
そしてイマヌエル・カントの言う「知の廃棄」へ最も近い存在でもある。
それは「カトリック信仰」へ最も近い存在であることを示し最高善の「叡智(ロゴス)」の存在と言えます。

これは「善き羊飼い」のあり方と同様のメシア再来の兆しです。

一方で最高悪な「愚者」であるかもしれない。
何故ならば「知の鵜呑み」から「doxa」を「絶対知」(信念)とした「知者」となるからです。
そういったあり方は「ロゴス」の受肉しない「絶対知(doxa)」により治療行為をする「医師」や「政治家」を想起させます。
それはナチスドイツがあまりにも有名でしょう。
ヨーゼフ・ゲッペルスと同様に最後は最も愚かな「無知」となるからです。
「私は知らなかった。故に責任(社会的責任)がない。」と最高責任者が主張する訳です。
これは「堕天使ルシフェル」のあり方なのです。

このような人間世界の特殊詐欺へ「神の雷」がきっと下るでしょう。

参考資料01

「旧約聖書 出エジプト記」に於いて山岳信仰(カトリック信仰)が明確に見られる。
「シナイ山における神の到来」
「十戒」
「契約の書」

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