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あきのはっけんざん(さっぽろし)
油絵 F3 キャンパス 横273×縦220 2015制作


札幌の奥座敷といわれる定山渓温泉は、明治の初めに美泉定山が
宿を作ったのが始まりです。
湯元は「ホテル鹿の湯」で、鹿が傷を癒すために浸かっていたと
いいます。

美泉定山は岡山の僧侶の生まれで、修行のために旅に出て江戸時代
末期に、蝦夷の松前に来ました。
瀬棚(せたな)の大成区にある太田山神社があまりに険しい山にある
ため、道の開削を兼ねて修行をおこなっていたこともあります。

その後、北に向かい小樽で所帯を持つのですが、この時にアイヌの
青年が「温泉がある」と連れていったことが始まりでした。

しかし、ここに温泉があることは、すでに松浦武四郎が気付いてい
ました。
武四郎は、自費で3度、江戸の幕臣として3度、蝦夷の探検を行って
おり、定山渓一帯の記述も多く札幌岳・八剣山の眺めなどを詳細に
記録しているといいます。



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