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SUNNINESS(2) 「だから平野遼を評論する」

そう、それは夏の暑さが強烈に残る季節で、その馬鹿げた暑さに抗するには、イーゼルに向かうほかはないという炎天下だった。私はアトリエに入るなりシャツを脱ぎ捨てた。窓を開け、外の空気を中に入り込ませる。窓から顔を出すと、精彩のない芝生につつまれた中庭は、白や黄色の花がしぼんで、あちこちにちらほらしていた。ラジオから流れてくるボサノバがじりじりと夏を消耗し、元気があるのは凄まじいセミの鳴き声ばかりだった。
よく晴れて乾燥した日だと、三階のアトリエからは山が眺められる。しかし、空気の成分に湿気やガスが含まれている日はダメだ。その上から日が注ぐわけだが、光が拡散し、空は透明ではない。ふと、窓から空を見上げると、遠く真正面に大きな太陽が浮かんでいる。まるで私をごらんなさいと言っているようだ。我々は太陽についてはあまり文句をいうことはないが、どうやらその純粋な光に心を開くことは忘れているようだ。
一方で、我々は季節については実に多くをしゃべる癖をもっている。季節はそれがどんなに少量でも形態的な要素をもっているからだ。それに触ったり、臭いをかいだりして、むしろその少量に華やぎを覚えることもある。移り変わる季節の姿は心の底に余燼となって喜びをあたえるのである。もっとも、季節はまた胃袋への働きかけでもあり、感覚的な色調を持っている。色とりどりの野菜は目を楽しませてくれ、穀物にも太陽の味付けが加わるわけだ。したがって、夏は暑くて初めて効果を持つものなのだ。ところが、そういう思考を出来ぬ人もいる。私もその一人だった。味気のない空気の中から飛び出してきて、夏でも春でもファーストフードに舌なめずりをしていた。つまり季節というものを口に入れて確かめることを知らなかったのだ。そういう私にとって夏はくせものだった。
そういえば、四年生がアトリエの移転の際に、クーラーがどうだ、こうだと署名運動をしていたが、まさか自分が当事者になるとは思わなかった。もちろん、形式上は署名をしたが、その実は「大の大人が見苦しい悪あがきを…」と思い、冷ややかに自分の名前を書き上げたことを率直に申し上げなければならない。実際、この通りだ。署名は無意味だった。もし、他人に迷惑のかからないストライキというものがあるとしたら、冷房という環境に慣らされている我々は「アトリエにクーラーをつけるべし」というプラカードを持って座り込むところである。まるで月並みな反社会的素質ではあるが、画家は戦いの多い生き物だといって、いい過ぎではない。銀座に絵を持ち込めば、にべもなく断られて憤慨し、どこの馬の骨かもわからない記者に、絵で食べていこうなんて考えるのは、無駄だからおよしなさいと笑われてしまう。
まるで、とても手に負えない暑さと同じだ。芸術とはままならない。あたり前の話だ。しかし、怒っても、自分に同情しても仕方がない。芸術に限らず、人生とは得てしてこういうものかもしれない。問題は、絵を描いていられるかではなくて、果てしもなく絵を描いていられるかだ。その為には、かたっぱしから、何でもいいから、心にひっかかるものを追って、地道に、根気よく掘り下げていくしかない。手の届くところまで進んでいくしかない。
それにしても一体どういう訳で、僕らは三年生にまで進級してしまったのだろう。思えば、長い夏休みは、決して私に画家たるに値する生活をもたらしはしなかった。もちろん、汗は働き者にしか充実の恵みを与えない。なげやりな毎日に飽きた私を、パチンコ店の甘い誘惑が、その場にくぎ付けにしたのだ。結果的には仕事を怠けるということになろうが、ただ冷房がない、仕事ができる環境がどこを探しても見当たらない、というのが生活水準の低い我々の現場なのだから仕方がない。学校に通うのに便利だからという理由で、ボロのアパートを拠点としていたが、居住環境の劣悪さから考えればむしろこのことは当然である。言い訳がましいようだが、それは、私たちのような画家がもたねばならない無抵抗の美学であり、早い話が「暑さに負けた」ということになるのだった。とりあえず、私はドス暗い蛍光灯のスイッチを押し、ひび割れた古い木のイスに腰を下ろした。そして、やれやれと思いながら、目の前に並べられた鉛筆箱を指でかき混ぜた。そうして、心の中で「よいしょ」と自分に一粒の気合をふりかけて、先の丸まった2Bを当選させた。黒光りする木の軸と睨めっこをする。それは、いつもの儀式だった。それから、おもむろにカッターを取り出し、鉛筆の芯にこすりはじめた。
ここで、実に僭越ではあるが、私ごときが落ちこぼれの名誉にふさわしくない、知ったようなことを言わせてもらうと、制作とは、自分が自分であることを証明し、生きていることの意味を見出す長い戦いなので、孤独に甘んじることはできないものだ。それは、側にいる友人の励ましや、片寄せあう友情をぜひとも必要とする。しかも、それは普通の「友」ではダメなのだ。「大」な友でなくてはならない。そして、私の親友の名前は「大友」という。どうだ、すごいではないか。

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