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「結婚して妻が変わった」というのは「初めて彼女ができた」と同じくらい喜ぶべきことだという話

先日、学生時代の友達が結婚をした。
結婚生活の話を聞いていると「結婚して妻が変わった」と言う。
結婚して夫が変わったという話はあまり聞いたことがないが、「妻が変わった」という話はよく聞く。

この「妻が変わった」とはどういうことなのか、結婚生活15年目の私が思うことを紹介したいと思う。

「結婚して妻が変わった」の本当の意味
「結婚して妻が変わった」という言葉は大抵否定的な意味で使われる。結婚して妻が変わってしまったというように。確かに、結婚した直後、徐々に私への反応が薄くなっていく妻を「結婚して妻が変わった」と感じていたし、居酒屋に行けば、まだ独身の友達に「結婚すると女は変わるぞ」と言っていた。

しかし、結婚15年目の今ではすこし違う感想をもっている。
結論から言おう。
「結婚して妻が変わった」というのは「結婚する前よりもお互いの関係性が深まった」と言い換えられるのではないかということである。

何を勝手な解釈を!と世の夫達から怒られそうだが、ちょっと怒りを鎮めて、私の考察に付き合って欲しい。

「妻が変わった」という言葉が表している具体的な内容は、大体この3つに分けられる。
・控えめな性格が自己主張の激しい性格になった
・自分の見た目を気にしなくり、夫を男として見なくなった
・理想の話をしなくなり、現実的なお金の話ばかりするようになった

夫達が飲み屋で話す3大妻の愚痴「性格がきつくなった」「女として見れない」「自分のことをATMだと思っている」の裏返しでもある。

ちなみに、こういった不満をもっている世の夫達は夜のお店で、この鬱憤を解消する。つまり「優しくて自分のことを気遣ってくれ」「女性として魅力的で」「自分の夢や理想の話を深くうなずきながら聞いてくれる」女の子がいるお店に行くのだ。

恋愛をしているときは誰しもが相手に好かれたい、嫌われたくない、なるべく長く一緒にいたいと思う。一緒にいるためには相手のニーズに合わせた自分を見せることが有効なので、世の女性たちは意識してか無意識か、男性好みの女性を見せることになる。

男性は深く考えず、こんなに「優しくて」「女性として魅力的で」「自分の夢や理想を聞いてくれる」女性ならより一緒にいたいと考え始めるのだ。

つまり、「結婚して妻が変わった」というのは、妻が本当に変化したわけではなく、元々恋人のときには一部しか見せていなかった自分を解放し始めたといえる。元から自己主張の強い女性だったことを夫達が知らなかっただけなのだ。

なぜ結婚すると妻は変わるのか
では、どうして結婚を機に妻達は自分を解放し始めるのだろうか。結婚後も相手と一緒にいたいのであれば、結婚してからも男性好みな女性の部分だけを見せ続ければいいはずである。よい部分にばかり焦点を当てて告知した商品サービスが、購入後にユーザーの不満を生むように、その女性の戦略だと結婚後に旦那の不満を生むことは容易に想像できる。

それがわかっていて、なぜ女性たちは結婚を境に徐々に見せていなかった自分を見せ始めるのか。

「結婚生活ではもっとリラックスしたい」「子供がいて旦那に対して気を使う余裕なんてない」など、いくつか理由は考えられるが、本当の理由は
「結婚後に本当の自分を見せたほうが夫婦が幸せに近づくから」だと思う。

ハーバード大学の教授が80年弱かけた、幸せに関する研究を知っているだろうか。教授が700人を80年弱追跡してわかったことは、「良い人間関係」が唯一幸福に影響を与える要素だということだ。頼れる人がそばにいるという環境、それこそが人間の幸福に影響を与えていることを示したのだ。

通常、幸せの要素であると考えられる、お金や名誉、友人の数や権威、そういったことは幸せに関係なく、身近な人との人間関係の質の深さ、一緒にいてリラックスした状態でいられるか、お互いが本当の自分を見せ合えているか、そういったことが幸せに影響を与えることがわかっている。
https://www.lifehacker.jp/2017/03/170309_science_of_good_life.html

慶應義塾大学で幸福学を研究している前野隆司教授の研究が明らかにした、人が幸せになるための4つの因子にも「つながりと感謝」という因子がはいっている。
これも、身近な人との人間関係の質が幸せとつながっていることを表している。
https://www.motivation-up.com/motivation/4factor.html

妻達は本能的にこのことがわかっていて、夫婦を幸せに導くために、変わっていっているのではないだろうか。

「人間関係の質を深める難しさ」
実際に人間関係の質が深い相手、一緒にいてリラックスでき、本当の自分を見せあえている相手がどれくらいいるか?と問われると、数えるほどしかいないことに気がつく

私が頭に浮かぶのは妻以外に2人の友人だけ。ほとんどの人が片手、いや、もしかしたら1人も思い浮かばないのではないか。それくらい、本当の自分をさらけ出す関係を作るには、長い道のりが必要で、一長一短にはできないことなのだ。

会社で上司が「今日は無礼講だから何でも本音で話そう!」という場面を見たことがある。その場ではわぁ!と盛り上がるのだが、本音で話そうと言われて実際に本音で話すのは、言い出しっぺの上司本人と何もわかっていない新入社員くらいで、ほかの社員が本音を話しているのを私は見たことがない。

「親しき中にも礼儀あり」という言葉がある。どれだけ親しくなっても、遠慮がなくなると不仲になってしまうという意味だが、これを実感している人は多いだろう。とても仲のいい友達と、ちょっとした一言で距離ができてしまうことはよくある話だ。

私たちは日々の経験から、本当の自分をありのままで見せることは、人間関係にとって良くないことだと学習しているのである。本当の自分を出すまでには距離を縮める時間がかかるのだ。

ただ、本当は人間誰でも、普段見せていない本当の自分を誰かと共有し分かち合いたいと思っている。

私には会社の飲み会が終わった後に、もう一軒、気の置けない友人と飲みに行きたくなる癖がある。その時に頭に浮かぶのは中学生から25年の付き合いがある友人だ。何時に誘ってもお互い悪いなとも思わないし、相手も気が乗らない時にははっきりと断ってくる。

会えば、会社の飲み会で少し無理をしていた自分を解放するかのように、自由に思ったことをそのまま話せる。私にとっては自然体でいられる相手で、本当の自分をだすことができる数少ない友人だ。

ここで、妻との関係の深さに話を戻してみたい。25年の付き合いであるその友人との関係と妻との関係の深さを改めて比べてみると正直比べ物にならない。もちろん妻との関係のほうが深い。

妻はその友人が知らない私をたくさん知っている。
「土壇場で弱い心を持っている」「意外と細かいところが気になる」など、自分しか知らない部分や自分でさえわからない部分を理解している。いや、理解しているというより実感している。

これは、結婚して15年間毎日一緒の空気を吸い、一緒の経験をし、たくさんの会話をしてきたからこそわかるもので、一朝一夕に築き上げれるものではない。

人生でこんな深い関係性を築くのは容易なことではないのだ。
まず誰かと長期間一緒にいる機会がないといけないし、ずっと一緒にいるだけではなく、お互いが相手を知りたいという気持ちを持ち続けないといけない。

この持ち続けるというのがまた難しい。人間は私たちが思っているよりもずっと複雑で、相手のことを知っても知っても、相手のわからない部分や知らない部分がでてくる。それでも、めげずに相手のことを知ろうとし続けることで、人間関係に深みがでてくるのだ。

大抵はもう面倒くさいと感じ、相手のことを知ろうとすることを止めてしまう。けれど、相手のことを知り続けようとしない限り、深みのある人間関係は築けないのだ。

「初めて彼女ができたときの気持ち」
初めて彼女ができた時、どういった気持だったか覚えているだろうか。
ものすごくモテた一部のイケメンは除いて、ほとんどの男子諸君は天にも昇るほど嬉しかったのではないだろうか。

私はしばらく夢見心地だったのを覚えている。あの気持ちはただ単に念願の彼女ができたという喜びだけでなく、「自分自身を知ってくれようとしている人がこの世の中にいた」という嬉しさが混ざっていたように感じる。

自分自身が一番、自分の弱さや情けなさを理解しているから、そんな情けない自分を知りたい、わかりたい、理解したいと言ってくれる人がいる。そんな嬉しさが大きかったのだろうと今振り返ると思う。

もちろん、やましい気持ちや好奇心も嬉しい気持ちの中の一要素ではあったけど、誰かと人間関係を築いていくスタート地点に立った幸せが一番大きかったんだと思う。
彼女ができた時の喜びというのは、人間関係を築くという幸せを頂上にした登山の登山口に立てた喜びなのだろう。

付き合い始めて、登山口から、彼女と一緒に山を登っていく。手を取り合いながら、一緒に休憩所でご飯を食べたり、きれいな景色を見たりして、紆余曲折ありながらも、恋人たちは何とか5合目に到着する。

登ってきた道を見返して、ここまで一緒に来れたのなら、この後、頂上までこの人とならいけると考え、結婚をするのだ。

ここまでが恋人同士の関係性。相手の素敵な部分ばかりが見えているけれど、お互いの関係性はあまり深くない状態。

さあ、主題に戻ろう。
「結婚して妻が変わった」というのは登山の5合目からスタートして、妻が横にいる夫を見ずに、前しか向かなくなった瞬間のことだ。
5合目からの登山は生半可なものではない。お互いの顔を見あっていては登れないし、自分の言いたいことをはっきりと相手に伝えないと、生死に関わる場面もあるだろう。

つまり、いままで覆い隠してきた本当の自分をさらけ出し、それをお互いに受け入れあい、言葉を多く語らなくても一緒の方向に進んでいることを感じる必要がある。

その先にある頂上には、長時間一緒に進んだ夫婦にしか見えない景色が待っている。

「結婚して妻が変わった」というのは、幸せに向けて、夫婦が動き始めた瞬間なのだ。
初めて彼女ができたとき、人間関係を築いていくスタート地点に立った喜びを感じたと思うが、「結婚して妻が変わった」時は、幸せという頂上に向けて動き始めた、喜ぶべきことだということがわかってくれただろうか。

世の既婚者の男性諸君、そう思ってみると、「妻が変わった」ことも嬉しい出来事に思えてきませんか。

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