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先日、web3に熱を上げているという、
若手システム開発会社社長の友人に
究極のAIとは「人間の脳」を模したものではないかという、
話をされたのだが。。。

精神科医として、直感的にそうではないだろう。
とは思ったものの、その時うまく話せなかったので、
記事にしてみようと思う。

とりあえず決定的な事実は、
人間の脳の機能は、知能だけではない。

また、
人間の脳は、地球環境で生存するために進化して、知能を獲得している。
ある目的に最適化するために存在している。
あるいは、人間の脳は、知能の存在目的が最初から設定されている。
と言い換えてもいいかもしれない。

もし究極のAIがあるとすればおそらくそれは、
学習をしなくても、将来を予測し判断する装置である。と思う。
学習をしてしまうと学習のデータが判断に影響するので、
全く新しい環境を予測することが難しい。
そういうものは、究極とは言えないだろう。

究極のAIとは、
ある事柄を判断する際に、
その事柄に影響する全てのこと(要素N)を考慮した上で、
一定の未来に起こること(期間T)を
一瞬(計算時間t)でシュミレーションし、
どの判断(選択肢S)をした場合にどうなるかを正確に予測(精度X)し、
ある目的に沿って、最適な判断をする。装置のことである。

と思う。

そして、人間の脳の知能という機能は、こういうものだと思う。
人間の脳は、
経験を積めば判断の精度はよくなるが、
経験がなくても判断はできる。

ここで言いたいことは2つある。
一つは、人間の知能は、
要素N, 期間T, 計算時間t, 精度X, 選択肢Sに関して、
特定の分野でAIに勝つことは、現時点でもうできないと思うし、
いずれすべての分野で勝つことはできなくなるだろう。
シンギュラリティーが、存在するのは明白である。

いっぽうで、AIが装置である限り、物理的制約から、
要素N, 期間T, 計算時間t, 精度X, 選択肢Sが、
無限大になることはなく、
究極のAIというものは完成しないと考えられる。

2つ目は、人間の脳は、地球環境で生存するために、
最適化されていて、知能以外の機能も併せ持っている。
感情、本能、気分、衝動性、自我などである。
これらが、知能と同時に存在していることで、初めて、
全体として、意志を持った人間として、活動できるのである。

究極の人工知能には目的が設定されていないので、
目的を設定する人間がいなければ、ただの置き物である。
あらかじめ人間が目的を設定しておけば、
勝手に判断するとは思うが、
それはあくまで人間が使う道具である。

AIよりも、開発は難しいだろうが、
感情や衝動性や気分、自我などの機能をつけたAIを作れば、
それは、自ら意志を持って人間のように判断するかもしれない。
進化ではなく、人為的に作り出したので、何に対して最適化するのか?
という部分は、後付けになってしまうが。
いつかは、人造知的生命体は作れそうである。
しかし地球原産の脳ではないので、生存とかが目的である必要はなく。
そこはやっぱり人間の設計次第だと考えられる。

人間と全く同じような目的で、感情や衝動性や気分を設計すれば、
人造人間脳は、いつかは作れそうな気はするが、だいぶ先の話であるし、
そこまでして、作りたいとは思わなそうな気がする。

あと、繁殖力がないものに対して、
人間と同じ感情や衝動性や気分を設計できるかな?

起源がないものに対して、
人間と同じ自我が設計できるかな?

そもそも、壮大な手間暇をかけて、
装置としては、不完全なものを作るという話だから、
そこまでして作らなそうな気はする。

究極を言えば、もう一度、地球の進化の歴史を再現すれば、
人間の脳と同じものを作れるだろう。
もはや何をしたいのかよくわからないが。

なので、まとめると
・AIは、そのうち人間の知能を超える。
・AIは道具として便利である。(人間が目的を設定する必要がある。)
・究極のAIはできない。(近付くことはできる。)
・人間の脳を模倣したものと究極のAIは別物
・人間の脳を模倣したものは、いつかはできるが、作らないのでは?

これが私の究極のAIに対する解答である。

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