見出し画像

Withコロナin札幌ドーム観戦メモ(8月1日(土)北海道日本ハムファイターズvsオリックス・バファローズ第5戦)



前代未聞な世の状況下、プロ野球開幕。
1試合1試合を無事に開催し、有観客試合が行えるまでに至った全ての関係者の皆様、本当にどうもありがとうございます。お疲れ様です。

今この状況を実際の球場で、自分の目で見ておきたくて、試合日の1週間ほど前に急に思いつきでチケットを購入しました。いつまでこの状況が続くのかわからない。わからないからこそ、行き慣れた場所から今どんな景色が見えるのかを今のうちに見てみたい、という気持ちも少しあって。

インターネットの座席指定でチケットを購入する際、思っていた以上に空席が多かったのが印象的です。
それと、いつもはシーズンシートエリアだったり、販売そのものがされていないエリアの座席も販売されていて、入手しにくいフィールドシートにもまだ空席がある状態。場所によっては座席間隔を3〜4席ほども空けて販売されている。いつもなら隣にどんな方が座るのか(例えばお一人さまなのか団体様なのか、など)を座席の空き具合によって想像しながら買うことも多いけど、今回は必要ありません。
自分の希望する席(私の場合は目当ての選手の写真を撮りやすい位置という希望しかない)を選びやすかった。普段だとなかなかゲットしにくいと感じる、試合中に売店へ行きたい時なども気兼ねなく出入りしやすい通路側端席も割と空いているな、という印象でした。


さて、冒頭からもう結論を先に書きます。


おそらく、たぶん、運営される側の立場ならこれを言われてしまうと堪らないのかもしれませんが、私はもう、この座席の選択肢が異常に幅広かった時点ですでに、「観客少ない試合めっちゃイイやん……」と、思ってしまいました。

一言で申し上げて、観戦が快適でしかない。
快適以外の何かを、終始感じることはありませんでした。
はっきり言って…天国…。
トイレで待つこともない…。売店はスイスイ買える…。通路の人波で足止めされることもない…。
何と言っても、運が悪ければ最初から最後まで聞くこととなる近隣席からの不快な野次も、選手に関する悪口も聞こえてこない。皆一様に、マスクを着用し、目の前のプレーに集中してる。集中の妨げとなる要因も、余計なことに心を削られるストレスも、何から何までないんです。
あるとすれば試合中に自然発生するあたたかい拍手のみ。(これがまためちゃくちゃあたたかい)

ここ一点、プレーに集中したい!という時にも何の弊害もなく集中できる。野球好きにとってはまさに至福の一瞬ですよね。
時にものすごいイイ場面で、座席の目の前をウロウロされることもない(笑)。
もしやこの稀有な状況下で球場へ足を運ぶ観客って、真の野球好きしかいないのでは?などと。うっかりそんな極端なことまで考えてしまったし、何よりも自分の中にそういう負の感情……すなわち、『満員の現地の中で本当は常に感じていたのであろうこれほどの不快指数要因』があったんだ、という事実に気が付いたことに驚きでした。


たぶん、それらは自分の中で今までは「言っちゃいけない不満」だったのかもしれない。
スポーツの会場ではどんな人も分け隔てなく、楽しむ権利がある。
ちょっとくらいのことは自分が我慢しても、会場は満員な方がいい、それでいいんだ、と。
そう頑なに信じてたし、自分に言い聞かせていた部分があったのかもしれないな。好きだからこそ、運営側の心情に傾き過ぎていた。
実際何がスポーツ会場にとっての正解かなんて、わからないのに。


こんな私でも一時期は、本気でスポーツビジネスに関わりたい、と自分なりに色々と考えてきた(つもり。あくまでもつもり!笑)部分はあって、中でも「集客」というテーマにはとてもとても興味がありました。会場をいっぱいに出来ないスポーツのことも自分は大好きだったから。
だから、以前の自分ならおそらく今現在のスポーツ会場の状況を見て、制限内での集客数とは言えども「これはマズいな…お客さん少ないな…」って。どうしたらもっと上限いっぱいまで入ってもらえるだろう?と。おそらくその思考しかなかったと思うんです。もし考えるとしたらきっとそっち側の視点のみだったと思うんですよね。

でも今回、「自分の利点のみの視線」に立った時、「座席選び放題で、周りに人がいなくて、自分の前の座席に体の大きな人が座る可能性もなくて、視界が遮られないなんて…これってもしや最高では…?」と。正直、そうとしか感じない自分がいました。こんな言い方で許されるのならば、むしろこのコロナ禍でのスポーツ観戦は、オイシイ…。無責任な発言という自覚はありますが。本当に、すごく自己中心的な考えですが。けど謀ることなく本音です。すみません、あえて書き残します。それってけっこう大事なことだと思うんです。

具体的になぜ書き残そうと思ったかと言うと、「満員だけが幸せなのか?満員だからこそ現地には行きたくない、という人って、いないのだろうか?」という疑問に行き着いたからでした。
何万人という数の観客が入るスポーツ会場で、微塵のストレスも感じずに我慢もしていない人が実際はどれくらいいるのだろう?
その小さな我慢を犠牲にして成り立っていることって、ないの?

もしかして、満員じゃないことで感じる幸せがあって、じゃあその幸せとビジネスと調和のバランスを取る方法って何かあるのだろうか?

ああ、やっぱ「集客」に係る様々なことって永遠のテーマだなー、などと思います。(で、結局何も策としては思いつかないわけで(笑))


私個人的な意見ですが、今のこの3000人ほどの観客数であるうちに、球団にはとことん来場者アンケートを取ってもらいたかったです。絶対的に分母が少ない状況下で、どんな人がどんなことに球場へ足を運ぶ幸せを感じたか。もしくは、感じなかったのか。
その答えの中にはもしかすると、普段通りの試合にはなぜ足を運ばなかったのかを物語るヒントが隠れているんじゃないかな、と思った。
なにしろ少数意見に対して今このご時世だからこそじっくり耳を傾けることが出来るはず。
過半数を超える意見は過半数を超える集客には役に立つかもしれないけど、そうじゃない時にどんな方法でどれだけの人を満足させられるんだろう?会場へ来てもらえるんだろう?

この先どんな世界が待っているのか誰にも見えず、常識はもはや常識でなくなっているから。
先走って考えておいても損はないことがもしかすると数多くあるのだと思います。


とりあえず私が今回言えるのは、観戦には感染リスクももちろんあるけれど、だけどもし可能であれば、「今のこの状況下での札幌ドームで、プロ野球を観戦してみてください」。
ごめんなさい、そうは言ったものの何かあったとしたら責任は持てない。気軽に行きましょって誘ったりも出来ない。承知しております。
ただ、もし余裕があればご自身の目で、体で、実際の現地で多くを感じてみていただけたらと。

北海道には数年後、北広島市に夢のボールパークも完成します。
「夢の」という冠がついていますが、具体的にはいったいどんな夢を描くための冠なのでしょうか。もしかするとその「夢」もこれからどんどん姿を変えていくのかもしれない。世界の変化とともに。
ただ、その夢の中のひとつには今回自分が感じたような「天国みたいな満足感」もあるといいなって。そんな風に感じました。



追記。

ただひとつ、試合中困ったと言えば困ったこと。
それは、客席が静か過ぎてカメラのシャッターを切ることに遠慮を感じた(笑)。
私はピッチャーの投球モーションを撮るのが好きなのですが、プレー中にシャッター音を発するのが気になり連写はイニング間の投球練習のみにしました。あの連続音って、自分も気になるし、けっこう他人のも気になる。まさかそれがプレー中の選手の元に届いて邪魔にまではならないだろうとは思うのですが、でもやっぱり自分の好きなピッチャーの勝利がかかっているだけにどんな事にも慎重になるものです(笑)。
普段は鳴り物応援の音でシャッター音がかき消されるから気にならなかった。
これも実際、足を運んでみてわかったこと。

あの静かな中での試合は、本当に良かった。選手の声が全部聞こえる。
テレビの中継で聞こえているよりももっともっと言ってる。音声では拾い切れていなかった(笑)。面白かった。
正直言って可能であるのなら、ずっとこの状況で観戦したい……。
まぁたぶん許されないと知りつつ。




画像1


画像2


画像3


画像5


画像5


画像6


画像7







いただいたサポートは形而上学と魔法の学び、そしてヒーリングサロンを通じて必要としている方へのサポートとして循環させていただきます。