見出し画像

ボストンで勉強したこと 9

我々が久司インスティチュートで学んでいた1980年の春から夏にかけて、日本からの留学生は他にはいませんでした。ボストンでの熱気とは対照的に、日本においてはマクロビオティック自体が当時はまったくメジャーではなくて、どちらかというと「古臭い」と思われていた時代で、世の中は とにかく景気が良くて、いわゆる「右肩上がり」の時代でした。食べることに関しては、からだにいいとか悪いとかより、おいしけりゃいい、安くて 手軽に食べられたらなおいいという価値観、そして若者の海外旅行先としてはアメリカ西海岸が大人気でした。浅井慎平さんの写真集や、鈴木英人さんのイラストが若者たちの「アメリカに行きたい!」という気持ちを駆り立て、雑誌「ポパイ」が特集を組めばU.C.L.A. の広大なキャンパスに憧れ、L.A.のパームツリーのそびえる大通りをローラースケートで駆け抜けるのがおしゃれに思えた時代…カフェテラスで夕日に染まりながらクラブハウスサンドイッチや、何段にも重なったハンバーガーにかぶりつくのがアメリカを経験するということの象徴だったと思います。 

我々も日本を飛び立って、最初にアメリカの土を踏んだのはL.A.です。そこにもマクロビオティックセンターがあったので泊まらせてもらいました。その後もサンフランシスコのマクロビオティックを実践するおうちにホームステイさせてもらい、そこからはグレイハウンドでボストンをめざしながら途中休憩して、少しは観光めいたこともするつもりでしたが、バスに乗っている限りホテルに泊まらなくていいし、お金も節約できていいなということで結局コロラド州のデンバーの知人宅に数日お世話になった後は、グレイハウンドに三日間乗りっぱなしでボストンまで行きました。若かったからできたことです。ずーーっと毎日毎日バスに乗っているというのは、体力がないとできないことで、朝昼晩と夜中に、トイレと食事のためにバスが止まるのですが、夜中でもアメリカ人は高齢なかたもハンバーガーをぺろっと食べていて、あれにはほんとびっくりしました。わたしなどは、よろよろとトイレに行くのが精一杯でした。 

アメリカに着いてから泊めていただいた方々のおうちには、突然訪問したわけではなく、日本にいた時に紹介されていて、事前に手紙を書き送って滞在させてもらえるかどうかを確認して、条件などもお聞きして、返事をもらって承諾を得ていました。いくらフランクなアメリカ人でも、いきなり泊めてくれと見知らぬ外国人に押しかけられるのは、迷惑だろうと思います。 

日本からの留学生は他にはいなかったけれど、ボストンでマクロビオティックの仕事をしている日本人は数人いました。鍼灸師や調理師で、それぞれ アメリカに骨を埋める覚悟のようでした。

その中のお一人で、若いアメリカ人たちに道場のようなスタイルで和食の伝統を教えておられて、レストランも数軒経営なさっていた方がおられて、夫のことをすごく気に入ってくださったようでした。ご自宅にたびたび招待してくださって、ご馳走もしてくれました。口には出さなかったけれど「君たち、ここに残っていっしょにやろうよ」的な空気を感じないでもなかったのですが、わたし個人としては本来の目的、画家のはしくれとして芸術の都 パリに行って、しばらく暮らしてみたいという夢もあったので、さて夫は どうするつもりなんだろうと観察していましたが、彼もボストンで旅を終える気はなさそうだったので、一安心。

久司さんの元でスタッフとして働くことも、お世話になったかたの自然食レストランを手伝うことも、ちらと頭をかすめはしたけれど、それはどうやら我々の未来予想図に書かれていないプランだなと わかってしまったのでした。

そうするには、我々の自我は強すぎたんだと思います。 

ボストンでマクロビオティックが日本とは少し違うニュアンスで、明るく、力強く、おしゃれと言ってもいいくらいのイメージで、人々の日常生活の中に浸透している様を実際目でみて肌で感じて、そうか…日本に帰ったら、こんな感じで、我々なりの新たなムーヴメントを起こせるかもしれないと思えたことは収穫でした。

強い憧れのようなものから出発して、勢いでボストンまで来てしまって、そこで約三ヶ月じっくりと勉強して向き合って、いろんな人たちに出会って、いろいろ感じて、うん、これでよし、我々はボストンを卒業して旅を続けようと自然に思えたことはラッキーなことでした。

そして、そうさせてくれた環境すべてに感謝です。

結婚して、さあ、これから、こどもでも作って安定して暮らしてくれるんだろうと期待していたであろう双方の両親に「玄米菜食の勉強したいから、仕事も辞めて世界一周してきます」とさらっと告げて驚かせたこと、本当に、あの時はごめんなさいと今なら思います。四人とも、もうとっくにお墓の中ですが、よくもまあ、あんな願いをあの時代の価値観を持つ親たちが快く 許してくれたものです。こんなこと言ったら、四人ともお墓の中でひっくり返るでしょうけど、今のわたしなら、こどもたちがそんなことを言い出したら、絶対に猛反対すると思います。 




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?