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保険のカンタン1分講座

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保険オタクのCEOが 「業界未経験の社内メンバーに、“とことんラクして・わかりやすく・たのしく”保険について知ってもらおう!」 ってコンセプトで書いていくで~。 とはいえ、みん…
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2021年2月の記事一覧

【3ー14限目】「GNP営業」ってなんでしょう?

義理・人情・プレゼント を武器とした営業スタイルのことが「GNP」って呼ばれている。 営業でGNPは大切よね。 大切なんだけど、 平成8年までの保険業界は保険商品に差がないうえに、保険の教育をしっかり受けていない保険外務員が多かったから、GNPでしか差をつけることができない外務員が大半だった。 ということで、 女性外務員はまず親戚・友人から契約をもらう。(身近に保険のおねえさんいるよ・いたよって人、多いよね) 他にも、 家をピンポンして「この地区の担当になったのでご挨拶

【3ー13限目】保険のおばちゃん(おねえさん)の歴史

大正5年に始まった簡易保険が「月払い」の保険でどんどん拡大していくなか、昭和23年に明治生命が月払いの保険を売り始めた。 戦後、生活が苦しかった国民にとって月払いの保険はありがたく、結構売れたから、他社も月払いの保険を売るようになってんな。 一方で、保険料の集金業務は大変だった・・・ ってことで、生命保険会社は保険料の集金業務だけをするパートさんとして、主に戦争未亡人を雇った。 終戦直後で生活が苦しいけど働き口は少ない、ってことで未亡人だけでなく、家計の足しに働きたい主

【3ー12限目】かんぽ(簡易保険)ってお手頃そうだよね!?

「簡易保険」 っていうのは今、もうない。 簡易保険って何だったかというと、大正5年(1916年)から国が独占事業で販売していた生命保険やで。 背景を説明すると・・・ 当時は銀行の自動引き落としなんてないから、保険会社はお客さん一人一人集金に行かないといけなかった。 保険会社は集金にかかるコストを考えて、 ・「年払」か「半年払」しか売らなかった ・保険料はある程度高くする必要があった(低所得の労働者は入れなかった) というわけ。 そんな中、「労働者にこそ生命保険って必

【3ー11限目】ソルベンシーマージン比率第1位「みどり生命」って知ってる?

失礼。 平成31年設立の「はなさく生命」が1位になってたm(__)m 「みどり生命」は2位だった。 さて、 ソルベンシーマージン比率っていうのは、 「大災害とか大恐慌とか、異常なときにどれだけ保険金を支払う能力があるのか?」っていう数値。 平成8年の保険業法改正によって、保険会社は公表することが義務付けられた。 正確な計算式はムズカシイから、だいぶざっくりいうと、 保険会社はたくさんの資本金がないと設立できないから、分子の「持ってるお金」は一定以上あるはず。 一方で、「

【3ー10限目】9.11とリーマンショックで破綻した日本の保険会社

平成13年9月11日アメリカの同時多発テロによって、1400億円を超える再保険の支払いが生じた「大成火災海上保険」が破綻した。 大成火災は、個人向けの保険の契約が少なく、再保険の引受けが多い会社だったから、あまり聞きなじみがないかもしれない。 破綻した原因は、 ・大成火災は航空機の再保険の契約を引き受けていた。本来であれば、さらに再保険に出して(再々保険という)リスクを分散させるべきところ、どうやらやっていなかったらしい。 ・ニューヨークで現地採用した若い社員が、ワー

【3ー9限目】潰れた保険会社ってどうなった?

潰れた保険会社のほとんどが、外国の保険会社に吸収されることになった。 ちなみに、「金融自由化に舵を切る」ということで、破綻する会社が出ることも予想されたので、平成8年の保険業法改正の中では「保険契約者保護基金制度」というセーフティーネットができていた。 ただ、しっかり準備ができていた制度ではなかったので、日産生命の破綻時にうまく機能しなかった。 そこで急遽、平成10年に「保険契約者保護機構」がスタートした。 これは「保険契約者保護基金制度」と違って、 すべての保険会社が

【3ー8限目】保険会社って潰れるの!?

潰れるで~。 平成9年に、日産生命が戦後初めて破綻したことを皮切りに、そこから平成13年までの4年間で、9社もの保険会社(生保:7社、損保:2社)が次々と破綻した。 その背景の1つが、”予定していた運用利回り”を”実際の運用利回り”が下振れる「逆ざや」という現象。 以前の講座で説明した通り、保険会社は「将来、運用利回りでこのぐらい儲ける予定だから、その分保険料割り引いておくで~」ってなかんじで保険商品を作ってる。 ところが、平成に入るとバブル崩壊。 「予定してた運用利回り

【3ー7限目】1996年「保険業法改正」ってなんやったん?

平成8年(1996年)の「保険業法改正」は、日本の保険業界において、最大の転換期かもしれない。 これは、金融業界の大改革「金融自由化(日本版金融ビッグバン)」の流れの中で起きた。 それまでの金融業界はこれまでの講座でお伝えしたとおり、商品競争ができなかったり新規参入ができなかったり、国に守られた業界だった。 それが大きく変わったわけだ。 保険業界の大きな変化をざっくりみてみよう。 その結果、何が起きたかというと、 消費者に「保険商品を比較・検討する」という概念が芽生え、

【3ー6限目】アフラックが「がん保険契約件数No1」の歴史的背景

現在、がん保険のシェアのおよそ半分をアフラックが占めている。 「それはそれは、ずば抜けて良い商品なんでしょう」 ってわけじゃないんだな~。 背景をざっくり説明するで~ ~~~~~~~~~~ 昭和40年代、国内の保険会社は特約でしか疾病保障を提供していなかった。 集金コストがかかるから、安い保険料の契約はしたくなかった。 あと、「『がん保険』なんかが売れるわけないやろ~」って思いもあった。 そんな中、昭和49年にアフラックが「がん保険」を「(従業員に団体保険の契約をし

【3ー5限目】戦後の外国保険会社

戦後、外国の保険会社は日本人向けの保険の販売が禁止されていて、日本に住む外国人向けにドル建ての保険だけを販売していた。 それが昭和44年、外国の保険会社は「日本支社」というカタチで日本人向けに営業してよくなった。 つまり、日本で保険会社を設立してはいけないってこと。 ―――――――――――――― どんな保険会社が参入してきたかを書いていくで~ 昭和45年 アリコジャパン:米国(現:メットライフ生命)昭和49年 アメリカン・ファミリー生命(アフラック):米国 この頃どん