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リクルート卒業。卒業検討期間0日。新しい生き方への挑戦。

2020年6月30日(火)を以て、
新卒から4年3か月勤めた株式会社リクルートキャリアを卒業しました。
本当に素敵な人との出会い、身の丈以上の挑戦機会を与えてくれた
とっても大切で、今の私をつくってくれた期間でした。
ありがとうございました!今までも、今も、これからもリクルート大好き!

こういう「卒業」についての記事、書いてみたかった…笑
でも実際に書くとなると、寂しい気持ちとわくわくする気持ちと複雑だなー
ただ、リクルートや出会った方への感謝を込めて、
切り替えてこれからに向けていけるように、長いけど書いていきます。
読んでくださる方は、これは短編小説だ。くらいの気持ちでお願いしますw

リクルートキャリアでの、変わりものな職歴

リクルートキャリアでは、とても特殊な歩みをしてきて、
感謝してもしきれないですが2019年あたりからは、
プロジェクトベースの働き方で社内でパラレルキャリアしているみたいw
自分の異動も多いですが、上司も同時に2人いたり変わったりで
4年3か月の期間で12名の直属上司のみなさんにお世話になっていました…!

2016年4月 リクルートキャリア入社 
      福岡に配属され、新卒採用の広告事業の法人営業担当
2017年4月 【拠点異動】首都圏へ。同じく法人営業担当。
2018年4月 【職種変更】同事業領域の営業企画
      営業戦略モニタリング/社員向けスキル研修など担当
2018年10月  【部署異動】組織開発推進部へ。
      引き続き社員向け研修/表彰設計/新人育成企画
      部署の役割と別に、事業の中期戦略検討議論の手伝い
2019年4月 【一部職種変更】事業企画。組織開発は兼務。
      中長期戦略実現のための新サービス開発。
      組織開発では新人育成企画をメインに、
      組織状態把握と一部インナーコミュニケーション接続
2020年6月  卒業

リクルートキャリアとの出会い

「リクルートっぽいねー」
この言葉、学生時代に何百回聞いたんだろう・・・笑
大学生になると、社会に出て大人の人と一緒に活動できる機会が増え、
1年生の時から国際機関で働く人やビジネスしている人など
よくわからないくらい沢山の方と出会った。
でも、どこに行っても、必ず大人から言われるこの言葉。
「リクルートっぽい」
リクルートのことは知らなくて嫌いとかではなかったけど、
自分を決めつけられたみたいで、ちょっと嫌だったw
だから「絶対リクルートになんか入らないぞ><」と1年生から思ってたw

実際にリクルートで働いている社員にお会いしたのは、2年生のころ。
わたしが友人とやっていた活動について聞きたいとのことで
誰かの紹介でお会いした。
内容はほとんど覚えていないけど、なんか深い話をして最後は泣いていたw
「私のことこんなに真剣に聞いてくれるんだ」という体験をした
という記憶だけは残ってる。
(ちなみにその方とはありがたいことに今でも交流がありますー♪)

そして3年生。
周囲が就活モードになって、私はプライドの塊だったので
インターンに応募しまくり面接しまくりの人生を過ごした笑笑
本当にギラギラしてたなー、、思い出すだけで疲れるw
応募したインターンの中の1つが、リクルートキャリア主催のもの。
GLIPという、ベトナムで2週間ビジネス体験をするインターンシップ。
ここでは何回か面接をしたんだけど、やっぱり泣かされたwww
ハラスメントで泣かされたのではなく笑
目の前の社員の「本気さ」に、勝手に涙が出た感じ。

実際に参加したこの経験は、今の私を確実に作っていて、
ここで出会った本気で向き合う社員のかっこよさや、
ここで学んだ「心の在り方」は、
もともとすぐ内省する私に拍車をかけ、
「自分とは」「人間の力とは」「生きるとは」という問いを持ち帰らせた。

そのあとも複数インターンシップに参加したが、
なぜかリクルート(ライフスタイルなど、他カンパニー含めて)のものは
必ず途中で泣いていた笑
なんか知らないけど、本気だったから。笑笑

イケてそうな選択と等身大の選択。

就職活動が本格化すると、私は外資系の企業ばかりに応募をした。
私は中学生くらいの頃から、洋楽をきっかけに海外LOVEになり、
英語だけ得意になり、成長してもそこを褒められることが多く、
自分にとっての糧になっていたので、活かしたいと思っていた。
あと、なんかかっこいいし、みんなにすごいって言われそうだったし笑

いくつかの外資系の企業にご縁があって、
内定式まで時間があるので一旦就活を辞め、長期インターンを始めた。
その中の1つが、crazy weddingで有名な株式会社CRAZY。
そこでは、自分の想いや生い立ちに向き合う日常があった。

―――
話が少し変わるが、私の志は、大学2年の頃からほとんど変わっていない。
きっかけは大好きなおじいちゃんの死に立ち会ったこと。
その時、「人は本当に死ぬんだ。。私はどう死ぬんだろう」と疑問に思い、
それまでの自分が、親や他人軸で意思決定をしてきたことに気づいた。

「他人軸で人生を歩んでたら、なんか人のせいにして死んでいきそう…orz
いやだ。私は、自分で決めたことだからオールオッケー!って死にたい」
と思った。

そこからは、人はどうやって自分自身の想いに気づくのか、
どうやって意思決定するのか、どうやって志で生きれるのか。
ということを探究し続けた。人に会ったり本で読んだり、実践してみたり。
U理論、NVC、NLP、コーチング、文化人類学、、、狂気の好奇心w

どんなことがあっても自分の人生を歩み続けるには、
意思決定の正しさじゃなくて、他でもない自分の心の奥底から決められた時
自分で決めれば、自分で変われると思えば、人生自由だ。
そんな人を増やしたい。私自身そうでありたい。
・・・これが自分の中の確信だった。
―――
CRAZYでインターンしている期間に、
こんな想いを持ちながら、繋がりのない外資に入社を決めようとしている自分に徐々に気づき始め、承諾を辞めた。
あー、給料高かったし海外行けるしで最高だったのにな笑

そしてリクルートキャリアの人たちに会う中で
他の道とも迷いながら、
最後自分が自分で分からなすぎて、1人で海に行き頭を殻にしてから、
決めた。

1年目
天神?東京にそんな場所あった?予想外の配属。盲目的な営業。

これからリクルートキャリアでの4年3か月について、書きます。
一旦全体像として、ざっくりこんなグラフ作りました笑
参考までに笑

モチベーショングラフ

***
待ちに待った社会人1年目!
リクルートキャリアに入社すると決めてから、
憧れの海外就職の体験がしたく、ベトナムのiconicで働かせて頂いた私は
ホーチミンで配属のメールを受け取った。

勤務先:天神

え?東京にそんなとこあったっけ?
福岡県?え!?行ったことないし、引っ越すの?え?!とパニック。
ベトナムからの帰国後すぐに福岡に行って引っ越しすることに。
初めての福岡。初めての仕事。初めての1人暮らし。初めての仲間。
もう訳が分からないww

私の最初の上司は、今でも尊敬するキングダムの桓騎みたいな親分w
見た目怖すぎる・・・(´;ω;`)
けど、本当に人のことを見ていて、とってもコミットして関わってくれて
謎の安心感がある人だった笑

研修が終わり、テレアポから早速営業スタート。
自分1人でアポ取って、自分1人でアポ行って、何か喋って帰ってくる。
訳分からないけど、高揚感があった。
そしてテレアポ電話開始してから数えて4日目。ご発注頂いた!!
正直このスピードはたぶん異常?で、しかも特殊な商品のご発注。
私も「???」な状態のまま、拠点のみなさんや同期、知らない企画の人も
みんな総出でお祝いしてくれ、更に「??!?!?」な状態に。

それからというもの、
自分はまだ何もできないのに、評価だけ上がってとっても緊張していた。
「達成しないと死ぬ…」そういう想いで
かっこいい先輩たちにおんぶにだっこで相談させてもらいながら、
月末「未達かも・・・」と真っ青になりながら、必死になってやって
最終日ギリギリに達成する。
というサイクルを繰り返し、4月から何とか達成し続けた。

半期が過ぎて10月。
ふと、「お客さんは営業を選べない。私だからこその価値を提供できてるんだろうか?というか、私らしい営業って何だろうか?」と思い立ち止まる。
それまで新規営業だけだったが、先輩のお客様も一気に引き継いで
期待に応えるために必死、目が開いている時はずっと仕事のこと考えていて
でも心のどこかにさっきの想いがあり、変な感覚だった。

そして11月に初めて目標未達。オフィスで大泣き。
何かが崩れたみたいになり、1月まで迷走期。
行動はするんだけど心ここにあらずって感じだった。

でも、あるお客様との出会いと失敗をきっかけに
視点が、自分からお客様に移っていって
気づいたら、2月には気持ちも結果も戻ってきた。
結局、お客さんの役に立ててる、必要とされてる
っていう状態が一番嬉しいんだな。

身体が動かない…何事も限界はあると身をもって知った日

3月に「東京異動」の内示がされてから1週間後くらい。
起きれない、力が入らない、頭が動かない、熱が出る。という状態に。
やりたいことがあるのに体が動かない。
そんな自分にイライラしたり涙したりの1週間を過ごした。
周りの人も、そんな私に、「メンタルなんじゃない?」と声をかけてきて
精神科に行ってみた。
何でも気合があれば乗り越えられるんだから、精神病なんて最悪だ!って
行くのは絶対いやだったけど、行ってみた。

受診すると先生は、「うーん、鬱ってわけではないけどどうする?一旦血液検査してみていい?」とのこと。
精神科で血液検査?!とよくわからなかったけど、言われるままに検査。
すると、「君、よく立ってるね。甲状腺の数値が異常だよ。橋本病だ。」
と言われた。
橋本病とは、甲状腺ホルモンが足りず代謝が落ち免疫が落ちる病気。
https://www.ito-hospital.jp/02_thyroid_disease/02_5_1about_hashimoto.html
女性に多く、バセドウ病も含めると3割くらいの発症率みたい。

橋本病は、代謝が落ちる病気なので、
身体の力が入らず、脳も働かず、やる気も落ちるので、鬱と間違われやすい
ただ、ホルモンを補う薬を毎日飲んでいれば普通と変わらなく生活できる。

今でこそ大丈夫だけど、その時はパニック。
これまで体育会系で身体は丈夫、若いし働き盛り!!と思ってたのに、
私が病気!?しかも慢性的なもので完治するか不明?!
ショックすぎて目が回った。
けど、一番仲がいい先輩同僚女子2人に支えてもらって向き合って、
なんとか仕事はやり続けられた。
拠点のみなさんには本当にご迷惑おかけしたけど、あきらめず向き合っていただいて、そのおかげで立っていられた。感謝でいっぱい。
最後まで一緒にやらせて頂いたお客様にも感謝でいっぱい。今も定期的にご挨拶させて頂ける関係になれた。

この経験は、
「無理して我慢しても乗り越えられないものもある。」
「無理をすると、必ず後で反動がくる」
「無限のエネルギーはなくて、キャパシティは存在する」
そんな当たり前そうだけど気づいていなかったことを体感した
私にとってのターニングポイントだった。

2年目
提供価値と、存在価値がごっちゃになった暗黒期

甲状腺ホルモンを補いはじめ、数値が戻りつつあるが、
まだ正常値にまで戻ってきていない4月。東京で新しい部署に入った。
ホルモンが安定しきっていなかったので、
新しい場所で頑張って働きたい気持ちがあるのに、仕事は制限された。
帰宅時間も18時、営業なのに目標数字がない。

勝手に自己嫌悪した。
みんなこんな頑張って働いているのに、私は目標を持たないでいる。
こんな価値のない状態で、会社の席に座るのが申し訳ない。。。
私でもできることを見つけ、提案してやるけど、どれも足りない気がした
同じグループの方に仕事や目標をもってもらって、申し訳なさすぎた。
でも、本気でそう思って、新しい部署の人たちと仲良くなりたかったのに
勝手に身を隠し、勝手に壁を作った。
上司や先輩にどう思われてるだろう、と人の目を気にした。

そして7月、やっと目標をもらって、お客様も担当させて頂いた。
本当に嬉しかった。やっと一歩だ、と思った。
けど、結果が思うように出せなかった。
頑張ろうと思うほど空回りした。
ここで書けないけどいろんなことがあって、同期も休職に入り、
気づけば自分で自分の殻にこもってしまった。

ちょっと逸れるが、Googleのプロジェクトアリストテレスで
心理的安全性がパフォーマンス最大化する、という実験結果がバズったけど
本当にそう。
「自分はここにいても大丈夫」という感覚を忘れていると、
人間はどうにか生きるために自己防衛に向かう。
そうすると、自分の世界に入っていって、人が言っていることが本当の意味で聞こえなくなる。
情けないけど、本当にこんな感じだった。

あの時の記憶はほぼ無くなっちゃってるけど、
顔は土色(笑)で、声が出なくなって、食べたいものさえ分からなくなって
それでも這って営業し続けるゾンビ状態(笑)

これはやばいと思い、必死で社外の信頼できる大先輩に
「わたしの強みは何ですか?」「伸びしろはどこですか?」と聞きまくった
同時期、1人でニュージーランドにバックパック。
川辺に1人で座って自然を感じていると、ふと気づいた。

「わたしは生きてるだけでいいんだ。
こんなに期待してくれている人が沢山いた。その人たちの声を受け取っていなかったのは私だったんだ。
私は今、提供価値(結果)が出ていない。
けどそうであっても
私の存在価値(生きてここにいること)は下がらない。変わらないんだ」

帰国してからは、もとの自分を取り戻した感じだった。
完全復活にはほど遠かったけど。
すぐとは言わないけど、自分の視野が広がっていって、現実がそのまま見え
お客様と楽しく向き合えるように変わっていって、
お客様に「神原さんに任せる」という言葉を頂ける場面も生まれた。
本当に、嬉しかった。

この時期を通して学んだのは、
誰かが私を幸せにしてくれるということはあり得ないということ。
けど、自分が変わると決めたら、人はいつからでもやり直せるということ。
私の在り方は周りに伝播するということ。だから幸せであればいいこと。

暗黒期の話、テンション低すぎて申し訳ないんだけど、
この先からはずっとテンション高いです笑

3年目
企画として白紙からの挑戦。発信と吸収。手放し。

法人営業として2年間が経とうとしたとき。
「営業企画」という内示があった。

やっと営業という仕事を知っていき始めたというタイミングでの職種変更
3年目なのに1年目に戻ったような感じで、正直めっちゃ焦った。
でも、切り替えは割と早くて
「1年で3年分成長するんだ。2年目の経験を糧にして信頼取り戻すんだ」
と心に決めた。

初めての仕事、初めての言葉、初めての仕事のお作法に
最初からとにかく失敗の嵐…!
特に細かいミスが何度チェックしても何度チェックしてもなくならない。
ここまで注意してるはずができない自分がもはや怖かった笑

でも今回は違った。間違いやミスを繰り返してしんどかったけど、
先輩や上司や、斜めの上司に聞きまくって、時間もらいまくり、
勝手にTeamsで自分用のチャンネルを作り、学びや考えを発信し続けた。
営業時代を通して、周りの人に学ぶことの重要性を痛いほど思い知ったから

先輩も、できそこないの私に嫌気がさしてたと思う。というかさしてた。
けど、助けを求めればどんな人も絶対に見捨てず応えて下さった。
それは営業の時も同じで、リクルート社員の大好きなところ。
本当にありがとうございます。

こうして、
自分の現在地を発信しながら人に教えていただくことを繰り返していると、
周りの人が私の個性、強みの種、課題点を認識してくださるようになった。
個性を活かそうとしてくれた。感謝。

そのころ社外では、コーチングをし合う仲間と定期的に活動をしていた。
忙しく目の前の仕事をする日々の中に、
自分自身と向き合う時間が定期的に入るようになると、
入社の時に持っていた自分の想いを思い出してくるようになった。
「そうだ。私は心から、人や組織に関わることに喜びを感じるんだ。」
こんなことを思い出してから1週間後、当時の上司にお願いした。
「下半期は、人組織系のお仕事に寄せさせてください」
本当は、それまでやっていた営業数字のモニタリングはとっても勉強になるし部長とお仕事できて楽しいし手放すのはもったいないと思っていた。
けど、思い切って人組織に振り切ろうと思った。
上司は、その想いを尊重して仕事を創ってくれた。
(私がモニタリングそんな向いていないことも分かってくれてたからかもw)

その間もなく、当時の役員の方に声をかけられ、長くお話する機会を頂いた
これが私のリクルート人生の転機になったと思う。
いつも通り、今何を課題に感じているか、どういう想いで働いているのか
これから何をしていきたいか、洗いざらい話した。
同時に、役員の方が何を考えていらっしゃるのかという話を言ってくださったので、相変わらず立場もわきまえずに意見を言いまくった笑
(こんな社会も仕事も分からないひよっこがピーピー喚いても、
ちゃんと1人の人間として意見を聞いてくださるなんて、尊敬でしかない)

その日を境に、
自分の組織役割の仕事以外に、役員の方のお仕事を手伝わせて頂くように。
そんなに得意でもないけど成長できる、としがみついていた仕事を手放してから、急に興味のあることや比較的向いてそうな仕事が回ってくるようになった。不思議な感覚だった。

「信じて任せる」を心で感じた日。原動力に変化が。

こうして3年目の下半期には、
気づいたら目の前の仕事は、全て自分が本当にやりたいことになっていた。

また、役員の方とお仕事をするときに、
「え、こんな大事な仕事を私に?」と思う案件を、
「え、こんなに自由にしていいの?」という任せ方でいてくれて、
何かあっても守って下さった。
私が私を信じる以上に、私のことを信じ期待してくれたということを
肌で感じる日々を繰り返し、水を得た魚みたいに自由に働いた笑

そうやって自分に我慢がない状態。自分に嘘がない状態。
こうなると、どうなるか?
私の場合、「感謝」がムクムクと生まれてきた。
だって、今私がこんな状態でいられるのは、周りの人がいてくれるからだから。私ができないことを圧倒的にできる方がいる。私が好きにしていても一緒に働いてくれる。そして、任せてくれる。

これまでの私はがむしゃらで、
価値を高めないといけない。そのために成長しないといけない。
こんな想いがエネルギーの原動力だった気がする。
そうそう、営業企画になったときの「3年分成長しないと!」という決めに表れているかもしれないけど笑

そのエネルギーの源泉が、感謝に変わると、本当に違った。
仕事も、自分の先の相手、その先の人のことを想像して動くようになるし、
そもそも働いていても「頑張らなきゃ」と無理する感じじゃなくて、
「喜んでほしいな」とわくわくしながらできる感じ。

能力とかはもちろん周りの方の足元にも及ばないのはわかっていたけど、
でもなんとなく、周りの人から信頼していただけるようになったような気がした。(そうであったらいいな・・・!笑)

4年目
できることからやりきる。答えのない中で進めていく喜び。

4年目の4月には、事業企画になった。
これは、前年のお仕事を踏まえてできた役割で、
これまで個人で動いてきたものを推進するために組織化したもの。
働き方も大きく変わった。

自部署で決まった仕事をするのではなく、
営業、企画、法務、制作、エンジニアなど、複数の部署と協働しながらHUBになってプロジェクトを作り、推進する。そんな役割。
常に複数のプロジェクトが存在して、それぞれのチームと働く。

プロジェクトマネジメントもしたことないし、
サービス開発もしたことないし、
しかも会社としても新しいタイプの組織だったので、
また1から覚えていく感じに笑
みんなの言っている言葉が分からない状態に逆戻り笑
でもやっぱりだからこそ楽しくて、先が見えなくて自分ができないからこそ必死になれた。
そして複数のプロジェクトであるおかげで、多様な立場で思いを持って働く社員の方に出会えて、リクルートがより一層大好きになった。

それと並行して、新卒新入社員の育成企画も担当した。
希望し続け、「絶対やらせてください!」と言い続けた仕事。
これも部長、マネジャーと5人でプロジェクトを組み、1年間の育成計画や営業計画、OJTやOFF-JTの企画運営など、何から何まで。
人生で1回しかない社会人1年目という期間を、
1人1人にとって忘れられない時間にしたい。1年を通して、自分で誇ることができるような、記録ではなく記憶に残る仕事をしてほしい。
という勝手な想いで始めた。

正直物理的にも精神的にもたいへんでプレッシャーも大きかったけど、
新人のみんなの変化を見たり、悩みながらも前に進もうとするのを見たりしていくことで走り続けられた。
そして、新人育成チームの部長・マネジャーのみなさんの生きざま?がとってもかっこよくて、頼もしくて、おもろくて、大変だけど充実していた。

ふと力が抜ける。自己信頼を感じた日。オランダとの出会いと決断。

こうして事業企画と、新人育成(組織開発)の役割で
日々できることをとにかくやって、一歩一歩進めていた時。
ふっと力が抜けて、
よくわからないんだけど「あ、何があっても大丈夫だ」と思えた瞬間があった。
よくスポーツ選手が根拠のない自信を持っているんですよ。とコメントするのを聞いたことがあるようなないような、だけど、
そんな感覚で、自分で自分を信頼できている感覚がした。

別にスキルが一気にあがったとか、目に見えた成果が出た、とか
そういうことがきっかけだったわけではないんだけど、急に来た感覚。

そんな時、11月に長期休暇のタイミングがあったので、オランダ視察に参加することにした。学生時代からお世話になっていた社長がコーディネートしてくださり、オランダのティール組織の企業6社と、小学校3校に訪問。
行く先々でそこで働くオランダ人と意見交換。
そんな1週間を過ごした最終日に、ふと、
「わたしが目指していた社会って、これだわ。ここでオランダ人と生きて体得して、日本に持ち帰りたい」と直観がうずく。
この一瞬で、私はオランダに住むことを決めた・・・笑

決めた、というより「決まった」という感覚の方が近くて、
何かを天秤にかけて検討することもなく、導かれるように決まった。

そしてオランダから帰国した翌日の出勤日に、
マネジャーに卒業しますと伝え、お世話になった役員に直接ご挨拶するため飲みにお誘いした。

今思うと、ほんとやばいやつだなと思う…
ただ、本当にタイミングだなと思って、
●今の仕事以上に私にとって最高なものはないな、と思っていた
●自己信頼が生まれてきていた
●社内外に信頼できる人が増えてきていた
こんな状態だったので、
大学2年からずっと持っていた「自分らしく生きる、を増やしたい」
という想いに重なる生き方をするオランダに会って、
ぽんっと踏み出せたんだと思う。

5年目
日に日に感謝が溢れる日々。終わりと始まり。

辞めると決めたのは11月だったけど、上司と相談して卒業は6月末にした。
なので、ゆっくりじっくり噛みしめて仕事ができたと思う。

後悔のないように、何ができるか、
そう考えて動くことができたし、出会った人との繋がりをこれからも続けていけるようにと考えることもできたし、辞めるまで時間が十分にあって感謝

最終出社日まで、しっかり仕事を任せてくださった上司やみなさんにも感謝

あーーー、
正直、辞めると決めてから「やっぱリクルート残る!」という気持ちは
20回以上は出てきてた笑
離れると思うと、今あるものの尊さに気づくもので、
やっぱりリクルートで働く人はかっこいいし、信頼できるし、尊敬する。

でもだからこそ、後悔しない選択にしていかなきゃな、と思う。


有給消化中に起こった変化。仲間の存在に気づかされた1か月。

人間らしく、生きる。Purpose

5月22日に最終出社日を迎え、5月25日からは有給消化期間に入った。
もともとの計画では6月1週目にオランダ移住だったけど、
みなさんご存じコロナ。

あたらめて自分と向き合い、考え、沢山の人に話を聞いてもらい、寝る笑
そんなことを繰り返す中で、
とりあえずオランダ行って、得たことをもとに事業・サービスにしよう
という考えから、
オランダ行くの待たずに今から事業・サービス作ってみよう。
その事業の価値を高めるために、オランダ、日本を行き来して生きよう。
こんな風に考えが変わった。

正直なところ、収入はほぼ無くなるし、
事業領域もマネタイズが難しい領域だし、
未知すぎることによるビジネスの不安に加えライフイベントも不安だし、
わりとビビりまくってるんだけど、
でも「挑戦しよう」と思えているのは、間違いなく仲間の存在。

私のわけの分からない想いだけのプレゼンを聞いて、
「一緒にやろう」と言ってくださって、カタチにしていってくれて、
めちゃくちゃ勇気をもらう。

リクルートの時と一緒で、
こうやって信じてくれ、やりたいことに向けるよう支援してくれる人がいると、感謝が生まれ、そのおかげで頑張れる。
あー困った。一生頑張れちゃうかもしれない笑

まあでも、無理せず我慢せず、でもやると決めたらやる。
というバランスを自分でコントロールしながら、1日を生きようと思う。

産まれたサービスの卵。これから。

「カラフルなワタシを愛する」
自分の中にある多面性、どんな自分でも愛する。
自分で自分を愛せば、人の多面性も愛せる。
そうやってまるっと愛せれば、自分らしい選択で人生を歩める。
こんな想いでいくつか活動を始めました。

①Family Dialogue
結婚、出産などの節目や、毎年定期的に、
家族の歩みを振り返り、未来について対話する。その対話を絵(グラフィックレコーディング)にして味わうサービスです。

②ある地域でのプロジェクト
ある地域に関わらせて頂き、オランダのように、子どもも大人も「1人の人間として」関わりあえるような場・繋がりを作るために、学校、行政など様々な人と協力していくプロジェクトが発足しそうです。

興味がある方いらしたら、サービス体験していただいてもいいし、普通にお話させてもらってもいいし、一緒に活動していただくのも大歓迎なので、
一緒にやりましょう^^

4年3か月を通して思う、わたしらしさ。


こうやって振り返ってみて、オーガニックな私ってどんなだろうと思い書いてみます。オーガニックというのは、「頑張らなくても勝手にそうなる」という意味で書きました。持続的に生きるために、オーガニックな自分を大切にしたいから。

画像3

★ 在り方/ 
こうだと思ったことを「実際にやってみている」
  誰かが答えを持っているものはそもそもつまらない。
  本当にそうなのか分からないものに対して、実際に試してみたい。
  人生を通してまだ知らないことを実験したい。

★ 特性/  
  想いや感情が強い。
  自分も他人も含め、可能性を見つけたい。活かしたい。
  ものごとの仕組みや、人の奥底にある想いを発見し、繋がりを見出す。
※ストレングスファインダーはこんなんw
1)社交性 2)戦略性 3)着想 4)収集 5)ポジティブ

★ コントロールしたいこと/
  自然に触れる時間を意識的に作ること
  怒りとか悲しみとかの感情を抱いたら、その場ですぐ消化すること
  自分でできる範囲ではなく人の力を借りることで可能性を広げること

私がリクルートに感謝したいこと。

とにかく沢山ある。
だけど、あえて3つに絞ります。

① 期待し続けて下さったこと。
これまでの話で沢山書きましたが、私みたいなポンコツでも、ずっとずっと期待し続けて下さった。本当に懐の大きい組織だなと思います。私の身の丈以上の、でも不可能ではないところに対して仕事を下さり、支援はしすぎず求めれば必ず応えてくれる。愛のある人たちに恵まれました。

② 「らしさ」に向き合ってくださったこと。
私みたいな凹凸の激しい人間だったら、きっと普通の企業だったら減点されまくっていたでしょう。。。でも、人の可能性を信じ続けるリクルートでは、何かがうまくいったときは「どんな私らしさが生きたのか」を一緒に考えてくれ、うまくいかないときは「わたしらしく乗り越えるにはどうしたらいいのか」を一緒に考えてくれる。おかげでのびのび変わった人間のまま成長させて頂きました笑

③ 求めれば誰でもどんな時でもフィードバックを下さったこと。
リクルートの方は、現役の人も元リクルートの方もみなさん、人の「変わりたい」「●●のためにこうしたい」という思いがあれば、どんな時でも助けてくれました。これは本当に漏れなくそう。声をあげなければ何もないけど、自分から言えば絶対に助けてくれる。この心強さは、自分ができないことさえ挑戦できると思える勇気に繋がったと思います。

****

リクルートを通しての出会い、
リクルートを通しての経験、全て財産だなあと改めて思います。

あー、やっぱり寂しい気持ちが大きいけど、
またみなさんに元気に挨拶できるように、元リクルートとして恥じないように、1日1日丁寧に生きようと思います!!!

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