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母性 湊かなえ

〜イヤミスの王道。
     ゾクっとする本を読みたい人へ〜

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『母性』
発行所 新潮文庫
H27年7月1日 第1刷発行
H28年6月10日 第15刷発行
著者:湊かなえ
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【あらすじ】
《「なぜ褒めてくれるの」「なぜ花をくれるの」「なぜ私が死んだら悲しいの」これらの行為は悪いことではありません。しかし悪い行為に対する「なぜ」と明らかに違う点があります。
それは聞き手がすでに答えを予測できているということです。
わからないから訊いているのではない。
答えを知っていてなお、相手の口から直接聞き、確認したいために、わざと訊いているのです。》

この世の誰よりも愛されていることを確認するように、「なぜ」を繰り返した私。
その後、背筋が凍るような一文があり、この物語が始まります。

これは、幼少期に母を溺愛していた母親《私》とその娘《わたし》の物語です。
母親の《私》は小さい頃からお母さんを全身全霊で愛していて、私は母の分身なのだから、同じものを見て違う思いを抱くなどあってはならないものだと歪んだ善をもって成長します。そして自らが母親となったとき、、、ある事件が起きます。
一方、娘の《わたし》。母親が姑にいじめ抜かれている姿をみて、祖母に食ってかかります。母を助けたいがための行為だったけれど、、、あんなことを言われるなんて。


【感想】
この話は愛を求める虚しさを感じる本でした。
そして、ところどころに恐怖が散りばめられていました。湊かなえさんの“イヤミス“の王道ではないかと思う作品です。
この物語は母親と娘の章があり、それぞれ《私》・《わたし》と主語を変えて、両者の視点から受け止めた感情がリアルに描かれていました。
同じ出来事に対してどのように感じ取ったか、2人の間でまったく違いぞっとしました。
例えば、心配させまいと涙を堪える顔は相手には自分に対する仏頂面にしか見えなかったり、強く抱きしめるため両手を伸ばしたことが、一方には首を絞められたと感じる。。
同じ出来事を語っていても双方で受け止め方がまるで違います。

どちらの語り手も信用できない。

事実は1つのばずなのに、真実は人の数だけあるのだと感じました。

母親は子育てをしたつもりになって精一杯だったけれど、器が小さすぎてできなかった。娘は母親のためにと努力して行動したけれど、受け入れられなかった。
こんな虚しいすれ違いがあるでしょうか。


「愛能う限り」という言葉、そこには限界があります。「愛を求め続けること」、ここにも限界があるのだと思います。

最近は映画化もされたようですね。どんな出来上がりなのか気になります。