88.使途を明確にしたら、「お供え」は集まる


はじめに


お供えの集め方と言うと、拒否反応を起こす人や、タブーのように、触れてはいけないことのように思っている方は大勢いると思います。

なんなら僕もお供えの集め方なんて話しは、絶対に反感を買うと思うし、批判コメントでも来ようものならメンタル的にもしんどいので、こんな記事は書かない方が良いと思ってます。

しかし、実際に僕の所属する大教会が、使途を明確にすることで、お供えを集めることに成功しているという事実がありまたこの方法は素晴らしいと思いますので、この情報を共有するために書かせて頂きます。


マイクロバスが買えない


僕の所属する大教会は、現在、神殿普請の支払い最中でお金が全然ありません。

どのくらいお金が無いかと言うと、最近はマシになったそうですが、ひと昔前は、
お昼ご飯のおかずがキュウリ一本だけ、マヨネーズを使って誤魔化そうと思ったら、そのマヨネーズには
「残り少ないので、大切に使って下さい」
という張り紙がしてあるという悲惨な状況で、本当にお金がありません。

そんなお金が無い中、数年前に詰所のマイクロバスが壊れてしまうという事態が起こりました。

大教会は毎月銀行の支払いに追われているので、どこをひっくり返しても、マイクロバスを買うお金は用意出来ません。

しかし、詰所のマイクロバスは使用頻度が高く、使えないとなるとかなり困ってしまいます。

そこで、大教会で知恵を絞り、
「マイクロバス購入お供え」なるお供え袋を作り、信者さん達にお供えを募ることにしました。

各教会への巡教で、大教会の財産事情を説明し、マイクロバスの必要性も訴えて、そのお供え袋を配布しました。

大教会の人達は、
「中古マイクロバスの購入金額の半額だけでも集まれば御の字だ」
と思っていたそうです。

しかし、蓋を開けてみれば、当初の目標金額を遥かに越える額のお供えが集まり、中古のマイクロバスではなく、新品のマイクロバスを購入することが出来ました。



1番の成果はマイクロバスではない


このお供えで得られたものは、マイクロバスだけではありません。

大教会の役員どころか、お供えをお願いされた信者さん達も、まさか新品のマイクロバスが買える程お金が集まるなんて夢にも思っていませんでした。

それまでは、神殿普請の支払いで毎月大教会の財政が厳しいということしか、情報として入ってきませんので、どことなく暗い雰囲気が流れていたように思います。

しかし、新品のマイクロバスが買える程お供えが集まったことを知って、所属する信者さん全体に

「自分達はやれば出来るんだ」
「本気を出せばまだまだ力があるじゃないか」

そういった明るい気運が流れ、信者さん全員の自尊心が上がって、自信も生まれました。

(実際、マイクロバス購入が決まった月の月次祭では、その話題で持ち切りでした。)

暗いニュースが多い中、
「自分達の力で問題を解決できる」
という自信が生まれるということが凄く大切だと思います。

やはり自分の所属するコミュニティが、元気だったり、何かを成し遂げたら嬉しいんです。

例えて言うなら、
オリンピックで日本代表が金メダルを取った時、国民皆が喜ぶと思います。
反対に、誰もメダルが取れない状態が続けば、暗い気分になりますし、
「やっぱり日本は駄目だ」
と批判するような人まで出てきます。

大教会もこれと全く同じで、やはり暗いニュースばかりだと、暗い空気にもなりますし、大教会を批判するような人も出ててくると思います。
しかし、明るいニュースがあれば、全員が明るくなれますし、暗い気持ちなんて何処かに吹き飛んでしまいます。

このお供えを通して得られた一番の成果は、
「このコミュニティ(大教会)に所属していて誇らしい」
と思える結果が出たことだと思います。

一回目の試みが成功したおかげで、マイクロバスのお供え以降、
詰所の外壁補修のお供えや、
ウォシュレット設置のお供え等、
色々なお供えを募るようになり、どれも成果をあげています。


不満でなく、自信が生まれた理由


お供えを新たに募るということは、プラスしてお金を払わなくてはいけないことですので、普通に考えれば不満が生まれると思います。

しかし、
このお供えでは不満を抱かないどころか、自信や誇らしい気持ちまで生まれたのです。

なぜ、このような結果を生んだかを考えていきたいと思います。


理由1
目的、必要性、
結果が目に見えてわかった

マイクロバス購入という、お供えの目的が明確であったこと、
マイクロバスの必要性について巡教の際に説明があったこと、
詰所に行けば、購入したマイクロバスが誰でも確認できること。

つまり、最初から最後まで、全員がマイクロバス購入までの過程をクリアに見ることが出来たという点です。

そのため、
信者1人1人がマイクロバス購入の当事者になることが出来ました。


理由2
お供えの金額を設定しなかった

1人いくらお供えして下さいという、設定はありませんでした。
設定が無ければ、多くお供えする人は、いくらでもお供えすることが出来ます。

下手に、5000円とか設定してしまうと、本来であれば10万円お供えしてくれた人が、
「皆が5000円なら、私はその倍の1万円でいいか」
と、設定金額を基準に考えてしまうようになります。

金銭的に余裕がある人も余裕が無い人も、自分が喜んでお供えできる額を、自分で決めてお供えできたので、金額に関しての不満は一切聞きませんでした。


理由3
お供えのお願いとお礼を丁寧に行ったから

お願いとお礼を丁寧に行うことは、1番外してはいけない前提条件だと思います。
大教会報にもお礼の言葉が載りましたし、巡教の際にも大教会から丁寧なお礼の言葉を頂きました。

他にも要因はあると思いますが、主な理由はこの3つではないかと思います。


系統というコミュニティの力を、低く見積もり過ぎているのでは?


僕は多くの人が、系統の力を低く見積もり過ぎているのではないかと思っています。

現代社会において、属している人が数百人〜数万人規模いるコミュニティ、しかもネット上ではなく生身でそれだけの人がいるコミュニティというのは、それだけで大きな力があります。

よく系統批判をする方がおられますが、系統というコミュニティの恩恵は多岐にわたります。

1番身近なところで言えば、詰所です。

おぢばに帰ってきた際に、休憩したり宿泊する施設を使えるのは、系統というコミュニティに属している人の特権です。

系統が無くなってしまえば、詰所を維持することは出来ません。

詰所は一泊1000円で泊まれますが、その金額では維持することは出来ません。

詰所の維持費はコミュニティに属している人がお供えとして負担しています。

また、詰所だけではなく、本部関連の施設は全て信者さんのお供えで成り立っていまふ。

ですから、離脱教会が天理教の施設利用できなくなるのは、常識的に考えれば当たり前のことです。
(離脱教会にも施設を使わせろという意見を目にしたので書きました)

少し横道にそれてしまいましたが、0から数百人〜数千人規模のコミュニティを作るのはかなり難しい作業だと思います。

せっかく大規模な既存のコミュニティがあるのですから、これを有効活用する手立てを本気で考えてみれば、何か面白い可能性が生まれるような気がします。


おまけタイム


どーも!批判コメントが1番傷つく男
ほこりまみれの信仰者こーせーです。

僕はつい4ヶ月前までSNSと言えばLINEしかしていませんでしたので、SNSで批判されることがこんなに辛いことだとは知りませんでした。
(LINEをSNSと堂々と言えるレベルです。)

悪口耐性がなさ過ぎるもんですから、他の人がバチバチやっているところを見るのも、結構苦手です。

ですから、どうか今回の記事に限らず、暖かい目で見守っていただけたらと思います。

あなたの批判は、1人の人間を不幸にしているということを分かっていただきたいです。


つまり、何が言いたいかと言うと、今日の記事での批判コメントは受け付けたくありません!

ということです!

本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!

ほな!















サポートして貰えたら、そりゃめちゃくちゃ嬉しいです!