43.人が見ていない所でこそ誠実でいるべき

誠実さが重要なウェイトを占めている


僕は、「誠実さ」が生きていく上で、かなりの重要なウエイトを占めていると思っています。

「今日は店長が休みだから、ちょっとぐらいサボってもいいや」
「誰も見てないから、ちょっとズルして休もう」
「このぐらい貰ってもバレないだろう」

仕事だけに限らず、学生時代の部活であったり、趣味の集まりであったり、とにかく人が集まって何かを行う時、他の人より楽しよう、得しようと考える人はかなり沢山いると思います。

人の見ていないところでは手を抜き、人に見られている時だけ一生懸命やる。
嫌なことは人に押し付けて、自分は楽な作業をする。

こういうことをしていると、必ず後でしっぺ返しを食らうと決まっているのですが、それを知らない人が大変多く、目先の欲に囚われてしまっています。

そもそも、周りの目を盗んでサボったり、ズルをしたり、手を抜いたりすると、遅かれ早かれ必ずバレてしまいます。

作業の出来栄えであったり、
その場その人の雰囲気であったり、
作り上げた作品であったり、
手を抜いた痕跡は必ず何処かに残ってしまい、自分の信用を失ってしまいます。

逆に、誰にも見られていないところで誠実に真面目に働いている。
そうした姿は、遅かれ早かれ必ず報われるように、世の中は出来ています。

むしろ、誰も見ていない所で行う誠実な行動は、自分のそこにかけたエネルギーが何倍にもなって自分に返ってくるのです。

それは「良い行い」を土の中に隠すようなもので、
土の中に隠しているので誰にも見えませんが、土の中で根を張り、養分をたっぷり吸い込んで、芽を出し、木に育ち、「一粒の良い行い」だったのが、多くの「良い行い」の実を付けます。

逆に、人に見られている所ばかりで「良い行い」をしても、それはアスファルトの上に種を蒔くのと同じです。
周りから見ることは出来ますが、根を張ることも、芽を出すことも出来ず、いつまでたっても「一粒の良い行い」のままです。

天理教ではこのように、良い行いを誰にも分からないよう土の中に隠す行為を
「陰徳を積む」と言います。


陰徳を積む


リオオリンピックで金メダルをとった、柔道家の大野選手が、オリンピック村で一人、ごみ拾いをしている姿が一時期話題になりました。

大野選手は、リオデジャネイロに向かう前、河原町大教会長であり天理大学の理事長でもある深谷善太郎先生と懇談する機会がありました。

そこで、深谷先生から
「勝負の世界も最後は紙一重の差になる、その差を埋める為に陰徳を積むように」というような話しを聞いたそうです。
(こんな感じのニュアンスの話です。正確ではありません)

もちろん、大野選手の膨大な努力によって、金メダルを取れたことは間違いありません。
しかし、「陰徳を積む」という話を聞いて素直に実行に移す、この心の誠実さが、金メダルを取りきる心の強さに繋がっているのではないかと思うのです。


誠実な心とは


天理教では「誠の心」が「最も強い」(ニュアンス小学生レベル)と教えられています。その説明の一部をようぼく(信仰者)の心得である「おかきさげ」より抜粋します。

誠の心と言えば、一寸には弱いように皆思うなれど、誠より堅き長きものは無い。誠一つが天の理。天の理なれば、直ぐと受け取る直ぐと返すが一つの理。

本当に誠の心は弱いように皆思うのです。

例えば、
「夜中の信号待ち、車が一台も通っていないから無視して渡ろう。真面目に待つなんて馬鹿らしい。」

こんなこと思う人は案外結構いるんじゃないでしょうか。
(僕も酔っ払うとついつい思ってしまう事があります。)

しょうもない例ではありますが、
「車が来ていないのに信号待ちするのは馬鹿らしい」
と思うように「誠の心」、「誠実さ」というのは、一見すると弱い、つまり馬鹿らしく思ってしまいがちなんです。

だから、人の目が無い所でサボったり、ズルをしている人は、真面目に働いたり、ルールを守っている人を、馬鹿にして見ている事が多々あると思います。

確かに、誠実に信号待ちをしていても何も得はしません。
だから、誠の心は弱いと皆が思ってしまうのです。

しかし、こうした
「こんな真面目にやって、何が得するの」
というようなことでも、その誠実さの積み重ねは、自分の心や思考回路に、大きなプラスとなります。

未だに、真面目にやるのは馬鹿らしいと思っている方は、一刻も早くその思考から脱出した方が良いです。

誠実さも不誠実さも、良いも悪いも、その人の心の状態は「におい」のように漂ってきます。

人目に付かない陰で行なっている行為が、その人の「におい」を決めていると言っても過言ではありません。

逆に言えば「陰徳」を積めば、「良いにおい」のする人間になれるということでもあります。

この記事を書きながら、僕も「陰徳」をもっと積まなくては、と思う次第です。


おまけタイム


どーも!信号無視をするのが心苦しいので、信号が無い所を渡れば良いんだ!と考えてしまう男 ほこりまみれ信仰者こーせです!

本文に、ハゲネタを入れ忘れていることに気がついたのですが、まぁこんな日もあります。

話は変わりますが、僕が小学生の時、ハゲの歌が流行りました。

「あーな〜たーの髪の毛ありますかー」

という歌でしたが、子供の頃ゲラゲラ笑ったような笑わなかったような、ことを鮮明に覚えています。

正確な歌詞を覚えてはいないのですが、
「あなたの髪の毛を僕の頭に植えつけて、くしでとかすのが夢」

という歌詞あります。これは今でいう
「ヘアドネーション」の先駆けというか、その存在を予言していたような歌詞であると思います。

髪の毛が無い人に、髪の毛がある人が分けてあげる。

なんて素晴らしい助け合いの世界でしょうか。

そう思うと、あのハゲの歌も、なんだか感慨深いもののように感じられるような気がするかもしれないかもしれません思いです。


本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!


ほな!








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